古事記 に も そう 書 かれ て いる。 古事記は江戸時代に本居宣長が解読するまでは1000年もの間誰も読めなか...

日本書紀を読んで古事記神話を笑う「神が身を隠すということの意味」

古事記 に も そう 書 かれ て いる

(物語読者として日本神話を解明する) 第5 神は死なない(神というもののあり方) 神が身を隠すということの意味 さて,古事記冒頭部分で次に問題となるのは,「獨神(ひとりがみ)と成りまして,身を隠したまひき」という部分だ。 単独の神は神話上の役割を終え,ペアの神が,これから,国や神を生成していくからである。 「神が隠れる」とは,どんな事態をいうのか。 たとえば日本書紀では,国譲りという名の侵略を受けたオオナムチ(大己貴神=おおなむちのかみ。 古事記にいうオオクニヌシ)が,永久に身を隠す。 これは,神としての神話上の役割を終えたから,隠れるのである。 神は死なない 神は人間ではないから,死なない。 しかし,権威を失っていつき祭る人々がいなくなると,神話の表舞台から去る。 これを,「身を隠す」という。 オオナムチは,国を譲って,宗教的権威あるいは政治的権威を失ったので,出雲の政治,宗教上の表舞台から去ったのである。 ただ,少数といえども,オオナムチをいつき祭る人はいるだろうし,人の心の中には残るはずだから,「死」という意味での終末を迎えることはない。 繰り返すが,その神をいつき祭る人々がいる限り,神はどこかで生き続ける。 祭政一致の政治体制の下では,政治と神事は対等である。 権威を失うなどして,その神事の場,すなわち神託を聞く場から去ることを,神が「去る」,ないし「隠れる」というのだ。 いつき祭る人々は消滅しないが,神事という公の場からは消えてしまう。 このことを指して,「神が隠れる」というのだ。 神が「死ぬ」と,平気で書いている学者さんが,たくさんいる。 これは誤りである。 日本神話の根本にかかわることである。 神は死なないという「叙述と文言」上の根拠(その1) 上記した理屈は,私の偏見ではない。 「叙述と文言」上の根拠が,あらゆる所に散らばっている。 神としての神話上の役割を終えた神は,オオナムチだけではない。 スサノヲ(素戔鳴尊)も,イザナキやイザナミも,同様である。 日本書紀を見よう。 根国(ねのくに)行きを命じられたスサノヲは,イザナキに対して,「吾,…… 根国に就(ま)かりなむとす。 故(かれ),…… 姉と相見えて(あいまみえて),後に永(ひたぶる)に退(まか)りなむと欲ふ。 」と述べる(第6段本文冒頭)。 第8段終わりでは,「遂に根国に就(い)でましぬ。 」という表現だ。 根国の支配者に,「就」任したという表現だ。 すなわち,スサノヲにとって根国へ行くことは,死ぬことではない。 就職が職に「就」くという意味であるように,根国に「就」く,すなわち根国に行くという意味にすぎない。 死とは関係ない。 これと同様に,「根国」は,死者の国ではない。 これについては,のちに検討する。 またスサノヲは,現世から永久に「退」く,と述べているのであり,死んでしまうのではない。 神は死なないという「叙述と文言」上の根拠(その2) そういえば,イザナキの最後は,「霊運当遷(あつしれたまふ)」だった(第6段)。 これは,霊や運というものが,まさに(当に)移る(遷る),移動するというような意味であろう。 そして続けて,「幽宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて,寂然(しずか)に長く隠れましき。 」であった(第6段本文)。 「幽」の字に惑わされてはいけない。 別に,幽霊になるのではない。 「隠れ」て,現世からは永久に見えなくなるだけであって,神はどこかで生きているのだ。 学者さんはわかっていない 「幽」の字にとらわれて,「冥界」とするのが,学者の通説のようである。 しかし,誤りとしか言いようがない。 冥界は,人間が行くところだ。 冥界とすると,死者の国,黄泉国(よみのくに)と同一だというのだろうか。 するとそこは,神も人間も一緒になって生活している世界なのだろうか。 さっぱりわからない。 それでは,単なる人間と神の区別が,なくなってしまうではないか。 これに対し,保食神(ウケモチノカミ=うけもちのかみ)は,「死れり(まかれり)」とされている(第5段第11の一書)。 これは,ウケモチノカミが死んで,そこから五穀や蚕が生じたという説話だからだ。 死と再生。 冬と春。 枯葉と新芽。 ありふれたモチーフだが,五穀や蚕を生むために,ウケモチノカミは,終末という意味での死を迎える必要があったのだ。 カグツチも,火の神カグツチから,新たなる神が生成してくることとの関係で,「死ぬ」。 神は死なないという「叙述と文言」上の根拠(その3) 日本書紀の異伝である一書はどうか。 第5段の一書にはこうある。 イザナミの死については,「終りましぬ(かむさりましぬ)」(第2の一書)。 「神退りましぬ(かむさりましぬ)。 亦は云く,神避る(かむさる)といふ」(第3の一書)。 「神退去りましぬ(かむさりましぬ)」(第5の一書)。 第6の一書では,「化去りましぬ(かむさりましぬ)」とある。 つまり,神に対しては,決して「死」という言葉をあてていない。 そればかりか,第5段第6の一書では,神々が生成することを「神と化成る(なる)」といってみたり,イザナキが逃げるときに投げたものが,筍に「化成る(なる)」と表現したりしている。 これらは,変化して「去る」とか,変化して「成る」という感覚であり,「去る」「成る」ばかりでなく,「化」という文字にも,重点があるのではないだろうか。 神の葬送をどう考えるか ただ,第5段第5の一書には,イザナミを「紀伊国の熊野の有馬村」に葬送したという伝承が紹介されている。 「土俗(くにひと)」,すなわちその土地の人々が,イザナミを祭ったというのだ。 その祭りの様子が端的に描かれている。 しかしこれは,神話が成立した後,人間によって,そうした民俗ができたという問題である。 神の葬式を行っているから神は死んだのサ,という議論は,ちょっと違う。 ちなみに,古事記におけるイザナミは,黄泉国へ行って「蛆たかれころろきて」,という状態になるが,終末という意味での「死」を迎えたのではない。 異界に行き,ヨモツヘグイにより,そんな異形の姿になったのだ。 黄泉国は死者の国であろう。 しかし,イザナミは死んだのではない。 その世界に行ってその世界の住人になり,その世界を支配する神になったのだ。 「死ぬ」神をどう考えるか しかし,「叙述と文言」上,死ぬとされている神が,多少ある。 たとえば,「死んだ」ように語られる,上記したイザナミ。 古事記によれば,「出雲國と伯伎(ははきの)國との堺の比婆(ひば)の山に葬(はふ)りき。 」とされている。 また,イザナミといえば,その「死」の原因となったカグツチは,イザナキによって斬り「殺」される。 「殺さえし」カグツチの「死体」から,さらに神々が生まれてくるのである。 ここでは,人の心に生き続けるから「死なない」というのではなく,叙述上,生成の前提としての「死」が語られているのだから,カグツチは「死ぬ」のであろう。 他のものに変化して生きていると言ってもよい。 それは,冬と春,枯れ木と新芽,死と再生,といったテーマで,あらゆる所に顔を出す。 ツクヨミによって「撃ち殺」され,「死れり」となったウケモチノカミ(保食神)も同様だ(第5段第11の一書)。 これはこれで,古代人が神をどう考えていたかという問題とは異なるモチーフに基づいているのだ。 神が「死ぬ」伝承の新しさ こうした,伝承上,別のモチーフによるため,「死ぬ」神がある。 私は,それだけでなく,伝承の新しさに基づく場合もあると考えている。 すなわち,神は死なないという原則が廃れて,わからなくなった時代にできた伝承の中に,神が死んでしまう場合がある。 そもそも,神を,あたかも人間のように見立てて肉体化し,その「死」や「死体」を語ること自体が,新しい。 「神の肉体化」である。 上記した,イザナミの葬送や,イザナミの墓や,「蛆たかれころろく」イザナミの死体や,切り刻まれるカグツチの死体などにも,こうした要素がダブっている。 たとえば,国譲りという名の侵略の場面で,アメワカヒコが死に,アジスキタカヒコネが葬式に出向くという伝承がある。 これには,死と再生というモチーフがない。 こうした伝承は,かなり新しい伝承であろう。 古事記は新しいから平気で神が「死ぬ」という そして,神は死ぬのかという問題をめぐる伝承の古さと新しさは,日本書紀と古事記をめぐっても,論ずることができる。 たとえば古事記では,いわゆる「スサノヲの勝さび」場面で,「天の服織女(はたおりめ)」は,「見驚きて梭(ひ)に陰上(ほと)を衝きて死にき。 」とある。 古事記ライターは,神が死んだと平気で書いているのだ。 しかし,これに対応する日本書紀の伝承,第7段第1の一書での「稚日女尊(わかひるめ)」は,死なない。 「神退りましぬ(かむさりましぬ)」とある。 「稚日女尊」は,ご存じのように,日本書紀第5段本文で,アマテラスの別名「大日霎尊(おおひるめ)」として並び論じられる神である。 アマテラスの誕生について後述するとおり,「大日霎貴」とか「稚日女尊」とかは,古伝承に残された古い名称である。 少なくとも,アマテラス信仰が確立したのちの「天照大御神」という名称,「大神」の上の「大御神」と呼んでしまう精神とは無縁の,それよりも古い名称である。 そうした古伝承に属する第7段第1の一書は,神が死ぬとは言わない。 「神退りましぬ」である。 神は隠れるだけでありいつき祭る人々がいる限りどこかで生きている このように,本来は,神は死なない。 神に,終末を意味する「死」はない。 単に,現世から他の世界に去ったり隠れたりする(現世から見えなくなる)だけなのだ。 これは,当然といえば当然である。 叙述に不要な神,都合の悪い神,神話上の役割を終えた神は,神話の表舞台から退場してもらわなければならない。 ただ,そうした神々を,死んだとして抹殺するわけにはいかない。 それなりに,人々の信仰は消えずに残るからだ。 「隠れる」という文言は,神話の表舞台から姿を消したということにすぎない。 決して死んだわけではない。 いつき祭る人々がいる限り,神はどこかで生き続ける。 だから,隠れるとしか言えないのだ。 公式の場から姿を消して,どこかで生きているからだ。 人は死ぬ これに対して,日本書紀が「国内の人民(くにのうちのひとくさ)」(第5段本文),「国民(くにのひとくさ)」(第5段第2の一書),「顕見しき蒼生(うつしきあおひとくさ)」(第5段第11の一書)などと表現している人間には,まさに終末としての「死」の文言が当てられている。 「国内の人民」(第5段本文)には,「夭折」という字があてられている。 これは,スサノヲの暴虐により,その寿命以前に死んだということだろう。 「国民多に死ぬ(くにのひとくささわにしぬ)」(第2の一書)という表現もある。 死んで働かなくなった人民は,支配者にとって,何の意味もない。 その,死後を考えてやるのも,無駄なことだ。 支配者にとっての人民は,まさに現実のこの世で生きて働いていてこそ,意味をもつ。 労働してこそ意味をもつ。 もうひとつ意味をもつとしたら,支配者である天皇に徳があるか否かを判断する材料としてでしかない。 どこかで生きているというとらえ方は,できないわけだ。 これが,そもそもの問題であった。 なぜ,単独の神だけが身を隠すのだろうか。 生成したイザナキとイザナミは,「みとのまぐはい(みとのまぐわい)」,すなわち性交によって,国生みと神生みを行っていく。 すなわち,男女,広くいえば陰陽2元論的な考え方が,生成発展の原動力となるのだ。 これは,神武天皇以下の物語にもつながる原理だ。 いかに高貴なお方が,いかなる姫と結婚して,どのような天皇が生まれたか。 その系譜を示すのが,日本書紀や古事記の1つの目的なのだ。 現実世界と神話の世界を一貫した原理は「みとのまぐはい」であり「むすひ」ではない だから,人間界以前のお話,神話の世界でも,「みとのまぐはい」が生成発展の原動力である。 だからこそ男女ペアの神々は,神話の表舞台で活躍するのだ。 一方で,独身の神は,早々と身を隠す。 生成発展の原理にならないし,現実に生きている天皇の原理につながらないからだ。 その神々が,身を隠すようでいて,背後で生成発展の原理となっている(神野志隆光の説)というのは,もはや詭弁というほかない。 単独の神々は,表舞台に立たない。 たぶん,神話伝承上では,最も古い神々だったのだろう。 しかし,日本書紀や古事記の編纂においては,あまり意味のない神だったわけだ。 だから,簡単に身を隠してしまう。 神話の表舞台から去る。 こうした点からも,後付けの理屈で,ムスヒ=産霊の霊力を強調するのは,間違っている。 これこそ,日本神話の歪曲,「新たなる神話の創作」だと,非難されるべきだろう。 タカミムスヒは獨神ではないし身を隠してもいない(表舞台に立っている)という反論 こうした反論がありそうだ。 タカミムスヒは,少なくとも古事記では,アマテラスと対の神という立場に立っているし,古事記において最も活動的な神だ。 少なくとも身を隠してはいない。 日本書紀においても,第9段の国譲りという名の侵略に際し,アマテラスの「命(みこと)もちて」,アメノホヒ(天菩比神=あめのほひのかみ)の派遣を決める。 さらに,アマテラスと一緒にアメワカヒコ(天若日子=あめわかひこ)派遣を決定する。 そして国譲りという名の侵略と天孫降臨は,タカミムスヒの「命(みこと)もちて」,アマテラスが命令する。 立派に,働いているじゃないか。 タカミムスヒの位置づけは日本神話の根本問題にかかわる しかしこれは,前述したとおり,ムスヒ(産霊)の霊力とはまったく違う理由で登場するにすぎない。 天命思想。 これが許している革命の思想。 古事記では,これを封じるためにタカミムスヒが登場させられた。 また,タカミムスヒを,天孫の外戚として日本神話に位置づけるという,意図あってのことである。 その背後には,律令国家草創期から天皇の外戚として結びついていった,藤原氏,その祖とも言える藤原不比等の姿がちらついている。 意図的な神だから,公権的公定解釈である日本書紀本文では,登場が必要になった段階,第9段の「国譲りという名の侵略」で,突然登場する。 神野志隆光説の検討 高名な古事記学者神野志隆光は,現し身(うつしみ)を隠して現さず,ひそめられたところで,神々の世界に対して働くと述べている。 お言葉ですが,古事記のタカミムスヒは,「ひそめられたところで」など,活躍していません。 神話の表舞台に堂々と登場して,アマテラスと一緒に主役を張っている。 日本書紀のタカミムスヒも,第9段になると,突然堂々と登場し,主役を張っている。 本来の主役はタカミムスヒだったというような叙述である(これについては後述する)。 現し身(うつしみ)を隠して現さず,ひそめられたところで神々の世界に対して働くという説明は,もはや宗教の世界だ。 極めて巧妙な言い逃れ,観念論とも言える。 本来,古事記ライターが,正直に,「身を隠した」と述べたとおり,日本神話では活躍しなかった神なのだ。 タカミムスヒとアマテラスが,一緒に天孫降臨を命令することにして,「言依さし」こそ,「天」であるタカミムスヒの「天命」である,という理屈を作った。 だからこそ,全体に活躍するわけだ。 日本書紀の場合は,単にタカミムスヒを外戚として位置づけるだけだから,第9段の「天孫降臨」の段になって,突如出現するにすぎない。 それはそれで,筋が通っている。 神が死ぬという伝承は新しい ただ,神が「死ぬ」とされている伝承はある。 のちに個別に検討しておくが,たとえば,返し矢に当たって死んだ,アメワカヒコ。 古事記では「死にき」とされている。 続いて展開されるアジスキタカヒコネ伝承でも,アメワカヒコが死んだとされている。 死んだからこそ,それを弔うアジスキタカヒコネが登場するのだ。 しかし,この,アジスキタカヒコネ伝承と一体となったアメワカヒコ伝承は,新しい。 歌が詠み込まれ,これを導くためにアジスキタカヒコネ伝承があるようなものだ。 こうした,新しい伝承では,神も平気で死ぬ。 後述するとおり(日本神話の形成過程),イザナキイザナミ神話は,南九州の吾田で伝承された,日本古来の神話の古層に属する。 だから,そうした古い伝承では,本来,神は死ななかったのだ。 日本書紀のテキストは「かくれる」と読ませている テキストにしている岩波文庫版日本書紀,第9段本文も第1の一書も,上記した箇所を,「死(かく)れぬ」とか,「死(かく)れたる」と読ませている。 いずれにせよアメワカヒコの「喪を弔う」アジスキタカヒコネ伝承だから,「死」を前提としていることはいかんともしがたいのだが,これを「死(かく)れぬ」と読ませているのは,編者の見識であろう。 ちなみに,小学館・新編日本古典文学全集・日本書紀1は,「死(みまか)る」と読んでいる。 これは,わかってないなと思わせる。 本サイトの著作権は天語人が保持します。 無断転載は禁止します。 引用する場合は,表題と著者名と出典を明記してください。 日本神話の読 み方,すなわちひとつのアイデアとして論ずる場合も,表題と著者名と 出典を明記してください。 Copyright C 2005-2009 Amagataribito, All Rights Reserved. by 天語人(あまがたりびと) Visitor Since July 2005.

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古事記と日本書紀の違いは?文体や神話描写の相違がある理由や由来!

古事記 に も そう 書 かれ て いる

それは、歴史編纂の目的で、大和朝廷が、昔の地方王朝に伝わる歴史書をすべて集めさせたからです。 その集めたものがどうなったかというと、 すべて焼き捨ててしまったのです。 ご存知のとおり、中国では、これ以前に、秦の始皇帝が焚書坑儒ということをやっているわけです。 つまり、民間に広まっている儒教の本を焼き捨て、 多数の儒学者を殺しているわけです。 地方の歴史編纂者を殺せ、とは藤原不比等は言わなかったでしょう。 しかし、大和朝廷の正史、つまり、古事記と違ったことが書いてある、 昔の地方王朝の歴史書が、地方に残っていることは、まずいわけです。 藤原不比等が、この点について、天武天皇に、いろいろと中国史を話して聞かせたことでしょう。 「六韜(りくとう)」を愛読している不比等にとって、 そのような、大和朝廷に、 邪魔になる地方の王朝の史書を焼き捨てるのは当然のことです。 したがって、古事記編纂の目的の一つに、地方に伝わる歴史書を焼き捨てるということがあったわけです。 地方の歴史研究者が、たまには、神社に伝わる古い史書などを発見することがありますが、古事記よりも古い時代のものだ、などと言うと、 先ず歴史学会からは無視されているようです。 しかし私は、まだまだ未発見の、古事記よりも古い史書が、かなりの数,地下で眠っていると信じています。 というのは、当時の大和政権が、強制的に地方王朝の歴史書を差し出すように命令を発したとしても、必ず、 反抗して、そういったものを隠してしまう者が居たはずだからです。 そんなわけで、地方へ行けば行くほど、つまり、大和朝廷の権威が届いていない地方ほど、 そのような史書が残っている可能性があります。 まだ遺跡発掘などがあまり活発に行われていない、日本海沿岸の新潟県や秋田県あたりに、未発見の古書がかなり眠っているはずです。 上の地図からも分かるとおり、このあたりには、大陸からの難民がたくさん漂着していたはずだからです。 いずれにしても、藤原鎌足の余命はあまりないので、彼はおそらく、大海人皇子(天武帝)に、息子の不比等を紹介して、 正史編纂にかかわらせたでしょう。 古事記は、本当に、日本書紀より古いの? ところで、古事記が日本書紀よりも古いとすると、おかしな点がいくつかあるという人たちが居ます。 例えば、どちらの 書も天武天皇によって編纂作業が進められた歴史書なのに、日本書紀には古事記に ついての記述がまったく見当たらない。 また、古事記の内容は日本書紀よりも新し い。 日本書紀には他の多数の書の引用が載っているので、他にも書があったことが 分かるのですが、古事記には日本書紀の本文と他の書をまとめて1つの話にした神話という形で 載っている。 古事記の編纂者は後から作られた日本書紀の内容をどうして知って いるのか?編纂者が同じだったからなのか? また、風土記という書があり、 元明天皇によって日本書紀と同じ年に成ったこの書の内容が、古事記にふんだんに 引用されている。 本当に、日本最古の書は古事記なのだろうか? 私は、両方の史書を藤原不比等【659(斉明5)~720(養老4)】が編集長として目を光らせていたと思います。 名目上の編集長は天武天皇の息子の舎人(とねり)親王です。 当然のことながら、編集者同士の確執だとか、縄張り意識とか、ファクショナリズムとか、官僚主義だとか、 そういった、もろもろのことが関係して、そういうことが、史書の内容にまで影響する場合があったでしょう。 従って,両書をよく読んでゆくと、上で指摘されたような矛盾が、ところどころ顔をのぞかせるわけです。 これは、いわば、当然のことです。 先ず何よりも、天武天皇は、自分の王朝が正統である事を書いて欲しい。 藤原不比等は藤原氏が、日本古来からの古い氏族であることをこの両書に書き込もうとする。 しかしあまり無茶苦茶なことはできない。 なぜなら 当然、編集者の中には、新羅とかかわりのある者、高句麗とかかわりのある者、百済と強い関係がある者、それぞれの思惑を抱えている 者が混じっている。 何よりも、不比等が、親の七光りで、編集長になっていることを、内心、面白く思っていない連中がほとんどでしょう。 この編集者たちは、当然のことながら、当時の知識人、つまり、渡来人や帰化人、またその子孫が多かったはずですから、 不比等の生い立ちもよく知っている。 このような状況の中で成り立った史書であれば、当然ながら矛盾する点も出てくるでしょう。 要は、そういうことを考慮に入れて読めば、嘘や虚飾を真実からより分けることができると思います。 (次のページ) (前のページ) 筆者紹介• 日本とカナダの大学で教育を受ける。 横浜にある大手の電器メーカーでコンピューターのソフトウエアの開発に従事する。 カナダのノースウエスト隼州政府・財務省に勤務する。 バンクーバーのランガラ・カレッジおよびサレーのクワンテレン・カレッジで講師を勤める。 ヨーロッパ、東南アジア、中国、北米を幅広く旅行する。 現在、経営コンサルタント、フリーランス・ライターとして活躍している。 御意見・御感想 とても良い 良い まあまあ 良くない 最低 お名前: Email アドレス: 御感想を書いて下さい。

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奈良時代の日本書紀や古事記、平安時代の源氏物語や紫式部日記の…

古事記 に も そう 書 かれ て いる

それは、歴史編纂の目的で、大和朝廷が、昔の地方王朝に伝わる歴史書をすべて集めさせたからです。 その集めたものがどうなったかというと、 すべて焼き捨ててしまったのです。 ご存知のとおり、中国では、これ以前に、秦の始皇帝が焚書坑儒ということをやっているわけです。 つまり、民間に広まっている儒教の本を焼き捨て、 多数の儒学者を殺しているわけです。 地方の歴史編纂者を殺せ、とは藤原不比等は言わなかったでしょう。 しかし、大和朝廷の正史、つまり、古事記と違ったことが書いてある、 昔の地方王朝の歴史書が、地方に残っていることは、まずいわけです。 藤原不比等が、この点について、天武天皇に、いろいろと中国史を話して聞かせたことでしょう。 「六韜(りくとう)」を愛読している不比等にとって、 そのような、大和朝廷に、 邪魔になる地方の王朝の史書を焼き捨てるのは当然のことです。 したがって、古事記編纂の目的の一つに、地方に伝わる歴史書を焼き捨てるということがあったわけです。 地方の歴史研究者が、たまには、神社に伝わる古い史書などを発見することがありますが、古事記よりも古い時代のものだ、などと言うと、 先ず歴史学会からは無視されているようです。 しかし私は、まだまだ未発見の、古事記よりも古い史書が、かなりの数,地下で眠っていると信じています。 というのは、当時の大和政権が、強制的に地方王朝の歴史書を差し出すように命令を発したとしても、必ず、 反抗して、そういったものを隠してしまう者が居たはずだからです。 そんなわけで、地方へ行けば行くほど、つまり、大和朝廷の権威が届いていない地方ほど、 そのような史書が残っている可能性があります。 まだ遺跡発掘などがあまり活発に行われていない、日本海沿岸の新潟県や秋田県あたりに、未発見の古書がかなり眠っているはずです。 上の地図からも分かるとおり、このあたりには、大陸からの難民がたくさん漂着していたはずだからです。 いずれにしても、藤原鎌足の余命はあまりないので、彼はおそらく、大海人皇子(天武帝)に、息子の不比等を紹介して、 正史編纂にかかわらせたでしょう。 古事記は、本当に、日本書紀より古いの? ところで、古事記が日本書紀よりも古いとすると、おかしな点がいくつかあるという人たちが居ます。 例えば、どちらの 書も天武天皇によって編纂作業が進められた歴史書なのに、日本書紀には古事記に ついての記述がまったく見当たらない。 また、古事記の内容は日本書紀よりも新し い。 日本書紀には他の多数の書の引用が載っているので、他にも書があったことが 分かるのですが、古事記には日本書紀の本文と他の書をまとめて1つの話にした神話という形で 載っている。 古事記の編纂者は後から作られた日本書紀の内容をどうして知って いるのか?編纂者が同じだったからなのか? また、風土記という書があり、 元明天皇によって日本書紀と同じ年に成ったこの書の内容が、古事記にふんだんに 引用されている。 本当に、日本最古の書は古事記なのだろうか? 私は、両方の史書を藤原不比等【659(斉明5)~720(養老4)】が編集長として目を光らせていたと思います。 名目上の編集長は天武天皇の息子の舎人(とねり)親王です。 当然のことながら、編集者同士の確執だとか、縄張り意識とか、ファクショナリズムとか、官僚主義だとか、 そういった、もろもろのことが関係して、そういうことが、史書の内容にまで影響する場合があったでしょう。 従って,両書をよく読んでゆくと、上で指摘されたような矛盾が、ところどころ顔をのぞかせるわけです。 これは、いわば、当然のことです。 先ず何よりも、天武天皇は、自分の王朝が正統である事を書いて欲しい。 藤原不比等は藤原氏が、日本古来からの古い氏族であることをこの両書に書き込もうとする。 しかしあまり無茶苦茶なことはできない。 なぜなら 当然、編集者の中には、新羅とかかわりのある者、高句麗とかかわりのある者、百済と強い関係がある者、それぞれの思惑を抱えている 者が混じっている。 何よりも、不比等が、親の七光りで、編集長になっていることを、内心、面白く思っていない連中がほとんどでしょう。 この編集者たちは、当然のことながら、当時の知識人、つまり、渡来人や帰化人、またその子孫が多かったはずですから、 不比等の生い立ちもよく知っている。 このような状況の中で成り立った史書であれば、当然ながら矛盾する点も出てくるでしょう。 要は、そういうことを考慮に入れて読めば、嘘や虚飾を真実からより分けることができると思います。 (次のページ) (前のページ) 筆者紹介• 日本とカナダの大学で教育を受ける。 横浜にある大手の電器メーカーでコンピューターのソフトウエアの開発に従事する。 カナダのノースウエスト隼州政府・財務省に勤務する。 バンクーバーのランガラ・カレッジおよびサレーのクワンテレン・カレッジで講師を勤める。 ヨーロッパ、東南アジア、中国、北米を幅広く旅行する。 現在、経営コンサルタント、フリーランス・ライターとして活躍している。 御意見・御感想 とても良い 良い まあまあ 良くない 最低 お名前: Email アドレス: 御感想を書いて下さい。

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