福岡 ラグビー 高校。 高校ラグビー出場校63校に 枠増えた3県の近況は

福岡の高校スポーツ強豪校競技別一覧(全国クラス多数)

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第87回大会から第96回大会の10大会で優勝が6回と波に乗っている東福岡高校ラグビー部。 フェニックスのチーム名で高校ラグビー界を牽引する彼らは、なぜ強いのか?常に決勝に残れるような強いチームになったのか?東福岡ラグビーファンでもある当ページのライターがここに紐解く。 集客力 まず、なんといっても東福岡の強さの根源は、高校自体の集客力にある。 全校生徒2600人が全て男子なのだ。 その内ラグビー部員は約130人。 偏差値は48-61と幅広く言わいるピンからキリまでいる。 もっと簡単に言うと、東大に進学する生徒もいれば、学力がなく大学に進学できない生徒もいるのだ。 ただ大学現役合格率は95%と高い部類に入るだろう。 しかし、なぜ130人以上のラガーマンが集まるのだろうか?1つは偏差値的に集まりやすいラインという事もあるだろう。 福岡の予選でベスト4に残るレベルの高校はどれも偏差値が高い高校なのだ。 しかも公立の高校ばかりだ。 東筑高校:69 筑紫丘高校:70 修猷館高校:71 福岡高校:70 筑紫高校:63 小倉高校:67 東海大学附属福岡高校:41-56 東海大附属を除けば、どれも60以上とスポーツに打ち込んできたラガーマンにとっては少々難易度が高いのだ。 そのため、ラグビーが出来 勉強も出来る生徒は東福岡ではなく、偏差値の高い高校に入り「打倒!東」を合言葉に勉学とラグビーを両立させる。 東福岡の花園連続記録は第96回大会で17年連続だが、その前の第78回、79回大会に東福岡を破り、花園に出場した高校が東筑高校だ。 また、2014年の九州大会福岡予選では修猷館高校が初めて東福岡を29-26で撃破し、日本中の公立高校を勇気づけたのは記憶に残る。 しかし、高校に入学する15歳の男の子が就職した時の事なんて考えてはいないだろう。 しかし、高校へ入学した後の事は真面目に考えているはずだ。 だが、「ヒガシとコンパなんて興味ない!」なんて言っている子は一部のひねくれた女子高生くらいだろう。 そのため、東福岡の生徒じゃなくてもコンパに行くと東福岡と名乗る生徒もいるくらいなのだから。 モテる上に、ラグビーも強い。 おまけに偏差値が低いわけでもなく進学率も高いとなれば、勉強が得意ではなくラグビーで高校に進もうとしている生徒たちは、必然的に東福岡高校を選ぶことになるだろ。 東福岡に進み、レギュラーになれば 東京6大学にも普通に入れるのだから。 またレギュラーになれなくても3年間東福岡でプレーしたという実績があれば、選択肢は少なくなるが 大学に進む事が出来るのだ。 ただ、いくら多くの部員が入ってきたとしても、下手だらけでは強くなるにも限界があるだろう。 花園を目指し東福岡ラグビーに入部するほとんどが小学校・中学校からラグビーをしている生徒だが、福岡県は中学のレベルが高いというのも東福岡が強い理由の1つだろう。 ラグビースクールが強い! 福岡は中学校にラグビー部があまりないため、ラグビースクール出身者がほとんどだが2011年から行われている全国中学校ラグビー大会(太陽生命カップ)では2019年までの10 大会のうち5回は福岡のラグビースクールが優勝(ラグビースクールの部)しているのだ。 第1回 2010年つくしヤングラガーズ(福岡) 第2回 2011年春日リトルラガーズ(福岡) 第3回 2012年かしいヤングラガーズ(福岡) 第4回 2013年芦屋ラグビースクール(兵庫) 第5回 2014年横浜ラグビースクール(神奈川) 第6回 2015年伊丹ラグビースクール(兵庫) 第7回 2016年筑紫丘ラグビークラブジュニアスクール(福岡) 第8回 2017年横浜ラグビースクール(神奈川) 第9回 2018年吹田ラグビースクール(大阪) 第10回 2019年かしいヤングラガーズ(福岡)&ワセダラグビースクール(東京) つまり、もともと強くて上手い中学生が東福岡ラグビー部に入部するのだ。 一方で推薦枠をもらえるにも関わらず、東福岡でレギュラーになるのは難しいと判断し他県の高校に通う者もいる。 それでは、2016年の花園優勝メンバーのラグビースクールを見てみよう。 1 畠中輝 3年 (つくしヤングラガーズ) 2 岩谷知忠 3年 (つくしヤングラガーズ) 3 小林賢太 2年 (芦屋ラグビースクール)兵庫 4 清原裕揮 2年 (草ヶ江ヤングラガーズ) 5 箸本龍雅 3年 (玄海ジュニアRC) 6 吉永純也 3年 (春日リトルラガーズ) 7 牛嶋憂輔 2年 (春日リトルラガーズ) 8 福井翔太 2年 (かしいヤングラガーズ) 9 隠塚翔太朗 2年 (りんどうヤングラガーズ) 10 丸山凛太朗 2年 (草ヶ江ヤングラガーズ) 11 焼山巧雅 2年 (中鶴少年RC) 12 森勇登 3年 (筑紫丘ラグビークラブジュニアスクール) 13 堀川優 3年 (草ヶ江ヤングラガーズ) 14 山下太雅 3年 (春日リトルラガーズ) 15 古賀由教 3年 (芦屋ラグビースクール)兵庫 16 福田拳斗 3年 (草ヶ江ヤングラガーズ) 17 奥村英大 3年 (中鶴少年RC) 18 荻原壮雅 2年 (帆柱ヤングラガーズ) 19 木下龍 2年 (つくしヤングラガーズ) 20 木原音弥 2年 (つくしヤングラガーズ) 21 藤本大生 3年 (つくしヤングラガーズ) 22 平尾剛士 2年 (玄海ジュニアRC) 23 吉村紘 1年 (大谷中 ) 24 今住拳矢郎 3年 (草ヶ江ヤングラガーズ) 25 稲吉渓太 2年 (りんどうヤングラガーズ) 太文字は全国大会(太陽生命カップ)で優勝実績のあるスクール。 優勝実績はないが草ケ江ヤングラガーズも全国で有名なスクールだ。 そして、県外からの入部者は毎年数名がメンバーに名を連ねているようだが、ほとんどが福岡のラグビースクールだ。 このスクールのラガーマンたちが強い東福岡に憧れて入部するのである。 谷崎重幸という名監督 1982年から東福岡高校のラグビー部の監督を務め、4度の優勝をもたらした名監督だ。 監督なる際に、「5年で花園へ行かせる!」と宣言し僅か3年で花園出場。 しかし、30年にも渡る監督人生の中で、優勝するまでに初出場から23年を要している。 それまでは、進んでも決勝までと優勝を掴むことが出来なかった東福岡がどうして強くなったのだろう。 この番組を見た事あるだろうか? 選手の考えを引き出す。 考えさせる。 ラグビーは人を成長させるための手段にすぎない。。。。 そう、自主性。 これには、少し驚いたOBもいるだろう。 何故ならば、谷崎監督もこれまではスパルタ方針でラグビー部を強くしてきた監督だったからだ。 厳しさあまりに練習をボイコットする年代もあった。 1日練習を休むと、次に練習に出た際に激怒されるのが怖くて退部する生徒もいた。 ラックに入る姿勢が悪いとコーナフラッグで突かれる事もあった。 そんな一般的に言えば熱血教師、悪く言えば鬼監督が自主性を語っているのだ。 谷崎監督に転機が訪れたのは2001年から2003年まで休職して生活したニュージーランド。 選手の縁の下の力持ちとしてサポートする指導方法に触れて変わったのだ。 それまでは、「谷崎監督に怒られないように練習しよう。 」「怒られるからちゃんと練習しよう。 」という生徒達も沢山いた。 試合に勝って花園で優勝する事が 目的ではなく、監督に怒られない事が 目的になっていたのかもしれない。 2000年に卒業した年代がいい事例かもしれない。 元トップリーグの選手ではサントリーのプロップ 林 隆選手の代になる。 この年に花園に出場したのは東筑高校だが、この年の東福岡高校は福岡県予選決勝まで負けなしの24連勝と史上最高と称されていたのだ。 花園出場していたら、史上初の30連勝と取り上げられる年代だったかもしれない。 林 隆選手 ソース;サントリーラグビー部HP 現在の全国選抜大会とは違い、当時は、春の選抜大会は関東選抜大会という名称で、九州のチームは招待チームとしての扱いだった。 招待チームながら決勝まで行った東福岡のプレーは秩父宮ラグビー場で輝いていた。 何より、選手達が笑いながら楽しそうにプレーしていた。 自陣22m内からハイパントを蹴って楽しそうにボールを追いかける選手。 「Enjoy Rugby」とはあのような試合をするチームの事を言うのだろう。 しかし、花園予選決勝の舞台に立っているのは春に見たチームではなかった。 ラグビーをやっているというよりかは、やらされているというようなプレー。 そこには、自陣22m内から平気でハイパントを蹴るようなチームはいない。 言われた事を言われた通りにプレーする選手達がボールを追っかけていたのだ。 実はこの年、谷崎監督は奥さんの看病のため春の大会が終わるまでグランドを離れていたのだ。 そうそれまでは、現監督で当時コーチを務めていた藤田 雄一郎氏がチームを見ていた。 選手達ともそこまで年の離れていない藤田氏は怖い存在ではなかったのだろう。 更に、藤田氏がコーチに就任したのは、この2年前のことでありコーチングスキルもそれほどない。 おそらく練習メニューを考えるくらいだろう。 考えて実行するのは選手達。 春の大会が終わり、谷崎監督がグランドに戻りどのような練習メニューをどのような雰囲気でこなしていったのかは分からないが、決勝で敗れてしまったのだ。 その翌年にニュージーランドへ渡っている。 そこから選手を変えるより自分が変わり、理想を押しつけるのではなく、子供の個性を引き出すような指導方針へと変わった谷崎監督。 持ち前の指導力とマネジメントに磨きをかけ、ニュージーランド帰国後に監督に復帰してからは 11年間で7度も決勝へ進むチームに生まれ変わっている。 もともと優秀なプレーヤーが入部してくるのだから、個性を伸ばすというのは理にかなっているのだろう。 もっと簡単に言えば、 やりたいプレーを自由にやれるようになったのだろう。 そこには「怒られるかも。。 」というような感情はなく、「やってやる!」という強い志があるのだ。 きっとそうに違いない。 それがフェニックスだ! そして、何より東福岡ラグビーの試合を見ていて劇的に変化したなと感じる事がある。 それはフィジカルの強さだ。 フィジカルの強さ=常勝軍団 2016年第96回大会優勝メンバーのFW平均体重は98kgと大学生にも引けを取らない体格なのだ。 ちなみに90回大会の平均体重は89kgだった。 毎日新聞の記事にも取り上げられていたが、朝の7時半から筋トレを行っているのだ。 「体が出来れば悩みの7割が解消する」と藤田監督が言うように、確かにラグビーはフィジカルで負けてしまっては勝つのは難しいのだ。 ソース:朝日新聞 もしかしたら、これが東福岡が強い一番の理由かもしれない。 「東福岡が真面目に愚直に筋トレをするようになった」 過去の東福岡はフィジカルで負けてはしても、花園2回戦や3回戦までは行けていたのだ。 決勝まで進んでいる年代もある。 どういう事かというと、東福岡のラグビー部は筋トレ嫌いという事で有名なチームでもあった。 第81回大会に準優勝したチームの選手に話しを聞いた事があるが、真剣に筋トレをして体を鍛えていたのは2. 3人くらいだというのだ。 基本的はナチュラル筋肉らしい。 とはいえ、筋トレの時間がないわけではない。 ただ、体を追い込む事はないのだ。 ただ回数をこなす程度。 器具を持たない選手は腹筋、背筋だけで終わる選手もいたというのだ。 当時は、近くの市民体育館までバスで行く事もあったらしいが、筋トレを行わずに遊んでいた所を見られ殴られた事もあるらしい。 これは、先輩たちも同じようにやってきていたというのだから面白い。 もしかしたら、フィジカルの強さに注力していれば、もっと早く優勝を手にしていたのかもしれない。 いづれにしろ、速さと上手さだけでも強かった東福岡が フィジカルの強さを手に入れたのだ。 常勝軍団 東福岡ラグビー部はこれからもきっと高校ラグビー界をリードすることになるだろう。 粘り強いディフェンス、強力なブレイクダウン、ドライビングモールと攻守にわたり、東福岡が圧倒し20大会連続30回目の優勝を決めている。 61-0という大差。 今年の東福岡のチーム力は本物だ!高校日本代表候補は8名。

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知ったか!高校ラグビーダイジェスト⑦決勝 東福岡が2大会ぶり6回目の優勝

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名 前 福岡 堅樹(ふくおか けんき) 出身地 福岡県古賀市 生年月日 1992年9月7日 年 齢 26歳(2019年7月27日 現在) 身 長 175cm 体 重 83kg 高 校 福岡県立福岡高校 大 学 筑波大学(情報学群) 所属チーム パナソニックワイルドナイツ(2016年~) 5歳の時、玄海ジュニアラグビークラブに入り、ラグビーを始めました。 高校時代2010年に全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場。 その後、2012年筑波大学入学、ラグビー部に入部。 大学では、関東大学ラグビー対抗戦で初優勝、続く全国大学選手権でも準優勝という華々しい功績に貢献しています。 2013年に日本代表に選ばれ、同年行われたウェールズ代表選に出場、初勝利にも貢献。 2015年のワールドカップでもスピードスターとして試合を大いに盛り上げました。 現在は、パナソニックワイルドナイツに所属しながら、スーパーラグビーのサンウルブズでも活躍しMVPにも輝いています。 福岡堅樹の夢は医者? 福岡堅樹選手は、開業医の祖父の影響で、幼いころから医師になりたいと考えていたそうです。 ちなみに、福岡選手の父親は歯科医で、福岡選手のマウスピースは、父親が作っています。 高校卒業後、医学部進学を目指し、一浪しながら勉学に励みましたが失敗。 医学部と同時に受験した筑波大学に合格しました。 彼は、インタビューで次のようにコメントしています。 僕は、筑波大学の情報学群に入学し、ラグビー部で活躍する道を選びました。 しかし、『医師になる夢』をあきらめたわけではありません。 まだ先のことになりますが、ラグビーの選手として世界の舞台で活躍した後、もう一度医学部へ入学し直して医学の道を目指したいと考えています。 2019年ワールドカップ、2020年東京オリンピック後は、再び大学に進学して医学の道を志すことを決めているそうです。

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高校ラグビー 東福岡はなぜ強い?

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もくじ• 福岡堅樹の学歴~出身大学の詳細 スポンサードリンク 出身大学: 筑波大学 情報学群情報科学学類 偏差値58(やや難関) 福岡堅樹さんは高校卒業後は、国立大学の筑波大学に進学しています。 スポーツ選手には珍しく体育専門学群ではなく、一般受験で情報学群に合格しています。 実は福岡さんの第一志望は同大の医学群(偏差値68)でしたが、現役と1浪でいずれも不合格となっています。 また筑波大学を選んで進学したのはラグビーの強豪大学でありながら、医学部があるという理由だったことをインタビューで明らかにしています。 国立大の医学部で強いラグビー部がある筑波大の医学群(同大学は医学群と呼ぶ)を目指すことにしました」 また2浪して私立大学の医学部を受験することも検討しましたが、親の経済的な負担を考えてやめています。 「ラグビーの強い私立大学の医学部を受けることも考えましたが、金銭的に親には負担を掛けたくなかったんです。 1年間ラグビーと離れていたことで、その気持ちが勝ったため、筑波大学の情報学群を受験することにしました。 ここが現時点での、僕の人生の分岐点でした」 医学群には入学できませんでしたが、大学時代は同大のラグビー部に在籍しています。 ラグビー部では1年生の時からレギュラーとして活躍して、その年には同大初の大学選手権準優勝に貢献しています。 また大学2年生の時にラグビー日本代表にはじめて選出されています。 大学4年生だった2015年にも同大の大学選手権準優勝に貢献するとともに、イギリスでおこなわれたラグビーワールドカップの日本代表にも選ばれています。 大学卒業後は社会人トップリーグのパナソニックワイルドナイツに入団して主力選手として活躍しています。 またラグビーワールドカップ2019の日本代表にも選出されています。 なお福岡さんは2020年の東京オリンピックでラグビーを引退して、その後は再び医学部を目指すことを公言しています。 スポンサードリンク 福岡堅樹の学歴~出身高校の詳細 出身高校:福岡県 福岡高校 偏差値72(超難関) 福岡堅樹さんの出身校は、県立の共学校の福岡高校です。 この高校は1917年開校の伝統校で、県内では県立修猷館高校や県立筑紫丘高校と並んで「御三家」と呼ばれるほどの進学校です。 同校の2018年度の主な進学実績は次の通りです(浪人生含む)。 東京大学:7名 京都大学:5名 大阪大学:10名 九州大学:91名 早稲田大学:19名 慶応義塾大学:6名 西南学院大学:170名 福岡さんはこの高校に一般受験で入学しており、かなり高い学力を有しています。 高校時代もラグビー部に在籍しており、高校1年生の時から主力選手として活躍しています。 ただし当時の福岡さんは卓越したスピードはあったものの、スタミナがまったくなかったことから「ウルトラマン」と呼ばれていました。 また高校2年生の夏合宿で左ひざの前十字靭帯を断裂する大怪我して手術を受けています。 この怪我をきっかけに福岡さんは練習に取り組む姿勢が変わって、技術だけでなく体を大きくするトレーニングに取り組んで持久力のなさをカバーしようとしています。 ところが高校3年生の時には今度は右ひざの靭帯を断裂する大怪我を負ってしまいます。 その際も手術を受けたのですが、十分に完治しないうちから花園の地区予選に出場しています。 また2度の手術で親身にしてくれた整形外科医に憧れて将来は医学部を目指そうと思ったことをインタビューで明らかにしています。 「花園の県予選はテーピングでガチガチに固めて試合に出場して、本番を合わせると3カ月間ほどじん帯がないままプレーしたんです。 その際にお世話になったのが、整形外科の先生で。 何事もポジティブに考えさせてくれる先生との出会いで、より医師を目指そうという気持ちが強くなりました。 同時に、けがをしたからこそ見えたものもあり。 花園出場で満足することなく、大学でもラグビーを続けてみようと」 ちなみに福岡さんの治療を担当したのは福岡市内で「まえだ整形外科」を営む整形外科医の前田朗さんです。 そして高校3年生の時には「超」のつく進学校にも関わらず、花園にも出場しています。 なお福岡さんは高校時代はよい指導者に巡り会えたことから、ラグビーと勉強を両立できたとも語っています。 加えて高校時代の福岡さんはクラスではリーダー的な存在で、真面目で何事にも一生懸命だったと当時の担任の先生がインタビューで話しています。 高校3年生の時にはクラスメイトとバンドを組んでギターを担当し、文化祭で演奏を披露しています。 学校の成績も非常によく、医学部を目指していただけに数学や物理、化学などの理系の科目が得意だったとのこと。 さらに当時の同校は敷地内に「福高研修学園」という付属の予備校が設置されていたのですが、福岡さんも部活動に打ち込む傍らそちらにも通って勉強に励んでいます。 ちなみに非常に珍しい公立校の付属予備校の福高研修学園は2015年に閉鎖されています。 なお福岡さんは高校時代の大学受験の際には筑波大学の医学群のみを受験して、私立大学の医学部などは受験しませんでした。 またこの年の筑波大学の受験は東日本大震災の影響で、2次試験がおこなわれないなどの不運もありました。 【主な卒業生】 大隅良典(ノーベル医学生理学賞) 倉田真由美(漫画家) スポンサードリンク 福岡堅樹の学歴~出身中学校の詳細 出身中学校:福岡県 古賀市立古賀東中学校 偏差値なし 福岡堅樹さんの出身中学校は、地元福岡県古賀市内の公立校の古賀東中学校です。 中学時代は部活動ではなく、クラブチームの「玄海ジュニアラグビークラブ」に所属してラグビーをおこなっています。 当時の指導者からは「とにかくラグビーを楽しむ」ということを教わっています。 ただし当時の福岡さんは身体が小さかったことから、「ラグビーで上を目指そうとは思わなかった」とインタビューで述べています。 また中学校では陸上部に在籍していました。 ラグビーでも俊足として知られている福岡さんですが、中学3年生の時には福岡県大会の200mで24秒33のタイムで優勝しています。 また100mでも11秒75のタイムで県大会で準優勝しています。 福岡さんは中学3年生の時のラグビーの試合中、スライディングしながらトライをした際にグランドのくぼみにはまって足を骨折しています。 怪我との闘いのラグビー人生ですが、このころから怪我に悩まされています。 ちなみに福岡さんは3歳の頃からピアノをはじめており、中学3年生の頃まで習っていました。 そのためピアノも相当の腕前でベートーヴェンやショパンの楽曲を演奏することができ、持ち味の変幻自在のステップも本人はピアノで養ったリズム感のお陰と述べています。 スポンサードリンク 福岡堅樹の学歴~出身小学校の詳細 出身小学校:福岡県 古賀市立青柳小学校 福岡堅樹さんの出身小学校は、地元古賀市内の公立校の青柳小学校です。 家族構成は両親と姉の4人家族です。 また祖父が内科医で父親が歯科医という医師の家系に育っています。 父親は大阪大学の歯学部を卒業しており、元ラガーマンです。 さらにお姉さんは「劇団四季」に在籍した福岡唯子さんです。 福岡さんは5歳の時にラグビー経験者だった父親の勧めで「玄海ラグビークラブ」に入部してラグビーをはじめています。 小学校時代から勉強もしっかりおこなっており、必ず宿題を終わらせてからラグビーに取り組んだそうです。 そのため両親から「勉強しなさい」と言われたことがないそうです。 当時から勉強もスポーツもできる文武両道型の生徒でした。 ラグビーに関しては小学校時代は上背はなかったものの、足の速さは群を抜いていたとのこと。 当時から福岡さんは体のバネと瞬発力が桁外れで、相手選手は誰も止めることはできませんでした。 その反面スタミナがまったくなく、練習で5キロ走や7キロ走をおこなうといつもビリだったとのこと。 以上が福岡堅樹さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。 夢だった医学部とラグビーの掛け持ちはできませんでしたが、ラグビーでは日本代表の有力選手としてチームをけん引するほどの存在です。 また東京オリンピックでラグビーを引退し、医学部を目指すことを公言する異色の選手です。 そのため既に残りの現役生活はわずかとなっていますが、さらなる活躍にも期待が高まります。 スポンサードリンク.

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