カル ログ ローチェ 銃 乱射。 カルヴィザーノとは

2010年01月: (5) 無料で見れる映画まとめ

カル ログ ローチェ 銃 乱射

概要 ワンダーランド・ギャング は、・ローレルキャニオンのワンダーランド・アベニュー8763にある借家に住んでいた3人の人物を中心に形成された。 ジョイ・オードリー・ゴールド・ミラー、ウィリアム・R・ デヴェレル(ミラーとデヴェレルはカップルだった)とリーダーのロナルド・ローニアスである。 3人全員が薬物使用と麻薬取引に関与していた。 、彼らは他の2人の共犯者デイヴィッド・リンド、トレイシー・マコート、そして巨大なの持ち主として著名なポルノスターであり、彼らから麻薬を購入していたジョン・ホームズに会っていた。 ホームズは当時漬けになっており、多額の借金返済のためギャングの運び屋もしていたが、託された品物を使い込んでしまったため、ローニアスに殴打され激しく詰め寄られていた。 ホームズは苦し紛れに麻薬を大量に所持している屋敷に手引きすると申し入れた。 ホームズの提案に従い、彼らはエディ・ナッシュ(別名アデル・ナスララー)の家から麻薬を強奪する計画を立てた。 ホームズ(ナッシュはホームズを知っていて、好意を持っていた。 またホームズは彼の運び屋もしていた。 )は、表向きは麻薬を買うためにナッシュの家を訪問し、屋内を偵察して裏口の錠を開けておいた。 そしてギャングのもとに戻って報告した。 翌の朝、デヴェレル、ローニアス、リンド、マコートは、ナッシュの家に向かった。 マコートが盗難車であるフォード グラナダに残り、他の3人は鍵のかかっていない裏口から侵入した。 彼らは驚くナッシュと同居しているボディガード(グレゴリー・デウィット・ダイルズ)を捕獲し、手錠をかけた。 彼らはナッシュとダイルズを殺すと脅迫し、金、麻薬、宝石を奪った。 一味は金品を山分けするために(ホームズとマコートの分け前は少なかった)ワンダーランドに戻った。 ナッシュはホームズが関与していると踏んで、ダイルズにホームズを連れてくるよう命令した。 ホームズはハリウッドの通りで発見され、ナッシュ邸から強奪されたリングの1つを身に付けていた。 ナッシュは強盗の名を白状するまで、ダイルズにホームズを痛め付けさせた。 この光景はのボーイフレンドであり、ナッシュの家で麻薬を受け取っていたスコット・ソーソンに目撃されている。 早朝、強盗事件の2日後に、ワンダーランド・アベニュー8763の家は襲撃された。 ミラー、デヴェレル、ローニアスは在宅しており、ローニアスの妻スーザンとリンドのガールフレンド、バーバラ・リチャードスンも一緒だった。 5人全員が、溝のある鋼管で執拗に殴られた。 スーザン・ローニアスは重傷ながらも生き残ったが、他の4人は殺害された。 殺人現場にはジョン・ホームズの指紋が残されていたが、彼が殺害に参加したかどうかは定かではない。 法廷での証言によると、デイヴィッド・リンドはサンフェルナンドヴァレーモーテルで、とドラッグをやりながら夜を過ごしていたため生き残った。 殺人が報道された直後、リンドは警察に通報してナッシュとホームズへの疑惑を申し立て、初動捜査のきっかけを与えた。 捜査と裁判 捜査の指揮をとったのはの刑事、トム・レンジとロバート・スーザだった。 トム・レンジは13年後にの捜査も担当した。 警察は事件の直後にナッシュの家を捜索した。 100万ドル以上のが発見され、ナッシュは2年の懲役刑を受けた。 ホームズは、殺人犯として告発された。 検察官(地方検事ロン・コーエン)は、ホームズがナッシュ邸強盗事件の際、盗品の分け前が少なかったため、ワンダーランド・ギャングを裏切り、自発的な共犯者になったと申し立てた。 対してホームズの法廷指定弁護団のアール・ハンソンとミッチェル・エガーズは、彼が真犯人によって意志に反して、強制的に現場に連れてこられた犠牲者の1人であるとして、巧みに弁護した。 ホームズは、に無罪となった。 しかし証言を拒否し、当局に非協力的な態度を取り続けたため(ホームズはナッシュの報復を恐れていた )法廷侮辱罪に問われ、短期間を刑務所で過ごした。 、ナッシュは殺人を計画したとして、またダイルズは殺人に加担したとして州裁判所で起訴された。 ソーソンは彼らに不利な証言をしたが、裁判は11対1の評決不能で審議を終えた。 1991年の2審は無罪判決となった。 ダイルズは1995年に死去した。 、地方・連邦当局の4年間の共同捜査の後、ナッシュは逮捕され、組織犯罪懲罰的損害賠償請求法()のもと麻薬取引、、ワンダーランド殺人事件の計画実行、1審の陪審員の1人を買収しようとした容疑で起訴された。 ナッシュは既に70代になり、やその他の持病に苦しんでいたため、9月にに同意した。 彼は初審で唯一の反対意見者だった若い女性の陪審員に、50,000ドルの贈賄をしたことを認めた。 またRICO告訴とマネーロンダリングの罪も認め、奪われた金品をワンダーランド邸から取り戻すよう命令したことも認めた。 結果としてそれは傷害致死事件を引き起したが、それでも彼は殺人を指示したことは否定した。 ナッシュは4年半の禁固刑と250,000ドルの罰金刑を受けた。

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動画・画像をピックアップ• 終盤に出てくる相手は、ナビ無いとかで結構見慣れているんですが、いざ、やろうと思っても青が来ないと・・・あと、シャアは色々出てくるパターンがあるのですが、前半でS取らないと出てこないのもあるし・・・今日も青3回でチャレンジしましたが、結構時間かかりそうです。 Cは揃えなければ見れますが、3択ナビなしでBはきついですよね。 トゲトゲって鎖の付いているガンダムハンマー?とかいうやつでしたっけ?初めて見たときは「こういう映像もあるのか〜」て感心した記憶があります。 ヒゲおやじにシールドで防がれるヤツも自分的にはお気に入りデス。 後、先日はどうもすいませんでした。 もう若くないので… ちゅばパパ さん ズゴック副主任 さん KUNDAMさん 汚した感じになって、大変申し訳ありませんでした。 ちゅばパパさん、最近目的ないこと多いってことでしたら 赤バー狙いとかいかがですか? ご存知だとはおもいますが 赤バー下段停止で目押しミス 黒バー上段停止でチェ・スこぼし否定、チャ目は弱 黒バー中段停止、ベルはずれで特殊9枚 黒バー下段停止、スイカノーテンで特殊9枚重複(リーチ目) 「整備急げよ・・」でスベリベルかと思いきや特殊9枚チャ目とか、しびれます。 2コマ目押しなんでハマリ時はよくミスりますけど 明日はめずらしいもん見れるといいな・・• 余韻のギャロップの様にクルクル回って爆発したい気分でした。 珍しいものと言えば、昨日ブライトさん後ろのレーダー白で、ハズレ目が出てバケでした。 私自身初だったのでちょっとビックリしました。 (2000Gでバケ13回…祭りました…)• 赤バー狙いは年寄りにはキツイです(笑) 特殊9枚出ると、おおっ!て感じですけど、真剣に狙えるのも最初のうちだけで、だんだん目がショボショボしてきちゃってガンガンミスしてます。 白バーでさえ、長時間打ってるとスイカが〜て具合ですよ。 スイカきて演出行ったから重複したなぁって思ってたら負けまして、レバーオンでブラックになり演説でした。 残すはキャスバル兄さんのガンダム破壊命令のみです。 夢花月に入れ替えされる前にコンプしたいです。 やっぱキャスバル兄さんはチェリー絡みでないと出ないものなんですか?• 早くその画面をみたいです^^廻りでキャスバル兄さんの出てるところすら見たことないです>w< チェリー重複だからBBorBR確定なんですよね?まさかビッ確?• 枚数の違いはありますが。 ブライト「赤い彗星のシャア・・」からでした(チェリ) 天井レーダーの赤粒3倍速接近からの発展があるらしいですけど みてみたい。 みたことあるかたいますか?• 私が残すのはあとは「宇宙世紀0079・・・」のみです。 今更ですが、演出はよくできてますねこの台。 ガンオタも納得。 赤い彗星のシャアもありますが、破壊命令ではなかったです。 RT中ハズレ13回!チェリーで青、ハズレ9回。 RT中赤、カイのセリフでハズレ14回。 取りこぼしのない目押しだが、素人なのか170ゲーム回してやめていったので、ラッキーと思い隣へ移動。 赤2青4R3でハズレが、15.12.6.9.12.12。 だが、合算は1/300と酷くチャンス目を引けども引けども入らず、800ハマッてやめ。 ハズレ引き過ぎだよ!みなさんも経験あるでしょうか?• そういう時は大概負けてます。 合算はついて来ないのにRTハズレだけは良好みたいな台… どうしてもそういう台は、追いかけてしまいますね。 しかし隣の人にここまで見られてたら不快だと思いますよ• 入らんのに、タイトル出過ぎやろ!!まあ、ブラックアウトで下段白から挟み打ち、ハズレ目からの第2停止戻りが見れたのが、唯一の救いでした(笑)• 昔から、スロット打ってる人なら容易だと思いますよ(笑)• 過去の書き込みからREGに偏ることが結構あることは、推測していましたが、昨日のこと。 B3R3、150回転の空き台(総回転数1100ほど)にて勝負! 投資1kにてREG、その後も最大ハマリで210回転! まあ良い感じの台でしたが、・・・ 結果は、REG6連で閉店、15kの負けです。 ヤメ時の台の状態は、B3R9、総回転数1940。 時間があれば、おいしい台だったかも!?• 今までもあったのに気づかなかっただけかも分かりませんが、昨日のこの台、ブライトが紫のジュースを何回か飲んだのですが、紫のジュースって何ですか?• っと思ったのですが、3回目位かな? チャンス目にもならないバラケ目で止まり、何だか〜??? 困惑して、書き込みました。 ハズレ目で止まるのは経験無いです。 たまにはこーゆーネタでもいいですかネ。 余韻ムービーも出る時結構出るのに、出ないとさっぱりでないですよね…• ミハルがガンペリーのタラップ降りるシーンも同じく確定でうれしいですよね。 2グフ撃破 負けてばっかりの青い人に完全勝利! 3ドム撃破 迫力があってかっこいい映像かなと おまけ 光に埋もれるイセリナ ジ〜ン度NO1 番外 ブライトびんた ビクッとします• 挿入時ありましたね。 勘違いです。 あのマチルダさん「大丈夫!」の事だったのですが、遺影みたいといつも思ってたので… その時はマチルダさんは死んでないですね… 変な事書いてすいません…• 「大丈夫!」は復活でしたね。 「お…俺を踏み台にした?」でしたね。 恥の上塗りとは…こういう事だ〜 恥ずかしい… すいません。 MSでSランクの時と同じセリフだったと思いますがレアな余韻かなーと。 「ステップ3」だったのでそれまでにはボーナス成立してないと思いますが「RTラスト1G」で「チャンス目」画面は「ランバラルがホワイトベース内で銃で応戦中」・・・でいつもなら「ノーボーナスでガッカリ」というような状態で次ゲームでいきなり「ガンダムが立ち上がる画面(レバーガチャガチャしてガンダムを起動するような映像)」が出て次ゲームで」ランバラルがガンダムの手で自爆する映像(普段のボーナス確定映像)」につながり「青7」でした。 これってRT77G目に青7に当選でと思いますが初めてだったのでうれしかったです。 みなさんのなかでRTの最後の方でボーナス当選して「変わった演出が割り込んだ」方いますでしょうか?。 今回の「ガンダムが立ち上がる画面」はレバガチャの演出じゃなくて ホワイトベース上でガンダムにアムロがセイラと乗り変わった後のガンダムが立ち上がる映像だと思います。 まさか種あったりする?と淡い期待しながら打ってると 見事復活でリュウがお亡くなりになられました• 」が流れました。 演出終わり〜の1発ヒキだったんですね。 逆押しでそれまでボーナス無しを確認していたので、ボーナス確定タイトルが出てビックリ仰天しました。 がンダムニョキは書き換えられる時と最初から選ばれているかどちらかですが、最近見てないな〜 ランバ・ラルの「戦いというものはこういう事だ〜!」はいつ見ても涙腺が…ジーンときます。 どこで当選してたか判りませんがとにかく嬉しかったです。 ご報告まで(^^)。。。。 自分では、バグなのかどうか、解らないのですが、こんなの体験ありますか? 青7でBIGを消化している時ですが、獲得枚数が260超えた付近で、映像が格納庫、 後ろにガンダム、手前に普通はアムロ・ハロ・フラウボーがいる時の事です、 違和感があり、注意して見るとアムロがいなく、誰も座っていない椅子だけ! フラウボーがお茶を持って来るのがこっけいに見えました。 その後のRT中にチョット変化を期待したのですが、何も無く 普通に消化した事がありました。 スミマセン、話題それましたね。 ありがとうございます。 結構いろいろあるんですね。 ガンダムは奥が深い・・・・。 大分理解が深まってきましたが、分かってくると返って混乱しはじめました。 私の場合まだ立証数が少ないので皆さんの意見をお聞かせ願います。 設定差による演出の出やすさは無いのでしょうか? ザビ家の演説は、2回聞きましたが何れも高設定が期待できる台でした。 また、リュウのジープ演出も2回経験しましたが、明らかに低設定台でした。 無いでしょうか?• (アルゼ系のビッグ中の特定演出で設定示唆はありますが) 演出はあくまでも演出だって思ってください 普段見れないような演出も確定してるなって 思ってわざと揃えないでると見れたりしますしね• やっぱりそーですよね。 この前、バグかな? と言う演出がありました。 ブライトがエレベーターから降りるやつですが、普通はミライと会話して・・タイトル予告があったりしてVSですよね。 ・・・が、次Gでまたエレベーター(子供たち)・・で、次Gが振動でミハルのミサイルに行きました、変な感じでしたが当たったのでOKみたいな。 これって正規の現象ですかね?• BETT後ブライト画面になると期待しちゃいます。 次の演出は何かなーって。 じゃなかったかな? ちと説明悪いけど。。。 自分の場合これだと当たったことありません。 チャリン!「・・・・我々が・・鉱物資源で・・10年は戦える・・」は、何ですか? チェリーもスイカも否定で、・・・結果!種無しでしたが。 もう一個の「キシリアきかの我々〜ドズル配下のランバラル」っていうのは出ただけでかなりアツいですよ。 後、ある意味、設定差が一番あるのはお店選び(5.6投入率)だと思いますよ。 一つはミライとの会話「今はアムロを・・」の映像を経て から対グフ戦。 タイトル期待しながらベットです^^ もう一つは単発名場面ムービー、ブライトびんたです。 激アツ! で、おそらく速攻ベットしたため、びんたシーンをキャンセル してしまったんだと思います。 かなりショックでしたが考えてみればハロもスイカに対応 してますし、そういうものかなと・・ ただハズレ目チャ目は確定と信じてます。 よろしくです。 探しましたが見つけれませんでした。 よければ詳しく教えてもらえませんか?• そこまでは判ったのですが、その先のどこにあるか、自分で全部みたつもりですが探せなかったので更に詳しく知りたかったのです。。 お手数かけますが宜しくお願いします。 もう完全」 「来るべきものが来たって感じね」「頼むわね」 フラウ 「どんどん私から離れていっちゃうのね、アムロ」 「ええ、アムロ。 それでアムロよ」「アムロ、お疲れさま」 ハヤト 「何だよ、どうしたと言うんだよ」 「ふぅ〜、叩かないでください」「任せてよ」 カイ 「そういう言い方、好きだぜアムロ」 「ホント、軟弱者かもな」「ミハル、俺はもう悲しまないぜ」 セイラ 「…。 まさかジオン軍に入っているなど」 「頼むわね、アムロ」「兄さん!!」 アムロ 「しっかりしろ!君は強い女の子じゃないか! 「母さん!!うっうっ(泣)」「アムロ、うまくやれよ」 ブライト 「ふさぎこんでいても、戦いの事を忘れちゃいなかったんだよ」 「肩に力が入り過ぎのようだ」「…た、助かったのか?」 が2chからコピペだけど、 ブライトがパンク1枚(ハズレ目) ミライ、フラウがチョリスイカ セイラ、カイ、アムロ、ハヤトがチャンス目 かな、全6みたけど自分もわかりませんでしたw• そういう私も某CSの番組見て初めて知ったんですけどねw• AMURO さん ・KUNDAM さん ・そんなに/ さん色々皆さんにお手数かけ、ありがとうございました。 大変参考に成りました。 涙・涙・涙。。。 そこで最後に聞きたいのですが、この喋るキャラでだいたいの設定判別ってできるのでしょうか?宜しくお願いします。 なるほど・・・。 色々とお世話かけました。 感謝・感謝です。 また何かありましたら宜しくです。 どもっ。 そんな声よりも、青7テンパイ時のアムロの声が聞きたかったです…(1度も聞けず) しかし、ジャブローとRT中のリュウが2回みれて嬉しかったです。 後、初めてだったのですが、RT中ボーナス無し(逆押し確認)で、CMタイトル時にボーナス確定タイトルがでたのは、ビックリしました。 しかし、強チャンス目が少ないですねー。 差枚数はどれぐらいだったのでしょうか?僕なら、閉店まで全ツッパだと思う内容ですが!!• 朝一1kで赤2連、追金7kでモミモミでピーク時で2000枚位かな?設定456はある(自分の中では設定6)と思ったが、バケ祭りで心が折れました… 設定低くても高くても青7来ない台は、調子が悪いと思い辞めてしまいました。 オカルトなのですが、どの台でもBBとBRが同じ位の時で、調子がいいと途中からBBが伸びる感じ(昔のノーマルA)なので、ちょっとバケ確率が良すぎて、バケ先行ばかりだったのでヘタレ辞めしてしまいました… 見てないですが、夜に吹いていたのかも… 後、2つ隣で青7連チャンしていて、非常に羨ましく見ていて辛かった… まあ、こんな日があると思って諦めてます。 僕も、以前に打ったデータを見てみると、夕方17時まで打って、4680ゲーム、BB25(青5赤20)BR14ってのがあります。 朝一から、赤1、BR8と偏りましたが、後半BBが盛り返して2500枚程流せました。 フォーサイドさんが、おっしゃる通りどこでBBに偏るかが勝負の分かれ目だと思います。 自分もかなり前に書いたことありますが、その時はガンダムのことを良く知らなかったので、朝一からバケ祭りで20Kで(同じく1Kから始まり、赤1バケ8回)で捨ててしまいました。 夜行ったら常連さんが打っていて、ドル箱3つ持っていました。 自分が凹んだ分を合わせて、4000枚てのを見たことがあります。 パンク役からの赤にかなり偏ったらしいです。 今ではデータを熟知していますが、それからこんなのは経験したことがありません。 (涙)• ですね。 ジャグ等など、バケ先行する時は調子がいいと何処かで、BBが追い越す印象があり、たえずバケ先行はいい思いをあまりした事が無いので… それは、それで仕方無いと思いますが…その引きならBBを引いてくれと、自分自身に言い聞かせてます。 ちなみに昨日は、ガンダムにめぼしい台が無く、バイオでいきなりBBからプレミアタイラントなのに、すぐにBBで、タイラントやっつけてしまいました… そんな引きは、要りません…引きが良いのか悪いのか…• そうですねそんな時すごく思います。 只でさえ巨人も和尚に叩かれますもんね。 今度のガンダムにはあるのかもですね。 ARTらしいので、気軽に出来る機種にしてほしいものです。 設定低くても青7祭りで遊べる仕様みたいに。 昨日の台ですが、B1R1後180回転の空き台を1Kにてリールナビ、中・右・この時点で青7テンパイ、ベルノーテン、青7を狙うと揃いました。 この後、青3赤4R2回拾ったのですが、RTでの当りは無く、100〜250回転で引く内容で、RT中はstep7まで行っても当たりには結びつかず、・・・どの位の設定だったのか? まったく分かりません、推測のつく方、教えて下さい。 赤7も引いているが、過去経験で朝から赤7、3連発で、お?と思ったがそれっきり赤7来ず…(夕方まで)と言う経験があります。 その時はブライトさんのやる気満々で青7祭りがあり、それなりに楽しめましたけど… 後、RT中のハズレなどや回転数がわかるといいですが、(100〜250)平均175にボーナス1回と言う事で、赤7考慮で設定3位ではどうでしょう?• これだけでも数えるべきですよ。 何Gくらいでよく当たったとかもあまり関係ないですよ 直接ね。 総回転数と各ボーナスの回数である程度ぜんぜん精度 高くないけど、わかれば設定判別サイトってのがあるから それに入れると予想してくれるサイトありますよ。 だから今度は総回転数も教えてくださいね。 えらそうなこといいますけど 大まかでもわかりたいというのなら、平均何個じゃなくて ちゃんと数えていただけないとわからないという答えしか 5〜6回なら上は期待できないですね。 後、RT中のハズレもですね。 何日か前に基本的な設定判別要素を書き込みましたが詳しい数値などは下記サイトを参考にしてみてください。 php? 何回かのスレからして、失礼かもしれませんが基本を憶える必要が有りそうですね。 もちろん、ココは情報交換の場ですから、質問は大いに結構だと思います。 常連さんたちもそれに答えてくれるハズです。 でも、その前に過去ログ見たり、検索したりする事も大切です。 そうすることで質問内容が具体的になれば、常連さんは詳しく答えてくれますよ! がんばってくださいね。 昨日は、データを取ろうと意気込んで打ったのですが、完敗に終わりました。 「チャンスよ!」の言葉ですが、回す前に言う時と、リール停止後の時とでは、だいぶ違うんですね(前<後)昨日痛感しました。

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グルガオンに暮らしたとき、50度近い6月の暑さもマイるが、5度ぐらいまで下がる、暖房のない大理石床の部屋で迎える1月の寒さもなかなかにコタえた。 というわけで3月に入る頃、春めいた季節が来るのがとてもうれしかった。 そんな週末のある日、マディヤプラデーシュ州の美しい遺跡の町マンドゥに出掛けた。 マディアプラデーシュは「真ん中の国」の意味で、名前のとおり亜大陸の中ほどに位置する。 デリーからインドールの空港に飛び、そこから国道3号線を南西に2時間ほど車で走る。 これは前の月にムンバイからナシックのワイナリー巡りに訪れたとき、北東に走った道の延長上。 国道を折れると、春の陽気の中、牧歌的な風景のそこここに遺跡が見え始める。 のんびりといい感じ。 途中朽ち果てた建物跡で車を止めてもらった。 こんな建物が普通に野ざらしになっていて、面白い。 門を通り抜けて道路が城内へ登っていく。 道端にマンドゥフォートの見取り図があった。 なるほど、周囲より高くなった台地の上に城が築かれたわけだ。 マンドゥのハイライトと言っていいジャハズマハル(船の宮殿)に着く。 池の脇に建つこの宮殿は水面に浮かぶ船のように見えたらしい。 おっさんが流暢な英語で勝手に説明を始めてくれたんで、聞きながら着いて歩いた。 印度で一番古い城はチットールガルで、ここは2番目に古いとのこと(真相は知らんけど)。 暑く乾燥したこの地で治水は城を守る上で最も重要なポイント。 生憎乾期で干上がってしまっているが、その昔はたっぷり水を湛えていたであろうプール。 プールに面してひんやり風を通す設計の回廊。 ハレムには15000人の姫がいたらしい。 宮殿の屋上にもいくつかプールがあり、水を流すチャネルがあちこちに切ってある。 先に歩いているのがガイドのおっさん。 宮殿の奥にも貯水池。 さらに先はヒンドラマハル(揺れる宮殿)という建物で、大きな団扇が天井から下がっていて、涼むことができたらしい。 その横にある小さな建物はサウナだった。 蒸気を通したパイプが壁を伝っている。 部屋の中にもお湯が通る戸井が見える。 一見石造りのごつごつした感じだが、水と風を味方につけて、過ごしやすいよう細かな工夫に溢れている。 すごい! ガイドのおっさんにお礼を払って宮殿の敷地を後にし、しばらく進むと立派なジャミマスジット。 さらに遺跡群はまだまだずっと続く。 この辺りバオバブの木も多い。 城の南端まで来ると、丘の上にループマティ離宮が建っている。 台地の下が広く見渡せて気持ちいい。 ああ、一瞬だけのいい季節。 3月からバンコクへ移るんで、丸3年お世話になった印度を離れることになり、最後の旅は初めて来たときの目的地アジャンタ・エローラを久々に訪れた。 デリーから昼のフライトでアウランガバードに飛び、ホテルチェックインの後オートを拾ってまずはアウラングゼーブ妃の廟墓ビービーカマクバラに参拝。 翌朝ホテル近くのバスターミナルから毎朝8時過ぎに出るという観光バスに乗り込んでアジャンタへ。 壁画も健在。 そして翌日は車を雇ってエローラへ。 大好きな第16窟カイラーサナータ寺院。 ひとつの岩から削り出された巨大建築物は相変わらずの迫力。 他の仏教、ヒンドゥー教石窟遺跡も順に観て回る。 前に回ったジャイナ教石窟までは時間が足りずに足を伸ばせなかった。 エローラから空港に向かう途中、古くは首都にもなり、ムガル帝国時代はアウラングゼーブもデカン統治の基地としたダウラタバードフォートに寄る。 攻めて来た敵を欺くため、頂上にある城への迷路がすごい! 結構ハードなルートを登り切って城のてっぺんへ。 最後にこの眺め見ときたかったんだよな。 印度には大変お世話になりました。 ありがとう! 11月の週末にジャグダルプルの滝を見に行こうと、Indigoのフライトと滝に近い宿をネット予約したら、モディ首相がいきなり500と1000ルピー札の無効を宣言した。 フライトと宿の予約はもうずらせないし、とは言え現金もなしにどうやって現地で車手配して食事すればいいのか不安だったが、まあなるようになるさとチャッティスガル州にひとっ飛び。 州都ライプルのターミナルはまだ新しい立派な建物。 地方に行けば、街中のように銀行に長蛇の列がないのではと淡い期待が実はあったのだが、地方は現金不足がより深刻で銀行での新札両替はとても望めそうもない。 車は、僕がカード払いでガソリンを満タンにし、そのレシートを運転手に渡すという物々交換でスタート。 現金がないと道路脇のドライブインでの食事も難しいが、なんとかカードリーダーのあるダバ(食堂)を見つけて行きも帰りもランチはここでお世話になった。 運転手とふたり分の食事+チャイの合計たった180ルピーをカード払い。 でもよかった、ともかくランチにありつけて。 印度に生活すると、何でもない日常の有難みを改めて思い知らされる。 運転手が滝は日の出の時間に行くのが最高だと言うので、この日は宿に入って寝た。 翌朝、まだ暗いうちに宿を出て、村を外れて半時間ほど進んだシヴァ寺院で車を下ろされ、なんだろここ?と思ったら、寺院を抜けて下ったところが滝だった。 滝の上では沐浴の人々。 階段で滝壺にも降りられる。 ここでふたりで60ルピーと言われて、なけなしの10ルピー札を渡して小舟で滝に近づいてもらった。 ナイアガラフォール以来の迫力体験だった。 セヴンシスターズ(北東部7州)で最後まで残ったトリプラ州とミゾラム州を制覇するというお題で、デリーからIndiGoに乗ってトリプラ州都アガルタラに飛んだ。 地図で見ると、バングラデシュに突き刺さったようなトリプラ州と、ミャンマーに突き刺さったようなミゾラム州は実質的にそれぞれ飛び地になっているので、わざわざ出向かない限りたまたま通り掛かることはない。 コルカタで一旦ホップして西からバングラデシュ領空に入り、東まで横断して再びインド領を目指す。 アガルタラの滑走路はほぼ国境線上に位置してるので、着陸寸前まで見えているのはバングラデシュの景色。 空港ターミナルから出ると、そこには都会の空港にはないオートリクシャ乗り場がのんびり存在し、さらにその先のゲートを出ると一般道にもまたオートリクシャが屯して客待ちしているので、ここから町の中心まで約14kmを120ルピーという安値で移動できた。 アガルタラには他のほとんどの北東部の都市と同様に交通信号がひとつもない。 安全なので警官は銃を携帯しない。 宿はポストオフィスチョウクと呼ばれる中央郵便局近くに取った。 かつて東パキスタン(バングラデシュ)から分捕ったという戦利品のタンクがロータリーの真ん中に今でも飾ってある。 このロータリーには警察署もあり、その並びには女性警察署がある。 男性は男性警官が、女性は女性警官が取り締まることになっているらしい。 びっくり!世界で初めて聞いた、このシステム。 トリプラ州の主要言語はベンガル語。 ちょうどナヴラトリの期間中だったので、町のあちこちにベンガル圏人気No. 1のドゥルガのペンデル(パヴィリオン)が建てられ、夜には一斉に電飾が着いて賑わいを見せていた。 ドゥルガを中心にその左右にラクシュミとサラスヴァティ、さらにその脇にシヴァの息子であるガネシャとカルティカ(スカンダ)。 特にすごかったのはこのペンデル、とてもにわか造りには見えん。 竹で作った壁の装飾まで細かく凝っている。 翌朝トリプラ州北部に残る巨大彫刻遺跡ウナコティに向かった。 町を出てしばらく走ると左右に茶畑。 他にも水田が青々と広がったり、ゴム林を通り抜けたり、豊かな農業生産の景色を楽しむ。 アガルタラは周囲をほぼぐるりとバングラデシュに囲まれていて、その国境沿いをドライヴ。 道路が最も国境線に近づいたところで停めてもらい、僕も片足だけ初めてのバングラデシュの地を踏ませてもらった(笑。 途中どんな小さな村にも必ずドゥルガのペンデルがこしらえてるのが見える。 4時間以上掛かってウナコティに到着。 8世紀頃彫られたという岩肌の神々がなんだかシュールな作風。 額に第3の目、左手にトライデント(三叉戟)を持ち、手前にナンディが控えているので、シヴァに間違いない。 隣にはさらさらと小さな滝が落ちている。 後ろは妻のパールヴァティとドゥルガか。 渓流をさらに一段降りると、今度は息子のガネシャが太鼓腹を見せて並んでいる。 面白い! ちょうど遺跡を見終わったところでかなり激しい雨が落ちてきたので急いで車に戻り、東隣のミゾラム州境に向けて走り始めた。 峠で小象が2頭おとなしく並んで雨宿り。 1時間以上走ると沿道の人々の言葉がミゾ語に変わる。 州境の町、トリプラ州側ダムチェラ、小さな橋の向こうミゾラム側はカヌムンに着いてランチ。 小学生くらいの男の子が店頭で粉をこねたり卵を焼いたり大活躍中の食堂に入った。 ガラスケースに見える右がチキン、左は川魚のフライだと分かるが、真ん中の黒くて丸いのは何だろ? 白いご飯に男の子が目の前で焼いたオムレツ、川魚のフライ、黒丸、サブジを乗せてもらう。 表面が焦げた黒丸の中身はクリームコーンコロッケだった。 んまい! 食堂の並びの魚の干物屋、味があるなあ。 トリプラ州の警官は銃を持たないのに、この州ではやたらライフルやピストル持ち歩いている男の子が多く、侮れない。 橋を渡ってカヌムン側に入ってみる。 歩いているうちに一緒になった若い女性は、洋品店で新しいサンダルが買えてうれしそう。 とてもいい感じだな、ミゾラム州。 見た目東アジアっぽい人々。 ここで一般的なのはミゾ語だが、英語教育のキリスト教州で禁酒州、犬食の風習が残るらしい。 聞けば聞くほどどこの国だかわからない独特の雰囲気! この後アガルタラの宿まで引き返すけど、次はミゾラム州単独滞在でまた来たい! 最後の朝、デリーに戻るフライトの前に国境に寄ってもらった。 アガルタラの町の中心から車でわずか15分。 運転手が日本からVIPをお連れしましたみたいないい加減なことを言ってゲートを開けさせ、どんどん奥に進んだ。 この白線がまさに国境というところで、手前からインド兵と奥からバングラ兵を呼んで一緒に記念写真撮ってから、町を後にした。 空港の手前、道路脇にまたまた独創的なアートを発見。 なんだ、こりゃ? ああ、ペンデルだ。 みんなでドゥルガに音楽を捧げているというテーマらしい。 ホント、驚きの発見が多い北東州最果て2州の旅だった。 まだまだ奥が深そう! インダス文明と言えば、文字通りインダス河流域であるパキスタンのモヘンジョダロやハラッパー遺跡が世界的に有名だけど、インド国内に存在する同年代のインダス文明遺跡を見にまずはアーメダバードに飛んだ。 アーメダバードから90km南下したところにあるロータル遺跡。 紀元前2500から2000年ほど前のしっかり下水道の整った町や、ドックと呼ばれる船着き場跡が残っている。 手前の小さい博物館には、当時の壺やナイフ、分銅といった道具、サイコロやフィギュアの玩具などが展示されていて興味深い。 ロータルを後に車窓から塩田など眺めながらグジャラート州を横断するように、一昨年暮れのホワイトラン観光以来のまでドライヴ。 夕方ブージのショロフバザールを歩いてみたけど、目を引くような手工芸品は町中では見つけられなかった。 翌朝日の出と共にブージフォートを散歩。 気持ちいい。 町に戻って朝食に人気のダベリ。 その後カッチ博物館を見学した。 この日は、前回ホワイトラン観光で通り過ぎてしまったカッチの手工芸の村々に寄ってみたくて、まずは基礎知識習得のため、ブージから北へスムラサール村のカララクシャという手工芸保存普及組織のショールームを目指したが、生憎日曜日は閉館だった。 さらに北へ真っ直ぐバンニの入り口で、ホワイトランへのチェックポストのあるビランディアラの村に向かう。 バンニ一帯にはパキスタンやアフガニスタンから移り住んだムスリム職人の村が点在している。 キノコが並んだような家の中で村の女性たちに布やアクセサリーのお土産を買うよう勧められる。 ビランディアラを左折してさらにホワイトラン目前まで進んだムトワ族のドルド村。 ソフィアという村の女性に、装飾がとてもかわいいうちの中でいろいろな布を見せてもらい、彼女自身の手縫いである綺麗な細かいミラーワークの刺繍布を2枚買った。 この日ビランディアラ村で買ったアクセサリーとドルド村で買った刺繍布。 途中でランチにグジャラティターリー。 チャスというバターミルクがデフォルトで付いてくるけど、これは苦手。 次にブージから東に少し行ったブロックプリントの村アジラクプルに入る。 たくさん並んだワークショップのいくつかに勝手に入って間近で染色作業を見せてもらう。 作業は細かいが、動作は速い。 あのね、君ら楽しそうに踏んでるの、お父さんのお仕事でしょ。 翌日はいよいよ最終目的地、カッチ湿原に浮かぶカディール島にあるドーラヴィラのインダス文明遺跡を目指す。 途中で女性を荷台に満載したトラックとすれ違ったり抜いたりした。 またここでは頭の上に重い水瓶を載せて運ぶのも女性の仕事のようだ。 ここの女性は何かと大変そう。 正面にカディール島、一本道の両脇の湿原はモンスーン期が終わり、だんだん乾いて塩砂漠になるつつある。 ドーラヴィラは島の奥の方にあった。 4000年以上前の立派な城跡。 これまで訪れた城跡の中で断トツの古さ。 例によって緻密に水の流れが管理されていた町の跡。 遥か昔の文明の高さに感心させられる。 のカルパ村を出て途中ナコで休憩し、10時間近いドライヴに運転手ももうへろへろで、スピティ渓谷に差す陽も随分傾いた頃、ようやくタボに到着した(標高3280m)。 暮れなずむ中、ゲストハウスTiger Denの周りを歩いてみたら、わずかに商店ひとつと、ゴンパの前にみやげ物屋が2軒並ぶだけの鄙びた村だが、ここはグゲ王国からカシミールに渡って仏教を学んだリンチェンサンボが千年以上前に開いた由緒あるゴンパのある聖地である。 既に本堂の扉には南京錠が掛けられていたので見学は明日に回してゲストハウスに戻ると、欧米からの観光客が目立って多かった。 メニューにもイスラエル風サラダなどとあったので、カレー、チャパティと一緒に試してみた。 翌朝日の出と共にゲストハウスを抜け出し、朝のおつとめに参加。 まだ本堂は開いてないので、その後ゴンパ裏手の丘の斜面に掘られた僧院跡に登る。 丘の上からは朝焼けのタボの村が一望できる。 新しい参拝堂は普通にチベット様式だが、右手前に見える古い本堂は、砂漠の中のグゲ王国を思わせる独特の造り。 一旦ゲストハウスに戻って、チャイとトーストで朝食を済ませてから改めてゴンパに出掛け、本堂内部を見学した。 ラダックのアルチゴンパと同様、古いカシミール仏教の流れを汲む仏像や壁画が息を飲むほどに美しい! タボの村を出発して山道を登る途中、車がオーバーヒートして往生したが、昨夜宿で挨拶したアメリカ人男性ふたり連れの車が通り掛かりに助けてくれて、どうにかダンカルゴンパに辿り着く。 おお!素晴らしい眺め。 てっぺんの本堂で歌うようにひたすら経を唱え続ける僧侶たち。 この日はスピティ最大の村であるカザ(標高3600m)でイカしたパティオのあるゲストハウスSakya Adobeにチェックイン。 ここのところ山道ばかりを走ったもんで、カフェや商店が並んでいるのがうれしくてつまみを買い込み、スタッフにビアを運んでもらって部屋の前で一服。 ぷはーッ! キナウルでもスピティでも、ホテルスタッフの対応が印度標準を遥かに超えてフレンドリーで気が利いている。 感心! モンスーン期のキナウルが寒くて不安だったが、一年中ほとんど雨の降らないスピティは、1000mほど高度を上げたのにもかかわらず、Tシャツで過ごせる気候だった。 商店街を歩いときに、若い白人女性にキーゴンパに宿坊したいがどう行ったらいいかと尋ねられ、僕らも明日行くのでよかったら途中で降ろすよと、一緒することになった。 翌朝、カザのゴンパで例によっておつとめ。 朝食の後女性と合流してスピティ河東岸を北上しながら高度を上げる。 女性はマリアという名でマドリードに住んでるらしい。 職業を尋ねると弁護士とのことで、ほお!と感嘆の声を上げたら、スペインで弁護士の社会的地位はそれほど高くなく、この旅を機に転職を考えているとのことだった。 丘の上から弥勒大仏が見下ろすランザー村が左に見えてきた。 さらに、世界で3本の指に入るという標高4530mの村、コミック村に進む。 以前にやのせいぜい3600m程度で空気の薄さを感じたのに、村の中を散歩しても全く息苦しさを感じない。 これがキナウル・スピティ反時計回りのメリットで、2200mのシムラから徐々に高度を上げたので身体が順応している。 コミック村にある立派なゴンパ。 本堂では、高僧に取り囲まれたひとりの少年僧が経の試験を受けているところだった。 こんな厳粛な行事の最中見学させてもらってすんません。 世界一高い郵便局があるという隣のヒッキム村にも寄った。 4440mの看板のある郵便局前で、ひたすら村の子供たちを撮り続けるマリア。 記念にここで葉書か切手でも買おうと思ったら、売切れとけんもほろろに断られた、残念。 ここから車は道を変え、この旅の一番の目的地であるキーゴンパに向かう。 わー、これこれ、この目でひと目見てみたかった! こちらも千年ほど前の開山と伝えられる。 キーゴンパの麓では、有難いことにリンチェンサンボ21世の説教中で、周辺から集まった村人たちが熱心に聞き入っていた。 本堂に登る。 本堂脇に、ダライラマ14世も宿泊した宿坊がある。 マリアが泊まりたいと言っていたところだ。 中に4部屋ほどドミトリーがあり、3度の食事と2度のチャイにベッドとタオル付1泊250ルピーという説明書きが貼ってある。 ここでマリアともお別れと思ったら、友達と来るんだったら泊まるけど、ここで夜ひとりで何していいかわからない、と急に弱気なことを言い出して、一緒にカザに戻ることになった。 それも貴女のスピリチュアルレベル次第で、と言ったら大笑いしていた。 カザから天空の村巡りの最後は、キッバー村に寄る。 こんな辺境の村にもちゃんとしたゲストハウスがあって、白人男性がテラスに腰掛けているのが見えた。 翌朝、2連泊したカザを出発。 見渡す限り岩山しか見えない荒野の中、運転手がダッバ(ドライヴイン)の前に座ったおばさんと挨拶を交わした。 顔見知りのようだ。 まだお昼には少し早いが、折角なので中に入ってみると、テントの中はびっくりするほど素敵な空間になっていた。 ここでマギー(インスタントヌードル)頂く。 さらにスピティの玄関であるクンズムパス(4550m)、 クル渓谷とラホールを結ぶロータンパス(3980m)を通過。 ロータンパスで車を降りて歩いてみた。 風が強く、ガタガタ震えるほどの寒さ。 道路沿いの岩陰に、この時期にしか見られないブルーポピーをいくつか発見。 夕方マナリ到着。 モールロードにほど近い素敵な宿Johnson Lodgeに入る。 ああー、なんちゅうか、長旅から無事に戻った充実感と、この素敵な旅が終わる寂しさの両方が一遍に去来するぜ。 7月のモンスーン期真っ只中にキナウル・スピティを巡った。 から、、、そしてとヒマラヤの麓をぐるり回った身には、ヒマーチャル・プラデーシュ州のキナウル渓谷とスピティ渓谷がミッシングリンクの秘境になっていたので、シムラから入ってロータンパスからマナリに出てくる反時計回りのコースを選んだ。 友人と合流し、夜中のデリー駅でコルカタから大幅に遅れてやって来た寝台特急に乗り込み、翌朝終点カルカでトイトレインに乗り換えて、シムラまで標高差1420mを登る。 キナウル・スピティの長い道のりを1週間で回るため今回はシムラの街に寄らず、サトレジ河沿いに車で一気にサラハンに向かう。 サラハンの村ではちょうどリンゴの収穫期を迎えていて、村人たちが荷台のカゴにリンゴを満載していた。 サラハンで宿泊した州政府系ホテルは名刹ビマカーリー寺院のすぐ向かい。 天気が悪いこともあって標高2300mで肌寒さを感じた。 この後スピティでは4000mを越えるのに、出だしから旅の先行きが不安になる。 翌朝小雨の中を歩いてビマカーリー寺院に参拝する。 初めての木造ヒンドゥ寺院。 静かなとてもいい雰囲気。 靴を脱いで中まで無料で参拝させてもらえる。 キナウル周辺でよく見るテパングというフェルト帽。 朝食の後サングラに向けて出発したが、途中で大雨に遭い、轟轟とダムから斜面を流れ落ちてくる水量に圧倒される。 後で知ったが、ちょうどこの時期ネパールやブータンでも豪雨による災害が起きていたころ。 本当はこのままチベット国境近くのチットクル村まで行くはずだったが、雨で道路が閉鎖されたとのことで断念。 サングラ近くのキャンプでテント泊。 翌朝は明るい陽が差し、近くのカムルー村に行って、カマキヤデヴィフォートという要塞寺院に登った。 麓の寺院でくつろぐおばあちゃん達に写真撮らせてもらったら、なぜだかお供え物のクッキーを持ってけと数枚渡された。 おおきに! フォート頂上のヒンドゥ寺院。 ええとこやなあ、ここも。 サングラを出て、サトレジ河対岸にあるレコンピオの町にちょうどお昼頃到着し、チベット国境すれすれのセンシティヴな地域であるキナウルとスピティの境を通り抜けるためのILP(入境許可証)をここで申請する。 役所でパスポート渡して写真を撮られ、手続きに1時間ほど待てと言われたので、町に出て屋台でパコラをつまむ。 無事にA4にプリントされたパーミットを受け取って、そのままカルパ(標高3000m)に進んでホテルKinner Villaにチェックインすると、部屋の窓いっぱいにキナウルカイラス(6050m)が見えた。 なんでもカイラス山(チベット名ガンリンポチェ)に住むシヴァが冬の間だけここで過ごすと言う。 まだ陽が高かったので、夕方隣のロギ村まで4kmのトレッキング。 擦れ違いざまに通じない会話を交わしたハンサムな牛追いのおじいさん。 たぶんヒンディ語だったと思うけど、答えられなくてごめんなさい。 ロギ村のヒンドゥ寺院、ここでは定番の木造り。 翌朝キナウルカイラスから陽が昇ると同時に、今度はカルパ村の中心にシルエットが映えるナラヤンナギニ寺院目指して散策に出掛ける。 カルパ村を通り抜ける。 イカした郵便ポスト発見。 逆光の中荘厳に見えた寺院は近くに行ってみるとまだ新しい建物だった、あらッ。 この日はいよいよチベット文化圏のスピティに向かう。 途中ジャンギのチェックポストでパーミットを見せて通過。 しばらく行くと、道路右手に古い砦が見えた。 プーの村を通り過ぎ、チベットから流れ来るサトレジ河に別れを告げ、替わってスピティ河沿いを上流に向かうと、道がだんだん悪路に変わる。 チベット国境近くを北上するうち、道路はスピティ河を左下に見下ろしながら一旦東に外れ、標高3600mを超えるまで一気に高度を上げていく。 ランチ休憩にナコに寄った。 とても風光明媚な村だが、こんな高地になんで人が住んでいるんだか、不思議な気持ちになる。 村のみやげ物屋を覗いたら、店のおばさんに杏の実を頂いた。 めちゃうまい! キナウルではずっとカレーを食べていたので、ここではトゥクパとモモを注文した。 食事の後、運転手からナコゴンパに行って待っているのでナコ湖に降りて村を散歩してきたらいいと勧められ、車と別れて村の中を歩いたら、こんな小さな村なのに狭い道が入り組んでいて迷子になる。 あたた! あ、人がいた。 すんません、ナコゴンパはどっちですか? 千年の歴史があるというナコゴンパに無事辿り着いて車と合流。 さらにタボを目指して長いドライヴを続ける。 モンスーン期で崖崩れの絶えないウッタラカンドの山道を、リシケシから270kmの長~いドライヴの末ゴビンドガートの村に着いた。 ガンガとその上流アラカナンダ河沿いの道中では、裸で歩いているサドゥや、モーターバイクのシク教徒の若者をたくさん見掛け、聖なる山間に入ったことを実感する。 ゴビンドガートの標高は1900mほどあるが、この時期の気候は蒸暑く、登山用の騾馬がたくさん繋がれているお蔭で、村中夥しい数のハエで鬱陶しい。 ゲストハウスの窓を開けると、眼下にアラカナンダ河が轟轟と音を立てて流れ、対岸には聖地ヘムクンドや花の谷国立公園へ向かうジグザグの登り坂が見える。 ここから頻繁にヘリコプターが離発着を繰り返していて、お金に余裕のあるシク教徒は、聖地の麓にある村ガンガリアまでわずか4分で一気に飛ぶらしい、運賃3500ルピー。 ヘリコプターにも興味そそられたが、今回の旅の目的はあくまでモンスーン期に谷一面に咲く花を愛でに行くトレッキングなので、まずは橋のたもとまで降り、登山口に登るシェアタクシーに乗り込んだ。 巡礼のシク教徒がこれ以上絶対無理というまでぎっしり詰め込まれるのを待ってようやく発車、運賃35ルピー。 ゲートでひとりひとりIDを見せ、顔写真を撮られ、入山登録してからトレッキングのスタート。 日本で買ってきた手元の時計(G-Shock)によると登山口の標高2100m、ここから3100mのガングリアまで10kmのなだらかな登り。 しっかりと石が敷き詰められ、途中の茶屋やトイレもちゃんと完備されているし、一緒になるシクの老若男女ひとりひとりに「ナマステ」なり「ハロー」なり声掛け合ったり、一緒に写真撮り合いながら歩くとても気持ちのいいトレッキング。 一日でこんなにたくさんのインド人と挨拶交わしたのは初体験。 唯一の欠点は馬糞が路上に溢れていることか。 そんなこんなで3時間ほど歩いて、ゲストハウスや土産物屋の並ぶガングリアの村に入った。 ガングリアを抜けると立派な滝が見え、4200mの高さにあるというシクの聖地シュリヘムクンドサヒブ寺院へはさらに真っ直ぐ6kmの急な道。 寺院は雲の中で見えないが、かなり辛そうな登り。 馬どうですか~と盛んに声を掛けられる。 馬で花の谷には行けないが、もしヘムクンドまで登るなら500ルピー払って素直に乗るのもいいかも。 馬なら1000mの標高差を2時間ほどで制覇できるらしい。 花の谷へはここで左に折れる。 午後から花の谷に入ろうとしたら、チェックポストで閉園までに戻って来れないことを心配されて止められてしまい、仕方なく納税カード見せて150ルピー(外国人料金600ルピー)でチケットを購入して登録だけ済ませ、一旦ガングリアに戻った。 ガングリアでは、チャックポストで知り合ったラジニッシュという山岳ガイドをやってる元写真家のトレッキングツアーオフィスにお邪魔し、彼が永年撮り溜めた花や動物の素敵な写真を見せてもらいながら、いろいろとここの自然について教えてもらった。 夜になると激しい雨になり、断続的に降り続いた。 果たして翌朝花の谷に出掛けられるか訝っていたら夜明け前に降り止んで、明け方から巡礼に出掛けるシク達の気合いの掛け声に起こされる。 夜明けと共に花の谷を目指して村を出た。 巡礼のシクはあんなにたくさんいたのに、花の谷へ向かう観光客は全くいない。 花の谷の入り口が見えてきた。 美しい景色を独占! 一本道を谷の奥へ進む。 谷を囲むように聳え立つ山々、滝が天空から注ぎ落ちてくるようだ。 花の谷の標高は3500m、チベット国境までの距離わずか20kmしかない。 僕は花に詳しくないので名前は知らないが、かなりいろんな種類の花が咲いている。 これは幻の花として人気のブルーポピー。 この日はガングリアから花の谷の中へ6kmほど進み、また同じ一本道を村まで戻り、ランチの後そのまま10kmのトレッキングコースをゴビンドガートに下った。 ヘムクンドまで急な道を登り降りする敬虔なシク教徒達に比べれば随分楽だが、それにしてもそこそこのトレッキングを楽しめた。 ジャンムーカシミール州も北の外れ、パキスタン国境に近いカルギルに杏の花見に行こうとシュリナガルから車を手配したら、4月末時点でゾジ・ラ(峠)が雪で閉鎖されていて足止めを食い、5月あたまに延期を余儀なくされる。 朝デリーからの空港に飛び、例によって兵士が居並ぶイスラムの町を抜け、NH1D(国道1号支線)を飛ばす。 最初の2時間ほどはよかったが、ソナマルグのチェックポイントで通行規制の大型トラックが詰まって大渋滞。 1時間以上掛けてここをやっと通り抜け、だんだん高度を上げる。 これが最大の難所ゾジラ(標高3,550m)か。 厚く降り積もった雪をなんとか一車線分だけ掻き分け、片側相互通行規制中。 カルギルは、シュリナガルからもレーからも200kmほどのほぼ等距離だが、道はレーからの方がずっと走りやすいらしい。 うーん、情報不足やった。 峠を越えて軍のキャンプのあるドゥラスまで降りてきた。 ここでちょっと遅いランチにマトンカレー、んまい! ドゥラスからカルギルまでは河沿いの平坦な道。 あれ、麓ではもう杏の季節終わってるやん。 葉桜ならぬ、葉杏状態! 雪山に抱かれたカルギルの町に到着。 カルギル県の中心都市でメインストリートもある。 ウェブで予約したPC Palaceはメインストリートの真ん中にあるなかなか快適な宿だった。 山羊屋 鶏屋 一番人気の屋台は腸詰屋。 焼いてるのがおいしそうに見えたんで、試してみようと10ルピー出したら、新聞紙に5本包んでくれた。 パクッ。 あれ、ソーセージと思えない、ニョッキのようなモサっとした食感。 これはこねた小麦粉に山羊肉混ぜて腸詰めしたのか? どうも好みではない。 今回の旅は完全に行き当たりばったりで、どこ観光していいのかもわからず、町の博物館の館長に尋ねて、3つ目的地を選んでもらった。 西のシュリナガルからNH1Dをカルギルまで来たわけだが、 1. そのまま1号線を南東へ、ラダックに向かうレールートを40kmほど行くムルベクの磨崖仏 2. 南へ、ザンスカールに通じるスルルートをサンクーの町まで40km下るカルチャイの磨崖仏 3. そしてスル河東岸を北へ、パキスタンとの停戦ラインすぐ手前にあるフンドゥルマンの村 4.(実はもう一本、バタリク・ダーに向かうルートがあるが、ILP(通行許可証)を取得しないと入れない) 翌朝のんびりとまずは南東へ。 すんません、こうして道を通れるのも皆さんのお蔭です。 1時間ほどでタルチョ(五色旗)のはためく仏教圏の村ムルベクに入ると、国道脇にチャンバ(弥勒菩薩)と足元のゴンパが見えた。 ゴンパは後世にチベット仏教風に建てられたものだが、磨崖仏自体はガンダーラの流れを汲むカシミール仏教の名残。 ここまで来ると、僕の大好きなムーンランドのまであと70km、でも今回はここでカルギルへ引き返し、今度は南へ。 河沿いの道を走っていくとスル渓谷に出た。 美しい景色。 途中で女子中学生4人連れにヒッチハイクされ、後ろに乗っけてサンクーの町へ。 町の学校前で彼女たちを下ろし、砂利道に折れると、今度は作業袋担いだおっさんに止められ、彼の案内も受けながらカルチャイのチャンバへ。 車を降りて、細い道を人気のない村はずれに進むと、それは村を見下ろすように立っていた。 これがこの地区で一番大きい磨崖仏との説明受けたが、ふたつの弥勒菩薩の大きさはほぼ同じように感じた。 今日はいい仏様がふたつも見れた。 帰り道はおばさんふたり連れに止められ、彼女たちをサンクーまで送る。 スルルートに戻って、途中の丘から山の景色を撮ってたら、女の子3人連れが走り寄ってきた。 かわいすぎる! 午後、またまたカルギルまで戻り、最後のルート北の停戦ラインへ向かう。 山をくねくね登っていくと、突然現れる隠れ里フンディルマン。 おお、びっくり! 分離独立後、一度はパキスタン軍に占領され、その後インド軍が押し返した、まさにこの丘が停戦ラインになっている。 ここまで登ると、杏がきれいな花を着けていた。 杏の花見は以来か。 へー、日本人なの、と大袈裟に驚いてくれた、村のおじさん。 美しい自然と村と、人の好さにも触れられて満足。 よかった来れて。 コルカタのシゲさんと一緒にシッキムを目指す。 ネパールとブータンに挟まれたこの地域がどんななのかワクワクする。 バグドグラの空港を出て、ガイドのマリナと車と合流。 見た目日本人女性に近いマリナは、最初にシッキムに住んでいたレプチャの仏教家系だが、英語のうまい彼女自身はクリスチャンとのこと。 レプチャより遅れてこの地に入り、シッキム王国を興したのはバティアと呼ばれ、ゲルグ派と対立して亡命してきたニンマ派のチベット人である。 その後シッキム王国がイギリスの保護国だった時代に、茶葉栽培の労働力としてネパールから大量の移民があり、今やシッキムの人口の75%はネパリが占めている。 当然レプチャ、バティア、ネパリでは母語が違う。 では各地域の母語と別にヒンディを共通語として使い、では各村の言葉と別に英語を共通語にしていたが、シッキム州ではネパール語が民族を越えた共通語になっている。 面白い! 山岳の小国だったシッキム王国は、チベットやイギリスと対立したり、ブータンやネパールとも戦った複雑な歴史を持つが、最後はインド軍の介入で、1975年にインドの州として組み込まれた。 シリグリの街から北上し、ランポでシッキム州入境許可証を取る。 写真はガネシュトック展望台から眺めた州都ガントク。 ガントクのメインマーケット、MGマルグ。 カフェや酒屋、お茶屋が並んで重宝した。 町はとても整然としている。 MGマルグでシッキムの写真展が開かれていて、思わずその美しい景色に見入ってしまう。 シゲさんはここでインド最高峰にして世界第3位のカンチェンジュンガの写真を買った。 ガントクから少し走ったルムテクのゴンパ、立派! 途中の棚田、こういう風に手入れするのは大変な労力。 町も寺も自然もきれいでいいところだ。 食事もおいしくて、酒税も安い。 特に普段デリーでは食べられないポークがうまかった! 豚の角煮カレー ポークモモ、ほぼ小籠包。 ガントクから北へ、ユムタン谷を目指すはずだったが、ゲストハウスで朝食を取っていたらマリナが駆け込んできて、地滑りでパーミットが降りないと言う。 残念だが、どうしようもないので、北のチベット国境ではなく、西のネパール国境に向けてあっさり進路変更。 西シッキムのペリンの町の手前、シッキム王都が置かれていたラブデンツェの遺構 すぐ近くのペマヤンツェゴンパにもお参り。 ペリンからさらに先に進み、ネパール国境まであと数キロというダラップの村で、マリナの知合いが経営するロッジに到着。 目の前に素敵な中庭のある、バルコニー付きの部屋にチェックイン。 日暮れにキャンプファイアやりますよ、ということで、別の部屋に泊まっていたマリナのいとこのシッキム大学准教授という若い女性とその友人も加わり、みんなで火を囲む。 ホテルオーナーがトンバという酒をひとりひとりに竹筒で振舞ってくれた。 発酵させた粟が竹筒に仕込んであって、お湯を注いでしばらく待つと白ワインのような味わいの酒になる。 ベトナムの甕で出てくるやブータンのと同じ類の酒だ。 マリナがギター抱えてカントリーを歌うのだが、びっくりするほど歌がうまい。 お前らもやれという話になってギターが回され、シゲさんはブルースを、僕はポップスの弾き語りとそれぞれ自分の好きなジャンルで歌って語る思わぬ展開に。 マリナは日本人の旅行者と接するのは初めてのようで、いろいろ話すうち、同じ仏教徒で共通点も多く、文化的にインド人よりレプチャに近いのねと感動している。 彼女の話では、レプチャは発酵してスティッキーになった大豆をご飯に乗っけて食べるらしい、それって納豆やん? 翌朝早めに起きて、小雨の中、マリナ、ホテルオーナー、シゲさんとダラップ村の散歩に出掛ける。 周りにカルダモンがたくさん栽培されている。 インドではチャイや料理に欠かせないスパイス。 実が成っているのは見えなかったが、この花がやがて実をつけるらしい。 村では古い造りの民家も残されていて、いい感じ! 丘の上をぐるりと回って、また村のメインストリートに降りてきた。 アウトドア派のシゲさんは、ああ、こんなとこでのんびりしたい!と心からの叫び。 今回断念した北シッキム目指してまた来ますかね。 at 2020-01-07 22:49 at 2020-01-04 20:25 at 2019-10-25 21:50 at 2019-10-23 20:27 at 2019-10-21 21:11 at 2019-10-18 23:46 at 2019-10-14 23:23 at 2019-05-22 23:47 at 2018-12-31 16:06 at 2018-12-02 23:23 at 2018-11-20 22:18 at 2018-11-14 21:25 at 2018-11-08 22:16 at 2018-11-05 22:55 at 2018-10-31 23:52 at 2018-10-25 21:01 at 2018-10-16 22:42 at 2018-08-24 01:09 at 2018-08-19 01:57 at 2018-08-14 00:12.

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