衣少しまうけむ 意味。 気になる歌人/歌

受動喫煙の怖さを知っておこう

衣少しまうけむ 意味

袴垂はなぜ、追剥しようとしていたのか 衣の用なりければ、衣少しまうけむとて 2. なぜ保昌を狙ったか 衣、あまた着たりける主の、指貫のそば挟みて、絹の狩衣めきたる着て、ただ一人、笛吹きて、行きもやらず、練り行けば、「あはれ、これこそ、我に絹得させむとて、出でたる人なめり。 」と思ひて 3. 袴垂が、すぐに保昌を襲わなかった理由は? あやしくものの恐ろしくおぼえければ、 笛を吹きながら見返りたる気色、取りかかるべくもおぼえざりければ、 4. 「つゆ~なし 打消し 」の訳は? すこしも~ない 5. 保昌は、はじめ何も言わず笛を吹いていたのに、嫌になって「こは何者ぞ」と声をかけ たのはなぜ? 袴垂が「刀を抜きて走りかかりたる」という行動に出たから 6. 「引剥ぎに候ふ。 」とあるが、袴垂はなぜ丁寧語? 今は逃ぐとも、よも逃がさじとおぼえければ、(保昌の剛胆さに恐れを感じたから) 7. 保昌のセリフで、袴垂が最も恐れ入った部分はどこか 「衣の用あらむときは、参りて申せ。 心も知らざらむ人に取りかかりて、汝、過ちすな。 」 8. 本文の敬語表現を整理する。 候ふ=丁寧、ございます 給はり(給はる)=謙譲、いただく 9. ここまでの問いの答えも踏まえて、袴垂の心情をおう 多いですがよろしくお願いいたします。 軽い気持ちで強盗をしようと思ったが、保昌という剛胆でしかも思いやりのある人物に出会って改心した。

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百六十八 大和物語

衣少しまうけむ 意味

1564 日置長枝娘子の歌 秋づけば尾花 (をばな)が上に置く露の消 (け)ぬべくも我は思ほゆるかも 【意味】 秋になると尾花につく露のように、はかなく消えてしまいそうなほど、あなたさまのことを思っています。 【説明】 日置長枝娘子が大伴家持に贈った歌。 「秋づけば尾花が上に置く露の」は、「消」を導く序詞。 1566〜1568 大伴家持の歌 1566 ひさかたの雨間 (あまま)もおかず雲隠 (くもがく)り鳴きそ行くなる早稲田 (わさだ)雁 (かり)がね 1567 雲隠 (あまごも)り鳴くなる雁の行きて居 ゐ む秋田の穂立 ほたち 繁 しげ くし思 おも ほゆ 1568 雨隠り情 (こころ)いぶせみ出 (い)で見れば春日の山は色づきにけり 【意味】 〈1566〉久方の雨の晴れ間も休みなく、雲に隠れては現れて鳴いていく、早稲田の雁が。 〈1567〉 雲に隠れて鳴いている雁が降り立つ秋の田の稲穂が繁っているように、あの人のことがしきりに思われる。 〈1568〉雨にこもって心も沈んでいたが、外に出てみると、春日山はすっかり色づいている。 【説明】 天平8年9月、家持19歳の作。 無位の内舎人(うどねり)として聖武天皇に近侍していた頃にあたります。 1567に「雨隠り」とあるように、時雨の時期にはひっそりと家に籠っていなければなりませんでした。 男女関係もご法度とされていたのです。 1577 安倍虫麿(あべのむしまろ)の歌 秋の野の草花 (をばな)が末 (うれ)を押しなべて来しくもしるく逢へる君かも 【意味】 秋の野のススキを押しのけてやって参りました。 そのおかげで皆さんとお会いできました。 【説明】 宴に招かれた作者が、あいさつとして作った歌。 1582 橘奈良麿(たちばなのならまろ)の歌 めづらしき人に見せむと黄葉 (もみちば)を手折りそあが来し雨の降らくに 【意味】 心惹かれる方にお見せしようと、モミジを手折ってきた、途中には雨が降っていたけれど。 1587 大伴書持の歌 あしひきの山の黄葉 (もみち)今夜 (こよひ)もか浮びゆくらむ山川の瀬に 【意味】 山のもみじは、きっと今夜あたり、水に浮かんで運ばれていくことだろう、山の中を流れる急流の瀬を。 【説明】 天平14年ごろ、平城旧京の橘奈良麻呂邸に集まって宴を催した時の歌。 大伴書持(おおとものふみもち)は旅人の子で、家持の同母弟。 1589 秦許遍麿(はだのこへまろ)の歌 露霜 (つゆしも)にあへる黄葉 (もみち)を手折り来て妹にかざしつ後は散るとも 【意味】 露霜にあった黄葉を手折って、この娘の髪にかざしたよ。 だからあとはもう散ってもよいのだ。 1590 大伴池主(おほとものいけぬし)の歌 十月 (かむなづき)時雨 (しぐれ)にあへる黄葉 (もみちば)の吹かば散りなむ風のまにまに 【意味】 十月の時雨にあって色づいた黄葉は、風が吹けば散ってしまうだろう、風に吹かれるままに。 【説明】 天平14年(742年)ごろ、橘奈良麻呂邸で宴が催された時に作った歌。 大伴池主の系譜は未詳。 753年の橘奈良麻呂の乱に参加し、翌月反乱計画が洩れた際に捕縛されたらしく、その後の消息は不明ですが、拷問死または獄中死に至ったとされます。 1597 大伴家持の歌 秋の野に咲ける秋萩 (あきはぎ)秋風に靡 (なび)ける上に秋の露 (つゆ)置けり 【意味】 秋の野に咲く秋萩が秋風になびいている。 その上には秋の霜が降りている。 1604 大原真人(おおはらのまひと)の歌 秋されば春日 (かすが)の山の黄葉 (もみち)見る奈良の都の荒 (あ)るらく惜しも 【意味】 秋になるといつも春日山の紅葉を見ていたのに、今は奈良の都も荒れ果てている、惜しいことよ。 【説明】 奈良の春日山を見ながら、久邇京遷都後の平城京の荒廃を嘆いて作った歌。 1605 大伴家持の歌 高円 (たかまと)の野辺 (のへ)の秋萩 (あきはぎ)このころの暁露 (あかときつゆ)に咲きにけむかも 【意味】 高円の野辺の萩の花は、この幾日かに降り出した明け方の露で、もう咲いたことだろう。 【説明】 高円山は奈良の春日山と地獄谷を挟んで南方の462mの山。 聖武天皇の時代には、狩りが行われたり、季節の野遊びが行われていました。 1611 笠縫女王の歌 あしひきの山下 (やました)響 (とよ)め鳴く鹿の言 (こと)ともしかも我が心夫 (こころつま) 【意味】 山の麓まで鳴り響く鹿の声のように、あなたのお声を聞きたいと思っています。 私の愛しい夫よ。 【説明】 笠縫女王は、「六人部王(むとべおう)の女なり。 母を田形皇女と曰ふ」とあります。 田形皇女は天武天皇の皇女です。 1614 桜井王の歌 九月 (ながつき)のその初雁 (はつかり)の使 (つかひ)にも思ふ心は聞こえ来ぬかも 【意味】 九月になるとやって来る初雁。 その初雁をお使いとして、はるかに思いやって下さるお気持ちが、ここまで届かないでしょうか。 1616 笠女郎(かさのいらつめ)の歌 朝ごとに見るわが屋戸 (やど)のなでしこが花にも君はありこせぬかも 【意味】 毎朝見る私の家のなでしこの花みたいに、あなたが逢ってくれたらいいのにな。 1617 山口女王の歌 秋萩 (あきはぎ)に置きたる露 (つゆ)の風吹きて落つる涙は留 (とど)めかねつも 【意味】 秋萩についた露が風が吹いて落ちるように、はらはらと落ちる私の涙は止めようがありません。 【説明】 山口女王(やまぐちのおおきみ)が大伴家持に贈った歌。 山口女王は伝未詳。 1619・1620 大伴家持と大伴坂上郎女の歌 1619 玉桙 (たまほこ)の道は遠けどはしきやし妹を相 (あひ)見に出でてぞ我 (あ)が来 (こ)し 1620 あらたまの月立つまでに来ませねば夢 (いめ)にし見つつ思ひそあがせし 【意味】 〈1619〉道のりは遠くても、いとおしいあなたに逢うために、私はやって来ました。 〈1620〉 月が立つまでにいらっしゃらないので、私は夢にまで見続けて、物思いをしてしまいました。 【説明】 1619は大伴家持、1620は大伴坂上郎女の歌。 大伴氏は竹田の庄(橿原市)と跡見(とみ)の庄(桜井市外)を経営していました。 天平11年(739年)、竹田の庄(橿原市)に下向していた叔母・大伴坂上郎女のもとを、家持が訪ねたときに交わした歌です。 このとき家持は23歳、「妹」はふつう男性から恋人に対してかける言葉ですから、叔母に対して用いるのは一般的ではありません。 少しふざけて、庄への訪問を、逢引にやって来たように謡ったものか。 それに答えたのが1620で、男を待つ女として歌を返しています。 「玉桙の」は「道」にかかる枕詞、「あらたまの」は「月」にかかる枕詞。 1627・1630 大伴家持の歌 1627 我が宿の時 (とき)じき藤のめづらしく今も見てしか妹 (いも)が笑 (ゑ)まひを 1630 高円 (たかまと)の野辺 (のへ)のかほ花 面影 (おもかげ)に見えつつ妹は忘れかねつも 【意味】 〈1627〉私の庭に、時期はずれの藤が咲いたよ。 珍しいその美しい藤のような、愛すべきあなたの笑顔を、今すぐにも見たいものだ。 〈1630〉 高円の野辺に咲いているかほ花、それを見ているとお前の顔が浮んできて忘れることができない。 【説明】 1627は、家持が、妻の坂上大嬢に贈った歌。 1630の高円山は奈良の春日山と地獄谷を挟んで南方の462mの山。 聖武天皇の時代には、狩りが行われたり、季節の野遊びが行われていました。 「かほ花」は美しい花の意。 かきつばた・ムクゲ・朝顔などいろいろな花が当てられますが、ここではヒルガオ(昼顔)がふさわしいとされます。 1636 舎人娘子(とねりのをとめ)の歌 大口の真神 (まがみ)の原に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに 【意味】 大口の真神が原に降る雪は、ひどく降らないでほしい、泊まる家もないのだから。 【説明】 「大口の」は「真神」にかかる枕詞。 「真神」はオオカミのことで、飛鳥東方の山地を歌った歌。 舎人娘子は、どういう人物か不明です。 1639 大伴旅人の歌 沫雪 (あわゆき)のほどろほどろに降り敷けば平城 (なら)の京 (みやこ)し思ほゆるかも 【意味】 大宰府に沫雪がうっすらと降り積もっているのを見ると、奈良の都が思い出される。 【説明】 大宰府に降る雪と、都で見た雪とを重ね、奈良の都への望郷の念を歌った歌。 1641 角朝臣広弁(つののあそみくわうべん)の歌 沫雪 (あわゆき)に降らえて咲ける梅の花君がり遣 (や)らばよそへてむかも 【意味】 淡雪に降られて咲いた梅の花をあなたに送ったら、私を梅の花になぞらえてくださるでしょうか。 1645 巨勢宿奈麿(こせのすくなまろ)の歌 わが屋前 (やど)の冬木の上に降る雪を梅の花かとうち見つるかも 【意味】 わが家の冬の枯れ木の枝に降る雪を、梅の花かと、一瞬思ってしまったよ。 1648 紀少鹿女郎(きのをしかのいらつめ)の歌 十二月 (しはす)には沫雪 (あわゆき)降ると知らねかも梅の花咲く含 (ふふ)めらずして 【意味】 十二月にはまだ沫雪が降るのを知らないのか、梅の花がつぼみを膨らませようとしている。 1649 大伴家持の歌 今日降りし雪に競 (きほ)ひて我がやどの冬木の梅は花咲きにけり 【意味】 今日降った雪に負けまいと、わが家の冬枯れの梅の木が花を咲かせた。 1656 大伴坂上郎女の歌 酒杯 (さかづき)に梅の花浮け思ふどち飲みての後は散りぬともよし 【意味】 酒杯に梅の花びらを浮かべ、親しい人たちと飲んだ後は、もう散ってもいいよ、梅の花。 【説明】 「思ふどち」は、気心が知れた仲間たち。 梅の花は外来植物で、貴族の屋敷に咲いていました。 梅の花が庭にあるというのが、いわばステータス・シンボルだったのです。 1657 作者未詳歌 官にも許したまへり今夜のみ飲まむ酒かも散りこすなゆめ 【意味】 今日のような宴は、お役所でもお許しになっている。 今宵だけ飲もうと思う酒なのかい、梅のあるうちはこうして集まれるよ。 だから梅の花よ、散ってくれるなよ、ゆめゆめ。 1658 光明皇后の歌 吾背子と二人見ませば幾許 (いくばく)かこの降る雪の嬉 (うれ)しからまし 【意味】 この美しく降った雪を、お二人で眺めることができましたら、どんなにか嬉しいことでございましたでしょう。 【説明】 光明(こうみょう)皇后が聖武天皇に奉られた御歌。 光明皇后は藤原不比等の娘で、名は安宿媛。 病人や孤児のために施薬院や悲田院を設け、病人の体についた垢を自ら洗い落としたり、ライ病患者の膿を口で吸い取ったりしたという逸話もあります。 興福寺の五重塔・西金堂や、新薬師寺、国分寺の設置など、多くの事業に参画したともいわれ、聖武太上天皇の崩御に際しては、遺品を東大寺に寄進し、それらは正倉院宝物として今日に伝えられています。 この御歌について斉藤茂吉は、「斯く尋常に、御おもいのまま、御会話のままを伝えているのはまことに不思議なほどである。 特に結びの、『嬉しからまし』の如き御言葉を、皇后の御生涯と照らしあわせつつ味わい得ることの、多幸を私等はおもわねばならぬのである」と述べています。 1661 紀女郎(きのいらつめ)の歌 ひさかたの月夜 (つくよ)を清 (きよ)み梅の花心開けて我が思 (も)へる君 【意味】 夜空の月がきれいです。 その月光のなかで梅の花が開くように、心すがすがしくあなたのことをお慕いしています。 【説明】 前夫の安貴王、そして今度は、年下の恋人・家持の心変わりに出会った紀女郎。 愛する男に去られても、いつまでもあなたを気高く、清らかにお慕い続けると言っています。 1663 大伴家持の歌 沫雪 (あわゆき)の庭に降りしき寒き夜を手枕 (たまくら)まかず独りかも寝む 【意味】 沫雪が庭に降り続く、寒い夜です。 それなのにあなたの手枕をすることもなく、一人で寝るのでしょうか。

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枕草子の原文内容と現代語訳|清少納言の生涯

衣少しまうけむ 意味

1564 日置長枝娘子の歌 秋づけば尾花 (をばな)が上に置く露の消 (け)ぬべくも我は思ほゆるかも 【意味】 秋になると尾花につく露のように、はかなく消えてしまいそうなほど、あなたさまのことを思っています。 【説明】 日置長枝娘子が大伴家持に贈った歌。 「秋づけば尾花が上に置く露の」は、「消」を導く序詞。 1566〜1568 大伴家持の歌 1566 ひさかたの雨間 (あまま)もおかず雲隠 (くもがく)り鳴きそ行くなる早稲田 (わさだ)雁 (かり)がね 1567 雲隠 (あまごも)り鳴くなる雁の行きて居 ゐ む秋田の穂立 ほたち 繁 しげ くし思 おも ほゆ 1568 雨隠り情 (こころ)いぶせみ出 (い)で見れば春日の山は色づきにけり 【意味】 〈1566〉久方の雨の晴れ間も休みなく、雲に隠れては現れて鳴いていく、早稲田の雁が。 〈1567〉 雲に隠れて鳴いている雁が降り立つ秋の田の稲穂が繁っているように、あの人のことがしきりに思われる。 〈1568〉雨にこもって心も沈んでいたが、外に出てみると、春日山はすっかり色づいている。 【説明】 天平8年9月、家持19歳の作。 無位の内舎人(うどねり)として聖武天皇に近侍していた頃にあたります。 1567に「雨隠り」とあるように、時雨の時期にはひっそりと家に籠っていなければなりませんでした。 男女関係もご法度とされていたのです。 1577 安倍虫麿(あべのむしまろ)の歌 秋の野の草花 (をばな)が末 (うれ)を押しなべて来しくもしるく逢へる君かも 【意味】 秋の野のススキを押しのけてやって参りました。 そのおかげで皆さんとお会いできました。 【説明】 宴に招かれた作者が、あいさつとして作った歌。 1582 橘奈良麿(たちばなのならまろ)の歌 めづらしき人に見せむと黄葉 (もみちば)を手折りそあが来し雨の降らくに 【意味】 心惹かれる方にお見せしようと、モミジを手折ってきた、途中には雨が降っていたけれど。 1587 大伴書持の歌 あしひきの山の黄葉 (もみち)今夜 (こよひ)もか浮びゆくらむ山川の瀬に 【意味】 山のもみじは、きっと今夜あたり、水に浮かんで運ばれていくことだろう、山の中を流れる急流の瀬を。 【説明】 天平14年ごろ、平城旧京の橘奈良麻呂邸に集まって宴を催した時の歌。 大伴書持(おおとものふみもち)は旅人の子で、家持の同母弟。 1589 秦許遍麿(はだのこへまろ)の歌 露霜 (つゆしも)にあへる黄葉 (もみち)を手折り来て妹にかざしつ後は散るとも 【意味】 露霜にあった黄葉を手折って、この娘の髪にかざしたよ。 だからあとはもう散ってもよいのだ。 1590 大伴池主(おほとものいけぬし)の歌 十月 (かむなづき)時雨 (しぐれ)にあへる黄葉 (もみちば)の吹かば散りなむ風のまにまに 【意味】 十月の時雨にあって色づいた黄葉は、風が吹けば散ってしまうだろう、風に吹かれるままに。 【説明】 天平14年(742年)ごろ、橘奈良麻呂邸で宴が催された時に作った歌。 大伴池主の系譜は未詳。 753年の橘奈良麻呂の乱に参加し、翌月反乱計画が洩れた際に捕縛されたらしく、その後の消息は不明ですが、拷問死または獄中死に至ったとされます。 1597 大伴家持の歌 秋の野に咲ける秋萩 (あきはぎ)秋風に靡 (なび)ける上に秋の露 (つゆ)置けり 【意味】 秋の野に咲く秋萩が秋風になびいている。 その上には秋の霜が降りている。 1604 大原真人(おおはらのまひと)の歌 秋されば春日 (かすが)の山の黄葉 (もみち)見る奈良の都の荒 (あ)るらく惜しも 【意味】 秋になるといつも春日山の紅葉を見ていたのに、今は奈良の都も荒れ果てている、惜しいことよ。 【説明】 奈良の春日山を見ながら、久邇京遷都後の平城京の荒廃を嘆いて作った歌。 1605 大伴家持の歌 高円 (たかまと)の野辺 (のへ)の秋萩 (あきはぎ)このころの暁露 (あかときつゆ)に咲きにけむかも 【意味】 高円の野辺の萩の花は、この幾日かに降り出した明け方の露で、もう咲いたことだろう。 【説明】 高円山は奈良の春日山と地獄谷を挟んで南方の462mの山。 聖武天皇の時代には、狩りが行われたり、季節の野遊びが行われていました。 1611 笠縫女王の歌 あしひきの山下 (やました)響 (とよ)め鳴く鹿の言 (こと)ともしかも我が心夫 (こころつま) 【意味】 山の麓まで鳴り響く鹿の声のように、あなたのお声を聞きたいと思っています。 私の愛しい夫よ。 【説明】 笠縫女王は、「六人部王(むとべおう)の女なり。 母を田形皇女と曰ふ」とあります。 田形皇女は天武天皇の皇女です。 1614 桜井王の歌 九月 (ながつき)のその初雁 (はつかり)の使 (つかひ)にも思ふ心は聞こえ来ぬかも 【意味】 九月になるとやって来る初雁。 その初雁をお使いとして、はるかに思いやって下さるお気持ちが、ここまで届かないでしょうか。 1616 笠女郎(かさのいらつめ)の歌 朝ごとに見るわが屋戸 (やど)のなでしこが花にも君はありこせぬかも 【意味】 毎朝見る私の家のなでしこの花みたいに、あなたが逢ってくれたらいいのにな。 1617 山口女王の歌 秋萩 (あきはぎ)に置きたる露 (つゆ)の風吹きて落つる涙は留 (とど)めかねつも 【意味】 秋萩についた露が風が吹いて落ちるように、はらはらと落ちる私の涙は止めようがありません。 【説明】 山口女王(やまぐちのおおきみ)が大伴家持に贈った歌。 山口女王は伝未詳。 1619・1620 大伴家持と大伴坂上郎女の歌 1619 玉桙 (たまほこ)の道は遠けどはしきやし妹を相 (あひ)見に出でてぞ我 (あ)が来 (こ)し 1620 あらたまの月立つまでに来ませねば夢 (いめ)にし見つつ思ひそあがせし 【意味】 〈1619〉道のりは遠くても、いとおしいあなたに逢うために、私はやって来ました。 〈1620〉 月が立つまでにいらっしゃらないので、私は夢にまで見続けて、物思いをしてしまいました。 【説明】 1619は大伴家持、1620は大伴坂上郎女の歌。 大伴氏は竹田の庄(橿原市)と跡見(とみ)の庄(桜井市外)を経営していました。 天平11年(739年)、竹田の庄(橿原市)に下向していた叔母・大伴坂上郎女のもとを、家持が訪ねたときに交わした歌です。 このとき家持は23歳、「妹」はふつう男性から恋人に対してかける言葉ですから、叔母に対して用いるのは一般的ではありません。 少しふざけて、庄への訪問を、逢引にやって来たように謡ったものか。 それに答えたのが1620で、男を待つ女として歌を返しています。 「玉桙の」は「道」にかかる枕詞、「あらたまの」は「月」にかかる枕詞。 1627・1630 大伴家持の歌 1627 我が宿の時 (とき)じき藤のめづらしく今も見てしか妹 (いも)が笑 (ゑ)まひを 1630 高円 (たかまと)の野辺 (のへ)のかほ花 面影 (おもかげ)に見えつつ妹は忘れかねつも 【意味】 〈1627〉私の庭に、時期はずれの藤が咲いたよ。 珍しいその美しい藤のような、愛すべきあなたの笑顔を、今すぐにも見たいものだ。 〈1630〉 高円の野辺に咲いているかほ花、それを見ているとお前の顔が浮んできて忘れることができない。 【説明】 1627は、家持が、妻の坂上大嬢に贈った歌。 1630の高円山は奈良の春日山と地獄谷を挟んで南方の462mの山。 聖武天皇の時代には、狩りが行われたり、季節の野遊びが行われていました。 「かほ花」は美しい花の意。 かきつばた・ムクゲ・朝顔などいろいろな花が当てられますが、ここではヒルガオ(昼顔)がふさわしいとされます。 1636 舎人娘子(とねりのをとめ)の歌 大口の真神 (まがみ)の原に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに 【意味】 大口の真神が原に降る雪は、ひどく降らないでほしい、泊まる家もないのだから。 【説明】 「大口の」は「真神」にかかる枕詞。 「真神」はオオカミのことで、飛鳥東方の山地を歌った歌。 舎人娘子は、どういう人物か不明です。 1639 大伴旅人の歌 沫雪 (あわゆき)のほどろほどろに降り敷けば平城 (なら)の京 (みやこ)し思ほゆるかも 【意味】 大宰府に沫雪がうっすらと降り積もっているのを見ると、奈良の都が思い出される。 【説明】 大宰府に降る雪と、都で見た雪とを重ね、奈良の都への望郷の念を歌った歌。 1641 角朝臣広弁(つののあそみくわうべん)の歌 沫雪 (あわゆき)に降らえて咲ける梅の花君がり遣 (や)らばよそへてむかも 【意味】 淡雪に降られて咲いた梅の花をあなたに送ったら、私を梅の花になぞらえてくださるでしょうか。 1645 巨勢宿奈麿(こせのすくなまろ)の歌 わが屋前 (やど)の冬木の上に降る雪を梅の花かとうち見つるかも 【意味】 わが家の冬の枯れ木の枝に降る雪を、梅の花かと、一瞬思ってしまったよ。 1648 紀少鹿女郎(きのをしかのいらつめ)の歌 十二月 (しはす)には沫雪 (あわゆき)降ると知らねかも梅の花咲く含 (ふふ)めらずして 【意味】 十二月にはまだ沫雪が降るのを知らないのか、梅の花がつぼみを膨らませようとしている。 1649 大伴家持の歌 今日降りし雪に競 (きほ)ひて我がやどの冬木の梅は花咲きにけり 【意味】 今日降った雪に負けまいと、わが家の冬枯れの梅の木が花を咲かせた。 1656 大伴坂上郎女の歌 酒杯 (さかづき)に梅の花浮け思ふどち飲みての後は散りぬともよし 【意味】 酒杯に梅の花びらを浮かべ、親しい人たちと飲んだ後は、もう散ってもいいよ、梅の花。 【説明】 「思ふどち」は、気心が知れた仲間たち。 梅の花は外来植物で、貴族の屋敷に咲いていました。 梅の花が庭にあるというのが、いわばステータス・シンボルだったのです。 1657 作者未詳歌 官にも許したまへり今夜のみ飲まむ酒かも散りこすなゆめ 【意味】 今日のような宴は、お役所でもお許しになっている。 今宵だけ飲もうと思う酒なのかい、梅のあるうちはこうして集まれるよ。 だから梅の花よ、散ってくれるなよ、ゆめゆめ。 1658 光明皇后の歌 吾背子と二人見ませば幾許 (いくばく)かこの降る雪の嬉 (うれ)しからまし 【意味】 この美しく降った雪を、お二人で眺めることができましたら、どんなにか嬉しいことでございましたでしょう。 【説明】 光明(こうみょう)皇后が聖武天皇に奉られた御歌。 光明皇后は藤原不比等の娘で、名は安宿媛。 病人や孤児のために施薬院や悲田院を設け、病人の体についた垢を自ら洗い落としたり、ライ病患者の膿を口で吸い取ったりしたという逸話もあります。 興福寺の五重塔・西金堂や、新薬師寺、国分寺の設置など、多くの事業に参画したともいわれ、聖武太上天皇の崩御に際しては、遺品を東大寺に寄進し、それらは正倉院宝物として今日に伝えられています。 この御歌について斉藤茂吉は、「斯く尋常に、御おもいのまま、御会話のままを伝えているのはまことに不思議なほどである。 特に結びの、『嬉しからまし』の如き御言葉を、皇后の御生涯と照らしあわせつつ味わい得ることの、多幸を私等はおもわねばならぬのである」と述べています。 1661 紀女郎(きのいらつめ)の歌 ひさかたの月夜 (つくよ)を清 (きよ)み梅の花心開けて我が思 (も)へる君 【意味】 夜空の月がきれいです。 その月光のなかで梅の花が開くように、心すがすがしくあなたのことをお慕いしています。 【説明】 前夫の安貴王、そして今度は、年下の恋人・家持の心変わりに出会った紀女郎。 愛する男に去られても、いつまでもあなたを気高く、清らかにお慕い続けると言っています。 1663 大伴家持の歌 沫雪 (あわゆき)の庭に降りしき寒き夜を手枕 (たまくら)まかず独りかも寝む 【意味】 沫雪が庭に降り続く、寒い夜です。 それなのにあなたの手枕をすることもなく、一人で寝るのでしょうか。

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