大砲巨砲主義。 【巨砲主義

大艦巨砲主義

大砲巨砲主義

思想 [ ] 背景 [ ] 19世紀末ごろから主に蒸気機関の発達によって、大型で高速の艦艇が作れるようになった。 同時には大型化するほど射程も伸び、威力も大きくなる。 そこで大型の軍艦に大型の砲をより多く搭載しようという考え方が大艦巨砲主義であり、19世紀末から20世紀前半まで主要海軍国で支持されていた。 のでイギリスとドイツが・を含むで衝突し、砲撃戦の重要性が再認識されたことで各国の大艦巨砲主義は一層強まった。 [ ] でも、時ので大艦巨砲と「艦隊決戦」を至上とする考え方が確立された()。 その後も後半期まで・上の主流となった。 長駆してくる艦隊を全力で迎撃・撃退するのが基本方針であり、その際の主役は戦艦とされ、・・等は脇役に過ぎないという思想があった。 [ ] 大艦巨砲主義の進展はとも関連しているという意見もある。 [ ] 「」が画期的だったのは、多数の主砲の射撃管制を可能とするの完成あってのことである。 頃まで各国の戦艦はと射撃を用いた射撃管制装置を主用していた。 しかし米英では以降の実用化により、着弾観測については光学式測距儀よりもレーダーを使用した電測射撃に移行していった。 これに対し、日独は米英に電子兵装で格段に後れを取り、電測測距と併用したものの、光学式測距儀を最後まで実戦で主用した。 なお、フランスはすぐに敗戦したため、射撃用レーダーを搭載したもののその効果は不明である。 イタリアは終戦時まで対空見張り用レーダーのみだった。 光学式の測距は特に遠距離射撃では誤差が大きく、近距離でも夜間、曇天、悪天候などで視界の悪い時にレーダー管制に劣っていた。 そのため、水上艦艇同士の戦闘において電測射撃が行えることはかなり優位だった。 ただ、初期の射撃用レーダーは測距性能は充実していたものの探知角が不足しており、時には光学観測射撃に後れを取ることもあった。 [ ] 他国より大型の戦艦に巨大な主砲を搭載するという文字どおりの大艦巨砲主義は、明け後には終焉した。 主砲口径の増大には歯止めがかかり、前代と同程度、あるいはやや小型化した主砲の採用例が多くなった。 これはの戦訓を元に、速力・防御力とのバランスの取れた戦艦の設計が重要視されたからである。 これ以前の戦艦は速度を、巡洋戦艦は防御力を妥協してを抑えていたが、そのような設計の問題点が明らかになった。 そこで速力も防御力もともに優れたポスト・ジュットランド艦(高速戦艦)が建造されたが、必然的に排水量も増え、主砲口径の増大を諦めざるを得なかった。 例外的に主砲口径を増大させた日本のは、排水量を抑えるための過度の集中防御と速力不足を問題視する見解もある。 航空機の発達と実績により中に航空機の優位が確立、の台頭が戦艦時代の終わりを告げる事となり、大和型(72,800 t 45口径46 cm 9門)と同等の(71,922 t 50口径16インチ砲 12門)全5隻がに建造中止された事をもって大艦巨砲主義は終焉を迎え、その後竣工したややなどもそれ以前に起工したものであり、以後戦艦の新造は行われていない。 賛否の意見 [ ] 大艦巨砲主義に関し、において日本海軍が米海軍と異なり、大艦巨砲主義に拘束され航空優位思想に転換できなかったという批判があるが、大艦巨砲主義や航空優位思想の意味は多義的なもので検証に耐えるものではなく、決戦に備えて戦艦を使用しなかったという語りも、事実は、或いは使用され或いは使用されようとし或いは戦艦としては見捨てられて使用されなかったのであり、機動部隊の建制化も重要な意味を持たない上に、アメリカ海軍が高速空母部隊を創設した時期は日本海軍も聯合機動部隊の発令をした時期であり、この批判はであるとする意見もある。 ただし、航空主兵論者の海軍中佐によれば、当時の日本海軍の航空主兵論者による大艦巨砲主義への批判は、日本海軍において、ほぼ使用されなかった戦艦に予算・機材が使用され、主力となった航空に十分に回らず、大艦巨砲主義の下で戦艦は何もしないことで航空部隊の行動の妨害になっていたことに対してである。 戦後、日本海軍の出身の大艦巨砲主義者は次のように語っている。 中将は「多年戦艦中心の艦隊に没頭してきた私の頭は転換できず、がに偉効を奏したのちもなお、機動部隊は補助作業に任ずべきもので、決戦兵力は依然、大艦巨砲を中心とすべきものと考えていた」と反省を語っている。 大佐は、大艦巨砲が航空主兵に敗れてなお「戦前の想定どおり、砲撃主体の艦隊決戦を挑むべきであった」と生涯主張し続けた。 [ ] 戦後、大艦巨砲主義に反対していた日本海軍の航空主兵論者たちは次のように語っている。 大佐は、海軍が大艦巨砲主義から航空へ切り替えられなかったのはでの犠牲を嫌う職業意識の強さが原因だったと指摘する。 「大砲がなかったら自分たちはするしかない。 多分そういうことでしょう。 思想を変えるということは、単にの構成を変えるだけでなく、大艦巨砲主義に立って築かれてきた組織を変えるとことになるわけですから。 人情に脆くて波風が立つのを嫌うのでは、なかなか難しいことです」と語っている。 中佐は、戦艦無用論も含むは戦前極端とも見られたが、太平洋戦争の経過がその見通しがほぼ正しかったことを証明したとして、特に航空関係者が嘆いていたのは、大艦巨砲主義の下で作られる戦艦の建造費、維持費など莫大な経費が浪費される割にほぼ戦局に寄与しないことであり、それを航空に回せばより強力なものができると考えていたと語っている。 歴史 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2019年5月) 大砲技術が発達しでが可能になると、舷側に穴を空けて多数の艦砲を並べると被害を受けやすくなった。 そのため砲数を減らし、一門あたりの威力を高め、敵艦砲に耐える装甲を施す事となり、の時代となった。 技術開発が進み、砲の大きさ(口径・口径長)が威力と比例するようになった。 から装甲艦への移行期には小型化が見られたものの、大砲・動力・技術の進歩に従って軍艦は巨大化していった。そして木製艦体に装甲を施した装甲艦から、艦体自体を鉄鋼製とした艦へと移行、大型の艦体と搭載砲を持つ戦艦と、小型のなどを目的とする巡洋艦へと分岐した。 1905年から1945年までに建造された戦艦の排水量グラフ。 のサイズやパワーは第一次世界大戦をはさんで急速に増大した。 多くの海軍国によるは1922年のでいったん終わりを迎えた 近代戦艦の始祖とされるのはである。 なお、から順次竣工したが、30. 5 cm砲4門の主砲を搭載、そしてその砲の威力に対応する装甲を持つ、の基本形を確立した。 しばらくは各国ともこの様式で戦艦を建造したが、にで完成した「」によって主砲4門の枠が外された。 この艦は従来の戦艦に比べて飛躍的に向上した攻撃力と機動力を有し、建造中の戦艦をも一気に旧式にするほどの衝撃を与えた。 そのためこれ以後世界の海軍は「ドレッドノート」を基準とし、これらをと称する。 そしての登場によって、30. 5 cmという主砲口径の枠も外され、戦艦の攻撃力は主砲の大きさで決まる時代となった。 敵艦より大きな主砲を備え、敵弾に耐えられる厚いを備えた戦艦がでは有利である。 その結果、戦艦とそれに搭載される主砲は急速に巨大化し、また数量で他国に負けないために大量建造が行われた。 その他の理由によって、前代より排水量・主砲が小型化する場合もあった巡洋艦とは対照的に、戦艦はひたすら大型化の一途をたどった。 日英独は戦艦と同じ巨砲を持つも建造し、中には大和型の25年も前に世界初の18インチ砲搭載艦となった「」等がある。 のジェットランド海戦でイギリスとドイツが弩級戦艦・超弩級戦艦を含む艦隊で衝突し、砲撃戦の重要性が再認識されたことで各国の大艦巨砲主義は一層強まり 、 [ ]日本では、日露戦争後の1906年からまでは戦艦が海軍力の主力として最重要視され、各国は巨砲を装備した新鋭戦艦の建造競争を展開。 「主力艦」たる戦艦部隊同士の砲撃戦によってひいては戦争そのものの勝敗が決まるとされ、やなどの戦艦以外の艦艇は主力艦の「補助艦」とされた。 戦艦を保有できない中小国の海軍でも、限定的な航続距離・速力のと呼ばれる艦を建造し、戦艦に近い能力を持とうとした例も多く見られた。 この時期には戦艦は戦略兵器であり、他国より強力な戦艦は国威を示すものだった。 「」の16インチ砲 戦艦の建造競争はのにおける締結により一旦中断()したが、のワシントン条約が失効すると、建艦競争が再開された。 しかし、主砲を巨大にする大艦巨砲主義は衰退し、速力と防御力のバランスが重視され、主砲口径も従来か従来以下のサイズにとどまったが、日本だけ例外であり、戦艦史上最大の46センチ主砲の64,000t級(「」「」)を建造した。 [ ] 大和型は6万トンを超す大艦であり、45口径46cm砲という巨砲を備えた大艦巨砲主義の申し子だった。 戦艦との戦闘では優位に立てたはずの大和型も航空機には勝てず、「大和」「武蔵」ともにアメリカ海軍航空母の集中攻撃を受けて沈没した。 また大和型の他にも・を問わず多数の戦艦が航空機やの攻撃で沈没した。 さらに日本は大和型よりも大型の51cm砲を積むの建造を予定していた(戦中に計画中止)。 ただ、米英仏独ソも35,000トン級を凌駕する巨大戦艦の建造を計画はしている。 しかし、直後に始まった第二次世界大戦では海軍の主役の座は航空母艦に移った。 かつて想定されていたような戦艦同士の砲撃戦はほとんど発生せず、戦艦の役割はもっぱら対地砲撃、や輸送船団の護衛、あるいはなどとなった。 ワシントン条約期間中に建造されたフランス戦艦(竣工)以後、第二次世界大戦後までの9年間に建造された戦艦は27隻だった。 第二次世界大戦前または戦中に建造が開始され、大戦中にが4隻就役し、戦後に完成したイギリスの「」とフランスの「」を最後に新たな戦艦は建造されていない。 1941年12月、太平洋戦争が開始。 など緒戦の航空戦で、主役である戦艦を出す前の「」としての航空機が予想以上の戦果を出し、(長官は中将)はを半周するほど縦横無尽の活躍を見せた。 それによって航空戦力の評価が高まり、戦前から訴えられていたが勢いを増した。 1942年(昭和17年)4月28日及び29日、大和で行われた第一段作戦研究会で第一航空艦隊航空参謀中佐は大艦巨砲主義に執着する軍部を「はを造り、日本海軍は戦艦「」をつくり、共に笑いを後世に残した」と批判して一切を航空主兵に切り替えるように訴えた。 第二艦隊砲術参謀は大和の主砲射撃を見て1942年(昭和17年)5月11日の日誌に「すでに戦艦は有用なる兵種にあらず、今重んぜられるはただ従来の惰性。 的を得つつある」と残した。 海軍はそれでも大艦巨砲主義を捨て切れなかったが、での第一航空艦隊の壊滅により、思想転換は不十分だが航空戦力の価値が偉大と認め、航空優先の戦備方針を決定する。 しかし、方針、戦備のみで施策、実施などまで徹底していなかった。 ・力共に不十分な日本では航空と戦艦の両立は無理であり、艦艇整備を抑える必要があったがそこまで行うことができなかった。 は航空主兵に変更されたが、第一艦隊、第二艦隊は従来のままで、第三艦隊でを獲得してから戦艦主兵の戦闘を行う考えのままだった。 1943年(昭和18年)第三段計画発令で連合艦隊作戦要綱を制定発令し、航空主兵を目的とした兵術思想統一が行われた。 に第一艦隊が廃され、翌月にが創設されたことにより、ようやく大艦巨砲主義が終焉を迎え、が最重要視されることとなった。 その機動部隊と(陸上)航空兵力は、、、など戦いで全く戦果を挙げることなく大打撃を受けた。 レイテ沖海戦に参加した機動部隊にもはや攻撃力はなく、部隊として壊滅した。 同作戦でレイテ湾に突入するはずだった戦艦部隊は目的を達しないまま反転し、その過程で大和型戦艦「武蔵」がによってされた。 翌年4月には、沖縄に向かう大和がこれも航空攻撃によって撃沈され()、日本海軍は大艦巨砲と航空主兵双方がアメリカ海軍の航空主体の物量に敗れる形で終焉を迎えた。 なお、戦艦が最後に実戦で使われたのは1991年の。 「」と「」が出撃し、一定の戦果を挙げている。 出典 [ ]• 日本史広辞典編集委員会編『日本史広辞典』山川出版社、1997年10月22日 第一版第一刷発行 、1281頁。 日本造船学会編『日本造船技術百年史』日本造船学会、1997年5月、51頁。 Gardiner, Robert, ed. , The Eclipse of the Big Gun: The Warship, 1906—45. Conway's History of the Ship, London: Conway Maritime Press, 30 May 1992. , p. 奥宮正武『大艦巨砲主義の盛衰』まえがき• 森雅雄「城西国際大学紀要 21 3 , 1-13, 2013-03• 奥宮正武『大艦巨砲主義の盛衰』朝日ソノラマ344-347頁• 千早正隆ほか『日本海軍の功罪』プレジデント社263頁• 千早正隆ほか『日本海軍の功罪 五人の佐官が語る歴史の教訓』プレジデント社300頁、源田實『海軍航空隊、発進』文春文庫185頁• 奥宮正武『大艦巨砲主義の盛衰』朝日ソノラマ344-347頁• 戦史叢書95海軍航空概史268頁• 淵田美津雄・奥宮正武『ミッドウェー』学研M文庫111-113頁• 戦史叢書95海軍航空概史268頁• 戦史叢書95海軍航空概史269-270頁• 戦史叢書95海軍航空概史348頁 関連項目 [ ]•

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大艦巨砲主義(たいかんきょほうしゅぎ)とは

大砲巨砲主義

戦艦と統合 [ ] せっかくお書きいただいたのに申し訳ありませんが、この記事はに統合されるべきと考えます。 ここに書かれている程度の内容は、すべてそこに書かれています。 また、事実の誤認もあるようです。 日本海軍の大和・武蔵の竣功は太平洋戦争開戦後なんですけども。 それにアメリカのアイオワ級とて着工は戦争勃発前なんですが・・・ただ単に完成してしまったものは使おうというアメリカ海軍と、ただ単に戦艦を建造する国力のなかった日本海軍の差だけだと思うのですが。 14:16 2004年4月11日 UTC は元来の意味から現在の批判的な使われ方まで、話が通るように加筆・訂正しました。 2005年1月15日 土 10:33 UTC この項目は百科事典の『大艦巨砲主義』であり、スポーツ紙の解説ではありません。 最近の編集で、巨人軍の大鑑巨砲主義の中で 飼い殺しに関して具体的選手名を追加されていますが、 大艦巨砲主義に必要なデータとは思えません。 百科事典に記載できる確かな事実の裏付けがあったとしても、飼い殺しという形容詞に個人名を挙げるのは非常に問題があると考えます。 この件に関し3日以内に訂正がなされない場合こちらで修正させて頂きます。 2005年9月6日 火 12:41 UTC この項目は百科事典の『大艦巨砲主義』であり、市町村合併に対する一方的な見解を陳述する場ではありません。 ましてTVの視聴率との関連についてはに記載する内容です。 最近の編集で、これらの項目について加筆がありましたが、Googleで調べても信頼に足る裏づけは得られず不適切な内容と判断せざるを得ません。 よってリバートさせて頂きます。 再度加筆を希望される場合は、この場にて論拠を提示してください 2005年10月1日 土 11:24 UTC 項目:『大戦以降の「大艦巨砲主義」の使われ方』 [ ] 折角Miya. m様が苦心して整形しておられるので恐縮なのですが、この項目自体不要ではないかと考えます。 この項目で書かれている内容と「大鑑巨砲主義」との結びつけはどれも世間一般で認知されているものとは思えませんし、まして専門用語でもありません。 -- 2005年11月13日 日 06:31 UTC こんばんは、Miya. mです。 Extrahitzさん、初めまして。 ご指摘ありがとうございました。 世間一般で認知されているものとは思えないとの事ですが、「大鑑巨砲主義」という言葉は企業、工場の経営、運用に関して比較的よく目にしますし(「専門用語」でないでしょうが)ビジネス分野では項目で説明したように使われております。 Googleでも「大艦巨砲主義+経営」「大艦巨砲主義+トヨタ」「大艦巨砲主義+NTT」「大艦巨砲主義+富士通」「大艦巨砲主義+三菱自動車」・・・などで少なからぬヒットがあります。 16)」のように使われたりしております。 つまり、錚々たる大企業が小回りを利かせるべく努力するためのアンチテーゼとして使われている場合が多いです。 これでお答えになりましたでしょうか。 -- 2005年11月13日 日 12:04 UTC ご回答ありがとうございます。 言葉が足りず申し訳ありません。 「大艦巨砲主義」の語が「巨象」のように大企業を揶揄する言葉として用いられていることは承知しておりますが、ガイドラインにおいて「用法案内」は避けるべきとされています。 「大艦巨砲主義」を理解する上で欠かせないほど、「大艦巨砲主義」の概念がこれらの組織と結び付けられて認知されているのであれば例示も必要かと考えますが、そうではないと言いたかったわけです。 用法に当てはまる事例を列挙するならそれこそ無限に可能であり収拾がつかなくなります。 -- 2005年11月13日 日 13:49 UTC 週末執筆者のです。 記事の整理をありがとうございました(実は私も巨人への言及はどうかと思っていたのです)。 なお少しニュアンスを修正させて頂きました。 2005年11月18日 金 22:24 UTC 要は項目名が悪い、「使われ方」などというから「実例」書いちゃう人が出てくる、ということで、項目名を変えてみました。 いかがでしょうか。 なお、これだけ本来の意味を詳述している充実した記事が「字引ではない」に抵触するはずがありません。 これは「字引で終わってはならない」と解すべきもので、「実例を伴わねば書くな」という意味ではないことは言うまでもありません。 2005年11月19日 土 11:17 UTC 字引どうこうはよく分かりませんが、この見出しはいいですね。 的確な編集をありがとうございました。 -- 2005年11月20日 日 03:56 UTC 定義部分 [ ] 定義部分がいかがかと思われる。 各国が戦艦の建造をしなかったのは、ワシントン条約が締結されたことの原因があるように、各国が戦艦建造の予算がとれなかったことにすぎない。 そうでなければ各国は無条約時代になってなにゆえにあれほど巨大戦艦の建造予定を立てていたのかの理由が説明できない。 2005年11月13日 日 06:51 UTC 0null0さん、お久しぶりです。 ご指摘に沿うべく私なりに加筆しましたが、いかがでしょうか。 至らぬ点がありましたら是非ご修正・ご加筆願います。 -- 2005年11月13日 日 12:04 UTC 航空機が戦艦を沈めた例 [ ] ビスマルクが例の一つに挙げられています。 航空機 この場合はソードフィッシュ の雷撃により航行に致命的な支障を与えたことは確かですが、撃沈に至ったのは英国海軍の戦艦の砲撃と重巡洋艦の雷撃によるものです。 -- 2012年6月20日 水 10:27 UTC アメリカの生産力を根拠にした無節操な表記に物申す [ ] 「なお、この件に関して日米を比較するに、アメリカ海軍は第二次世界大戦中に戦艦10隻・正規空母18隻就役させているのに対し、日本海軍は戦艦2隻・正規空母6隻である。 つまりアメリカ海軍が建造した正規空母は戦艦の2倍に届かないのに対し、日本海軍は戦艦の3倍の空母を建造しているのである。 比べるに航空母艦の数では日本はアメリカの2倍、イギリスの1.5倍に迫る艦艇数を就役又は建造中であった。 大艦巨砲主義の象徴とも言われる大和型戦艦だが、圧倒的な国力と艦艇数の不利を軽減する為には、艦隊決戦思想に基づく「漸減邀撃作戦」を取るには避けて通れない選択であろう。 また軍縮条約破棄から開戦に到るまでの就役又は計画数に措いても日本は圧倒的に少ないのを見ても、源田実大佐の批判に反して、帝国海軍は世界ではいち早く大艦巨砲主義から抜け出し、航空主兵を急速に推し進めた海軍だと言えるのである。 」 冗談じゃない。 アメリカに戦闘艦製造の余力があったから戦艦を10隻作れた結果の比率であって、その比率の違いから日本が「航空主兵を急速に推し進めた海軍だと言えるのである。 」などというのは、明らかに当時の状況を無視した手前がっての判断であると言わざるをえない。 当時、アメリカ以外の国は本当に必要なもの以外は作る余裕なんて全くなかった。 それは、アメリカが、航空機に置いて、戦闘機から重爆撃機までどれも生産できたことから推測できるだろう。 こんな国は当時、どこにもなかった。 それと同じように、海軍でも、戦艦から空母、重巡洋艦、駆逐艦、潜水艦に至るまであらゆる艦艇を無尽蔵に建造している。 当時、最も活躍するであろう重巡洋艦、軽巡洋艦を多数建造できた国はアメリカのみである。 戦艦には艦艇が出来た後の艤装という長期間を必要とする作業が必要であるのに比べ、航空母艦にはそのようなことがなく、はっきり言えば建造が簡単な艦艇だったのである。 それを作ったことのない国には困難だったが、赤城、加賀という改装、翔鶴、瑞鶴といった当時最高レベルの技術があった帝国海軍にとっては空母の建造は「カタパルト」を除けば世界水準にであり、戦艦ではなく空母建造に進んだのはむしろ、当然のことであり、それでも戦艦を建造する「余力」があれば、当然の事ながら戦艦を建造していたはずである。 改装空母があっても改装戦艦などがなかったことからも、空母が建造しやすかったことが証明できる。 そして、未だ巨砲主義を脱しなかったことは、海軍が「信濃」という大和クラスの参番艦の建造で証明されている。 というのが、私の意見である。 () 2016年3月25日 金 12:56 UTC 出典不明記述の削除 [ ] 「大艦巨砲主義」の記事には出典不明、独自研究の記述が多数存在するため、一週間後に出典不明の記述は大幅に削除します。 Wikipediaにおけるルールであるとで、加筆の際の出典の明記は義務付けられています。 大規模な編集の正当性に関しては「」を熟読ください。 Wikipedia 検証可能性• 記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。 出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。 出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。 削除後も出典が用意できる記述に関しては復活させてかまいません。 削除・修正を加える対象は、「大艦巨砲主義」の記事にある出典不明記述の全てです。 Wikipediaにおけるルールであるとで、加筆の際の出典の明記は義務付けられています。 また、「wikipedia内より参照」は「Wikiで構築されたサイト」に当たりを満たしません。 チュートリアルでも他の記事を出典にしてはいけませんと教わったはずです。 出典が明記されていない文章は何年記載されていたものであろうと正当性はなく、削除するべきものです。 一週間待ちますので出典の明記をお願いします。 明記できなければ削除しますが、その後も出典を用意できれば、出典の記述だけ復活させることができます。 それでも出典の明記を拒んで差し戻しを繰り返される場合は改めてブロックを要請します。 それから私に対し、「出典が明記されてる記述まで大量に書き換える常習者」と申されていますが、wikiの記述(当然出典がある正当なもの)の変更はWikipediaのガイドラインで推奨される正当な行為です()。 Wikipediaは多くの方が長い時間かけて加筆することで膨大・雑多になりやすく、同様の文章をまとめたり、項目を整理する必要が発生するからです。 投稿するということは「自分の文章が他人によって自由に編集、配布されることに同意する」ことを意味しています。 「いい加減な項目作成や編集が多数あり」「独自解釈による」などの不満があるのであれば、差し戻しを簡単に行わず、方針に照らし合わせておかしいと思われた部分だけを改めて編集してみてください。 人によって感じ方はバラバラなので他の人からおかしく見えることがあるのは理解します。 利用者同士で対立した場合、記事のノートで協議が始まります。 それではよろしくお願いします。 --() 2018年5月4日 金 08:11 UTC• こんな他の人が見ないところではなく証拠が残るようにのノートで改めて協議を始めて下さい、wikiは少数人数の意見を述べる場所ではありませんので、私の会話内で行っても無効です。 また、始めあなたは「日本海軍における大艦巨砲主義」の全文を削除しておられましたが、今度は私が修正及び加筆した部分のみを限定して対象にしているようですが、これは私個人への攻撃と捕えてられても仕方ない行為だとご理解しておられますか?また、出典の明示と言うのであれば、ルールに従って、どの部分の出典を求めているのか分かるようにして下さい。 そして「出典が明記されてる記述まで大量に書き換える常習者」これが身に覚えが無いのであれば、誰が見ても分かるように履歴と差分を明示してお教え致します。 尚、協議が始まった折には他の方が見られても経緯が分かるように、この話題の文章は協議が始まったノートへ転載する事を改めて申しておきます事と、協議無しで勝手に削除修正された場合は、こちらも同様の措置を取らせて戴きます。 と書かれていますが 部位の特定もせずに出典など出来るわけがありませんし、もし書いたらとてつもなく膨大な量の注釈が必要となりますので、その様な申し出は全文削除ありきの協議もどきとしか思えませんが? 上記の経緯で書いたように、私個人に対しての攻撃で無いのならば、出典が必要な部分を示して戴かないと協議にすらなりませんよ。 例えばこの様に [ ]。 あなたの履歴を拝見いたしましたが、協議も無しにこの様な独善的な編集を数多くされているようですが、少し改められたら如何ですか? 再度申しますが、まず出典の必要とされる部位を特定し、その部分に要出典の句切りを付けてから申し出て下さい。 () 2018年5月4日 金 14:34 UTC 繰り返しますが、出典不明記述の「全て」が対象です。 出典を明記することは編集者の義務です。 今回はIshutyさんからの希望があり、猶予を与えるために告知しましたが、本来であれば、「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)」というのがWikipediaのルールです。 出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側です。 出典の有無が判断できないなら編集に参加するべきではないし、削除された後でも出典さえ用意できれば再度記述できるのでそちらで対応してください。 --() 2018年5月4日 金 14:55 UTC この記事の場合、導入と「概要」「歴史」「戦艦と射撃システム」「大艦巨砲主義の終焉」の節、それからあなたが勝手に削除した節の要出典テンプレートより下の「日本海軍における大艦巨砲主義」の節が対象になります。 勝手に削除したテンプレートは戻しておきます。 --() 2018年5月4日 金 15:20 UTC• 「」 こちらを一度読まれた方が宜しいかと思いますよ。 ルールの悪用とは、ウィキペディアの目的と他の編集者を故意に妨害するために、悪意を持ってウィキペディアの方針とガイドラインを使用することを意味します。 妨害的編集にも該当します。 ルールの悪用は、自分の主張を何とか通そうとするあまり行われることが多く、本人が意識せずに行っていることもあります。 () 2018年5月4日 金 15:59 UTC それは「もしこの具体例が冗長で無駄が多いと感じたら……」に対する例示です。 しっかり読みましょう。 それに「何も言わず」ではなく、最初から出典不明だからと説明してます。 また、ガイドラインは方針に従っていることが前提であり、今回のようなに違反した行為は認められません。 三方針は議論の余地がないものであり、他のガイドラインや利用者同士での合意によって覆されるものではありません。 にはIshutyさんの行為について言及されています。 もしあなたが追加した記述が「出典なし」として除去されたことが不当だと思ったら…… 良い例 - 出典をみつける。 悪い例 - その記事にある、出典のない記述をすべて除去する。 または、記事全体に出典がないのだからと主張して、再びその記述を書き加える。 あなたはまず「日本海軍における大艦巨砲主義」の節要出典テンプレートより下部分の出典を提示してください。 --() 2018年5月4日 金 16:31 UTC 記事の方が保護状態になったため、Ishutyさんは期限内に出典を提示されるか、削除同意の意思表示をここで行ってください。 どちらもない場合は出典の明記を守る意思がないと判断してブロック依頼に提出することになります。 まずは「日本海軍における大艦巨砲主義」節における要出典テンプレート以下の「なお、この件に関して日米を比較するに」以降の全記述・表の出典の提示をお願いします。 --() 2018年5月5日 土 10:20 UTC• まず私はお二人の論争に関知しません。 ですが、差し戻しはいただけません。 にあるように、「内容についての合意形成に向け議論が続いている場合は、それに関する部分の編集を避けるようにしてください」です。 当方としては、当該記述は基本的に保存し配慮しました。 コメントアウトしたのはあなた方の記述を残したままでは編集後の記事構成がおかしくなるからというだけです。 にもあるように「論争のある記事を編集するときは、論争のある部分とない部分とを分ける」です。 あなたは、あなた方の論争の外の編集を何故受け容れないのですか? それは議論の最中だからですか? でしたらすでに書いたように理由として成立しません。 私は編集後の文章が「記事として」おかしくなるので隠しただけだからです。 あなたが上手に修正できるならコメントアウト部分をうまく修正・復活なされば良いでしょう。 それとも他に何か理由がありますか? 私が行った編集はこの記事の内容としてふさわしくありませんか?--() 2018年5月5日 土 10:28 UTC 現在論争になっているのは記事の全体です。 記事のほぼ全てが出典不明だからです。 あなたが出典によって記事の改善を図るつもりならば歓迎しますが、いずれにせよ記事は保護処分となりましたので論争の解決を待ってください。 --() 2018年5月5日 土 10:36 UTC まず最初に、あなたは私の会話だけに限らず多数の所で「ブロック依頼に提出することになります。 」このような脅し文句と取られる事を書いておられますがそれはご自分の為になりませんよ。 次に現在記事が保護されているのは私が依頼を掛けたわけではなく、恐らく管理人の方がこの協議の内容を判断した上での処置だと思いますので「削除同意の意思表示をノート:大艦巨砲主義の方で行ってください。 」はお断わりいたします。 重ねて申しますが、29,834バイト分の記事を一括で出典するよう求められても無理難題としか思えず、どの程度の事を求めているのか判断出来ずに不可能と言わざるを得ません。 そしてwiki内の参照先のページで出典されている部分も多数ありますので、まずそちらを確認された上で、どの部分が不明なのか?どの部分に対して出典を求めているのか明示して下さい。 現状ですとにてあなたの提案に反対し、廃案にされた意趣返しとも捕えられますし、あなたの履歴を備に拝見いたしましたが、出典もしている私の記載した記事をかなり削除されている様ですが、過去に何かありましたか?() 2018年5月5日 土 14:33 UTC ブロック依頼は脅しではなく事前通告です。 どちらも拒否されるなら絶対に実施します。 あなたがWikipediaを理解していないなら理解する時間が必要ですし、理解してやっているなら編集妨害に当たるからです。 事前通告するのは話し合い(今回は明確な方針の違反なので出典の提示)で解決できるならその方がよいからです。 嫌ならもう言いません。 また、保護があなたのせいとは言っていませんし、妥当な判断と思っています。 ここのノートでの出典の提示か削除同意の意思表示を求めるのは、保護によって記事が編集できなくなったための処置です。 それから記事全体の出典を求めているのは私ではなくWikipediaです()。 どの記事も常に全ての記述の出典を要求されているのです。 また、方針には「出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)」とも明記されています。 つまりあなたが差し戻された私の編集は方針に沿った行動です。 今回の編集で出典不明記述の全てを一挙に削除するということはありませんし、実際にあなたが差し戻された私の編集は必要な分しか削除していません。 「wiki内の参照先のページで出典されている部分も多数ありますので」これはWikipediaにおける禁止行為です(「ウィキペディアの他の記事を出典として使わないでください。 改名は廃案になってませんし、最初の私の提案に戻って採決されただけなので何とも思ってません。 私があなたの出典記述を削除したというなら戻されればいいだけです。 今まであなたから編集のクレームも受けたことがないと記憶しています。 編集者同士の私怨という形ではぐらかそうとしているのでしたら無駄です。 ここからが本題なのでよく読んでください。 あなたは私が出典不明と独自研究を理由に削除した記述をされました。 また、出典を明記した記述の加筆と構成の変更した編集もされました。 つまりあなたはこの差し戻しに説明責任があります。 期限内にあなたに要求することはで戻された文章((に違反)の出典の提示。 そして、も理由を明確にしてください。 構成が気に食わなかったなら差し戻しではなく、編集によって妥協点を探るのがWikipediaです。 ノートで協議してもいいでしょう。 ただ、あなたは出典記述を削除されたのでそこは認められません。 その他の存続を求められる記述がある場合、それも出典を用意しなければ将来的に削除・修正されることになります。 まずは部分の出典の提示であなたに出典の明記という方針に従う意思があるのかどうかを示してください。 --() 2018年5月6日 日 11:39 UTC• 端的に言えばあなたが出典の明記されている記事まで大量かつ連続で削除書き換えをする常習犯だからです、なので必要とされる出典箇所を明記するよう依頼しているのです、それと一つ完違いをされているようなので申しますが、wiki内の参照元で出典されている部分に対しては参照先のページでの出典は不要です、これも差し戻しをした理由の一つです。 () 2018年5月6日 日 12:17 UTC 今回求める「必要とされる出典箇所を明記」は、です。 期限内は待ちます。 「wiki内の参照元で出典されている部分に対しては参照先のページでの出典は不要」はどこで認められたルールでしょうか?--() 2018年5月6日 日 12:31 UTC 「wiki内の参照元で出典されている部分に対しては参照先のページでの出典は不要」ルールに書く必要すら無いネットにおける一般常識ですよ。 また、あなたの様に出典の明記されている記事まで大量かつ連続で削除書き換えをする常習犯が、29,834バイト分の記事を一括で出典と言われても削除ありきの言い分としか取れませんので、必要とされる箇所を区切って明示して下さいと言っておるのですが。 () 2018年5月6日 日 13:08 UTC• 一つお伺いしますが、あなたは最近言葉の重複となる「中止になった日本の計画〇〇」と言うカテゴリーを沢山作られておりますが、あなたの言い分であれば、これらのカテゴリーには一切出典がなされておりませんので全てが削除対象と言う事になるのですよね?因みに中止になったから頭に計画が付くのですよ、頭痛が痛いと同じです。 () 2018年5月6日 日 13:19 UTC 繰り返しますが、今回あなたに求める出典明記は、です。 あなたが加筆、差し戻しされた文章なので説明責任を果たしてください。 それからあなたの常識でなく、Wikipediaの方針に沿って編集してください。 wiki内の参照は出典になりません()。 --() 2018年5月7日 月 11:24 UTC• 「wiki内の参照は出典になりません」を主張するなら、まずご自分で勝手作られた、、等々、批判の多い中勝手にやられたようですが、これらを削除して全てを元に戻してから申して下さい、あなたの論理ならば全て出典無しなのですから。 それと本ページ内には出典が明記されてない記述が沢山ある中、何故狙ったかのように私が修正した箇所と、記述した部分だけを対象にしたかの理由もお願いします。 () 2018年5月8日 火 09:01 UTC 出典不明記述はすべて出典記述に置き換えられるべきだし、将来的にそうなるように取り組みはします。 しかし現在のところ記事としての体裁を保てるほどの出典がないため、配慮して今回は見送っているだけです。 他の誰かがそれらの出典不明記述を削除しても文句はありません。 表とその分析の部分はとの方針に大きく違反していると判断したためです。 持論を展開しているため中立的観点も欠いていると言えるでしょう。 だから表だけは要出典として見送っていました(出典がなければ今度は表も削除することになります)。 表と「他国も戦艦を建造している」くらいの文章なら要出典でしばらく残したかもしれません。 また、削除したのはあなたの記述だけではありません。 構成を変えた二回目の編集では出典を追加したことで必要なくなった序盤の文章もかなり削除しています。 --() 2018年5月8日 火 11:31 UTC• 「出典不明記述はすべて出典記述に置き換えられるべきだし」「将来的にそうなるように取り組み」?あなたは今現在それを言い張って記事の削除を求められておられるのですから、人に求めるならまずご自身のなさったwikiの記述やカテゴリー作成から削除修正を先に実行して下さい。 さらに言うならあなたが挙げておられる他の理由に該当する部分も多々ありましたので、それは今現在申し出てるページの削除修正が終わったら後に順次要求させて戴きます。 そして凡そ2年もの間数多くの方が読まれて文句が出ず、むしろ補足修正までして戴いた部分に対してあなた一人だけが「独自研究」と言っておられるので、表に対する解説に偏りがあったり、独自研究と思われる部分があるならそこを明示して下さいと言っておるのですが、全文では分かりませんし出典の明示も解説も出来ませんので。 () 2018年5月8日 火 12:47 UTC 出典がないなら該当部分の全てが独自研究ということになります。 先ほどから繰り返されているカテゴリは正当な手順で改名されたものなので、あなたが不満なら正当な手順で改めて改名してみてはどうですか。 あなたの定義では現在も建造中の計画艦は計画艦ではないというおかしな話になりますが。 一向に出典の明記を守る様子も見られませんし、関係ない記事や私への個人攻撃は話題をそらそうとしているように見えません。 --() 2018年5月9日 水 10:52 UTC• なるほど、wikiの参照は出典とは一切認めないのがあなたの主張でありルールなわけですね、当然ご自分に求められた場合はその状態でも一切の反論も無くお認めになると明言してお約束して戴けますか?しかも出典のある部分も含めて全文削除と言う言い分でもです。 ついでに言うなら現在保護状態で書き込みは出来ませんので。 そして個人攻撃と言うなら始めたのはあなたですよ、私はあなた独自のルールにもとずいて、ご自分の編集はどうなのですか?と問うているのです。 ちなみに、これは閉鎖されたネットではありませんので、あなたの主張は多くの方が読まれている事を念頭においてご返答を願います。 () 2018年5月9日 水 15:50 UTC 繰り返しますが、Wikipedia記事の全編集に出典が求められるのはWikipediaのルールです )。 また、「ウィキペディア自身の記事を出典として引用することは、自己参照となるため、できません。 」と定められています()。 今回、出典の提示を要求している「」には出典がありません。 出典不明記述は削除されても文句は言えません )。 出典の提示か、編集の同意をよろしくお願いします。 --() 2018年5月10日 木 11:41 UTC とりあえず、「事実」と「事実以外の部分(意見や考察などに属する記述)」を分けて考えるべきです。 に「(前略)真剣に異議を唱える人はいませんから、私たちはそれらを自由に主張できます。 」とあるように、客観的に確実な事実であれば特段の出典を必要としません。 ですから氏はやはりある程度要出典部分を絞る必要があるでしょう。 建造数や計画数といった数字は、誤認がないなら「事実」に属するものですから、特別な説明が必要なのでなければ出典にあたる必要性は必ずしもありません。 の使用をお勧めします。 もっとも、だからといって氏の擁護に立つものでもありません。 事実を除いた部分は独自研究要素を強く感じますし、事実の部分にしても、そもそもこの記事に記述するにふさわしい内容であるのか、贔屓目に見ても過剰に過ぎる記述ではないかというかなり根本的な疑義も持っています。 にあるように、「百科事典の記事はあらゆる細部に至るまでのすべてを包括する詳細な解説ではなく、記事主題に関する、それぞれの分野において受け入れられている知識を要約したものであるべき」だからです。 とはいえ、最初に述べたように、私はお二人の論争に深く立ち入る気はありません。 私は私でこの記事の方向性をかなり大きく修正したいと思っていますから、保護解除の暁には元の編集に差し戻す予定です。 論争部分はコメントアウトで保存しておきますから、削除や修正はお二人がご納得の上で行っていただければと思います。 最後に老婆心からの一言添えますが、このノートの履歴はお二人だけで延々続けられている状態で、明らかにヒートアップが見られます(ほぼ交互に書いている状態ですね)。 コメント依頼などで他者の意見を募り、自身は一呼吸置かれた方がよろしいかと存じます。 --() 2018年5月10日 木 14:50 UTC を熟読してください。 Wikipediaを編集するうえで三大方針は議論の余地がない義務です。 事実というならそれが事実である出典を用意してください。 「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」が求められます。 さんが差し戻される場合も同じ義務を負います。 それからさんは編集頻度が極端に低いですが、サブアカウントでしょうか?サブアカウントの場合は本アカウントを明示していないと違反行為になる可能性があります。 特に編集経験が浅い方が突然仲裁に入られるとどちらかのサブアカウントを疑われる場合があります。 --() 2018年5月11日 金 10:55 UTC 「ある調査により結果が公刊されたということは事実です。 火星と呼ばれる天体が存在する、ということは事実です。 プラトンは哲学者であった、ということも事実です。 」計画数や建造量といった数字はまさしく「その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述」です。 ただしだからといって当該部分を残せと主張するものでもありません。 「要出典とは違う」というだけで、私も当該記述はむしろ不要と考える立ち位置ですから。 加えて、事実であれば何でも書いて良いわけではないのも当然です。 事実の切り口次第で解釈が全く変わるなんてのは良くあることとおわかりでしょう。 当該部分について例として反証するなら、日本は第三次国防所要兵力量改訂で「戦艦12隻、空母10隻」を定数として定めてますし、マル3~マル6の計画数では戦艦11+超甲巡6に対して空母9ですから依然として戦艦を重視し、計画量でもずっと多数を構想している、となります(排水量で比較するならその差はさらに開きます)。 同じ数字を見比べても解釈次第(例えば改装空母の扱いなど)で簡単に考察・記述が逆転するのはこれこの通り。 だから独自研究的要素が強い、というのですよ。 で、貴方はコメント依頼等の第三者の意見を求めようとしましたか? 二人だけで延々論争していること自体、他の利用者から見れば望ましい状態ではないことはおわかりですか? なぜ保護にまで至ったのか、その責任の一端がご自身にないと言い切れますか? 編集合戦は一人だけの編集では絶対に起こりませんよね?--() 2018年5月11日 金 11:28 UTC 繰り返しておきますが、私は基本的にお二人の論争に深く立ち入る気はありません。 より正確に言えば「論争の内実」に深く立ち入ろうとは思っていません。 私は当該記述はこの記事にとって不要と考えてはいますが、それを積極的に削除編集する意志はないということです。 Wikipediaが皆の力で創り上げるものであり、自分一人が記事の内容全てに責任を負う必要もまたありませんから。 コメントアウトを表明しているのも単に私が編集を行った後、当該部分他をそのまま残しておいたら文章として全体構成がおかしなものになるからというだけで、それ以上の他意はないのです。 コメントアウトから修正した上で自然な構成で表に戻されるなら、それは歓迎すべきことと認識しています。 --() 2018年5月11日 金 11:37 UTC• まあ、専門家でない利用者への配慮として参考文献を挙げるのは良いことです。 当然表として載ってるわけじゃなく、掲載情報から自分で数えることになります。 もっとも、繰り返しますが私はこの表含めた記述自体にあまり価値を見いだしませんが。 --() 2018年5月11日 金 15:59 UTC 「で、貴方はコメント依頼等の第三者の意見を求めようとしましたか?」これを私に問うているのでした、をご覧下さい、この議論が始まったその日に行っています。 「同じ数字を見比べても解釈次第」「マル3~マル6の計画数」はや商船改造空母が含まれておりませんので、表面上の情報しか見ない方にとっては秘匿状態で補助金を出したり設計された事を知らないでしょうから間違った数字となるのですが。 ちなみに潜水母艦は当時の空母の事を知ってる方にとっては当たり前の事ですし、商船改造空母は、実家に置いてあるので今正確に述べられませんが昭和60年頃の丸と言う月刊誌に飛鷹型についての特集記事がありますのと、また別の号に隼鷹(商船改造空母)の設計に携った方の文章が掲載されておりますので出典なら可能ですよ。 () 2018年5月13日 日 15:05 UTC 空母改装が決定されたのは出師準備によりますし、改装予算も臨時軍事費から出てるので平時計画と同一視するのは無理があります。 アメリカがインデペンデンス級やサンガモン級で行い、日本も伊吹や信濃で行ったことをもう少し段取りよく、戦前から準備していたというだけのことです(貴方は予算措置や改装発令の件を承知していましたか?)。 ましてやこれをもって「大艦巨砲主義を声高に唱えているのは一部の者だけ」等と書くのはあまりにも過大評価に過ぎます。 この件に限らず、貴方の記述に異を唱えるつもりなら用意できるネタは一つや二つじゃないんですよ。 私は貴方の記述を積極的に削除しようとは思いませんが、決して賛同しているわけでもありません。 保護解除後に私は既存部分をコメントアウトしたかたちで編集する予定ですが、隠した文章を復帰する際には十分な吟味と議論、そして修正を経てから行った方が良いとは申し添えておきます。 --() 2018年5月18日 金 01:24 UTC 商船改装空母について誤認があるようですね、まず大前提として他国人も利用する船だと言う事です、特に東京オリンピックでアメリカ航路に用いた場合には仮想敵国人に下層にまで入られるのを止める事は出来ず、通常の客船では有り得ないような構造や補強が入っていても疑いを持たれないようにする必要があります。 例としてはダブルハル構造や後部エレベーターの為の補強の偽装、煙突となるべき場所の確保等で、これを設計初期段階から行っています。 次に補助金ですが改修費用ではなく、建造費用の6割が助成されており、単純計算でも商船改造空母全ての建造助成金だけで、大和型戦艦1隻の建造費用の約7割になります。 その条件の一つに3ヶ月以内で空母への改修が出来る事ともあり、これは昭和12年の事です。 元々が軍艦のインデペンデンス級や伊吹、信濃、油送船であったサンガモン級等、秘匿が可能であった船と同列に語れる物ではありませんし「もう少し段取りよく」というレベルでは無いと思います。 実際は設計当所に用いる予定だった艦上機との差や、運用思想の変革、ダメコン等の理由で3ヶ月では終われませんでしたが。 そして「大艦巨砲主義を・・一部の者だけ・・取り入れる価値の無い」はBfDXjJtUZv6qさんがどの時点での事と思っておられるか分かりませんが、私としては「昭和16年11月・・艦艇建造計画の見直しが行われ」つまり開戦前後の時期を差して書いたつもりでしたが、言葉足らずであったのなら申し訳ありません。 この様に見る視点と知り得る情報で考えや思いが異なるのは当たり前の事だと思っておりますが、先の状況を見るにあたり帝国海軍が大艦巨砲主義で塗り固められていたと思われるような、一方的な記述は中立性を著しく欠いた物だと思っております。 () 2018年5月19日 土 04:42 UTC ではお尋ねしますが、昭和16年11月にどのような艦艇建造計画の見直しが行われたのですか? この頃に発令されたのはマル急計画や、未着手のマル5計画の一部着手(マル追)計画などで、併せてマル5計画に基づく戦艦や超甲巡の一時見合わせ、建造中の戦艦の優先順位繰り下げ等も行われていますが、進捗状況からすれば当然の判断ですよね。 それとも他に別の見直しがあったのですか? また繰り返し言っておきますが、空母改装の予算は臨時軍事費から拠出されています。 大鯨は昭和13年度、高崎・剣崎は昭和15・16年度帝国議会にて予算が議決されました。 浅間丸級の徴用準備も昭和12年度の第一次戦備促進により発令されたもので、各種艤装の調達もこの時期から始まっています(このときはリフト等一部艤装や図面の用意に留まり、第二次戦備促進でさらに多岐にわたる艤装類の調達が行われています)。 これらはいずれも支那事変への対応によるものです。 対米戦備や大艦巨砲主義との関係はなく、中国戦線に連合艦隊主力を回したくないために補助戦力を整備する目的で実行されたものです(事変当初は加賀が投入されていましたからかなり勿体ない使い方ですよね)。 大前提としてこれらは出師準備が発令されなければ全て母艦や客船としての生を全うできた、ことを留意すべきなんですよ。 いくら秘密の準備をしていたとしても、実際にそれが役に立つ保障なんてなかったんです。 よって貴方の論は改装が実行されたという結果を表面からだけ見たものに過ぎません。 彼女らは戦争がしたくて改装準備が設計に組み込まれていたわけでは決してないのですから。 まあ、敢えて言うなら昭和15年11月に発令された第一次船舶徴傭による春日丸・出雲丸・樫原丸の三隻については、第三次ビンソン計画への当面の対抗が理由として挙げられているので、平時計画の延長とみなせないこともないでしょう(とはいえ改装予算そのものはやはり臨時軍事費からの拠出です)。 また客観的な事実として、大艦巨砲主義と航空主兵主義の力関係を端的に表しているのはご存じ連合艦隊編制でして、その鏑矢は第一航空艦隊の設立、まだ機動部隊は臨時編制になるので艦隊の格としては第一・第二艦隊に大きく劣るものです。 これらと同格まで高められたのがミッドウェー海戦後ようやく建制部隊として発足した第三艦隊ですね。 少なくとも外部から評価できる事実として、帝国海軍は少なくともミッドウェー海戦までは空母より戦艦が格上だったと断言できます。 内部の勢力争いは別にして、これは動かしようがないんですよ。 --() 2018年5月20日 日 04:01 UTC 帝国海軍は日米戦前に大艦巨砲主義から航空主兵論へと転換したのか、その根拠となる文献は何か、が基本的な争点でしょうか。 なにが争点なのか分かりにくいので、仕切り直してもらえませんか。 --() 2018年5月21日 月 02:08 UTC ああ、すみません。 もともとは表中の出典を求めるところから話が始まっているようです。 私は本来深入りする気はないんですが、そもそも当該記述自体が基本的に不要と考えているものでして、Ishuty氏の提示した数字が解釈次第で簡単に考察変わっちゃいますよ、という指摘を少し突っ込んで書いたわけです。 仕切り直されるのでしたら一旦退きましょう。 --() 2018年5月21日 月 04:40 UTC この議論はに移動しました。 --() 2018年5月21日 月 10:51 UTC コメント依頼はあくまでも対象者の言動つまり振る舞いに関するコメントであって、こういう具体的なテーマを議論する場じゃないよ。 -- 2018年5月21日 月 11:25 UTC Ishutyさんの編集における出典に対する考え方、行動についての依頼になっています。 ここの節名が適切ではありませんでした。 --() 2018年5月21日 月 11:33 UTC 保護解除にあたって [ ]• 本日、記事の保護が解除されましたので、以前からの予告通り、論争となっている既存部分をコメントアウトで保存するかたちでの編集を行いました。 繰り返し表明しました通り、コメントアウトはあくまでも文章構成を整合し「読みやすさ」を求めた結果で、記述の可否を判じたものではありませんから、今後の議論の推移による修正・復帰を妨げることは致しません。 議論に際しては、あるいはを活用し、特に他の方の参入や意見表明を期待するものです。 --() 2018年5月20日 日 04:07 UTC 以前にも注意した通り、議論の最中に編集されたため、場合によっては一度差し戻される可能性があることはご理解ください。 今の問題が決着した後の話になりますが、私個人としては、「語源」の節の記述は出典がないならに反しているため、削除すると思います。 コメントアウトで「編者の調査範囲においては確認できず。 他国事例が認められる際は追記願いたい。 」と記載されていますが、出典を用意してください。 なければ、出典を見つけて「日本で使われていた言葉」くらい(海外で相当する語があるかは触れない)なら書けそうですが。 後は「例」に対して解説していますが、これも二次資料が必要です。 こちらは表現を修正するくらいで削除はしないと思いますが、要出典にはなります。 記事には、信頼できる情報源の出典が明示されている内容だけを書くべきです()。 出典を用意する努力をお願いするとともに、他の編集者に上書きされる可能性があることはご理解ください。 --() 2018年5月21日 月 11:17 UTC 「ない」ことの証明は不可能でしょ。 それこそ悪魔の証明。 BfDXjJtUZv6qさんは「存在しないか、あるいは適用頻度が極めて限定されたもの」と書いてるし、対応すると思われる表現も別にあげてる。 実際Wikipediaの他言語版で大艦巨砲主義を解説してるのは、日本語版を訳した中国・韓国語版しか存在しない。 「例」については挙げてもらった記事は国会図書館なんかで実際に読めるよ。 十分出典になってる。 あなたが読むことができないのは出典を出してないのとは違うよ。 -- 2018年5月21日 月 11:32 UTC 証明できない(出典のない)「ない」ことはWikipediaには書いてはいけません。 真実かどうかではなく、検証可能かどうかがWikipediaでは求められます()。 出典のある「例」は問題にしていません。 問題は、出典のない「それに対する解釈」を書いている点にあります。 --() 2018年5月21日 月 11:41 UTC 編集合戦を避けるため、暫定的に戻す版(あるいは新規の版)を決めたいと思います。 まず、現在の版はにおいて複数の方から問題とされる編集が含まれています。 そのため、問題となったおよびそこに含まれる表については削除。 そして、現在の候補としてとがありますが、後者は参考文献の節がガイドラインに沿っていないことは編集者のノートで確認が取れているため、一度前者に戻すことを提案します。 --() 2018年6月20日 水 11:38 UTC どの版もよくないですよ。 そもそも、この項目は「大艦巨砲 主義」であって「大艦巨砲」、「」、「」、「」の項目ではありません。 軍戦備と思想 ないしはドクトリン の両輪ならまだましなのですが、あまりに軍戦備の部分が突出すると、他の記事に統合すればいい状況に陥りかねません。 出典のないところを除去するという考えには賛成です。 ただ、この記事の出典の付いているところの大部分がとかぶってしまうので、一から 定義文から 書き直すのが良策ではないかと考えています。 一ノ瀬俊也『飛行機の戦争 1914-11945 総力戦体制への道』という本があり、で公開されいます。 少なくとも、その「はじめに」の部分は参考になると思いますので、騙されたと思って読んでみてください。 「大口径の備砲をもつ戦艦を中核とする艦隊の建設・保持を重視する海軍軍備と戦略思想」と『日本史広辞典』での定義を紹介しています。 引用されている『アジア・太平洋戦争辞典』、『証言録 海軍反省会 四』33回、『証言録 海軍反省会 六』46回、トーマス・C・ホーン Thomas C. Hone. の など参考になりそうです。 ただし、ホーンの論文には「大艦巨砲主義」とか「戦艦中心主義」という用語は出てきません。 一方、合衆国海軍における「戦艦中心主義」に関して、ジョン・アンドレアス・オルセンは擁護的で、, A History of Air Warfare, Potomac Books, Inc. , 2010, p. には、「パールハーバーが合州国海軍をして戦艦中心の世界観を放棄させ、空母に集中するよう強いたとする考えは、完全に誤りではないにしても、過度の単純化です。 なぜなら、空母は、真珠湾以前でさえ、 海 軍の尽力の重要な部分を占めていたからです。 」と書いています。 いずれにしても、「大艦巨砲主義」という用語に拘泥しすぎると、大日本帝国海軍に限定されてしまいがちですが、「戦艦中心主義」とか「戦艦中心ドクトリン」という用語を使えば、アメリカやイギリスだけでなく、ロシアやソ連についてもソースを見つけることは可能です。 例えば、Tony Eugene Demchak, なんてのもあります。 「」という記事では、「空軍独立論」や「空軍万能論」と同義であるかのような定義付けが為されていますが、厳密に言うとこれは誤りです。 ただし、同じ記事の中で解説するのは非常に有意義なことだと思います。 同様に、「大艦巨砲主義」という記事でも、その用語に拘泥しすぎずに、「戦艦中心主義」や「艦隊決戦主義」も解説するのがよいと思います。 「艦隊決戦主義」とは表裏一体ですから。 膨らみすぎたら、単独立項も可能です。 まずは、リード文 定義文 から提案しようと考えています 資料はそろっていますが考えがまとまっていません。 () 2018年6月23日 土 13:52 UTC 一から 定義文から 書き直すのが良策という点は賛成します。 この機会に出典不明部分は全て削除してしまったほうがいいかもしれません。 航空主兵論と被る部分が多いのは、大艦巨砲主義と対立的に扱われる性質上、仕方がないことだと思います。 一方を語る際にもう一方が必ずと言っていいほど出てくるためです。 この点は大艦巨砲主義に関係して書かれている部分に絞る必要があるでしょう。 現在出典のある記述はほぼ私の加筆ですが、その点は気を付けているつもりです。 「大艦巨砲 主義」に絞る点も賛成です。 現状、戦艦に関する説明が多すぎますが、出典がないので削除してしまってもいいでしょう。 BfDXjJtUZv6qさんの「大艦巨砲」という言葉を中心にした編集は「主義」の記事に必要かは私も疑問はあります。 出典を使って主義に絞って体系的に記述するとなると、で大艦巨砲主義に進んだ経緯と航空主兵論と対立的になった経緯が中心になると思います。 現在は保護状態でこの後の編集でまた編集合戦が始まると大変なので、暫定版の合意を行うため、「下書き」などで新規の記事を作成して提案していただけるとありがたいです。 Takabegさんの意見を聞き、私からの提案はから出典不明記述をすべて削除したものに変更します。 内容は物足りなくなりますが、あくまで編集を始めるための暫定版として提案します。 つまり現在の出典不明記述の全削除の合意といった意味になります。 --() 2018年6月24日 日 11:44 UTC 迅速なレスポンス、ありがとうございます。 さんのおっしゃっていることに、特に異論はありません。 航空主兵論と被る部分があるのは仕方ないという点についても了解いたしました。 この記事に関心のある他の利用者の皆さんの意見も無にはできませんし、新規の記事を作成して「はいどうぞ」と押し付けてしまうのも気が引けますので、少しずつ章ごとに提案していこうと思っています。 でやってもいいのですが、その了解をとっている間に、サッカーの試合が始まってしまうとまずいので、とりあえず、こちらに提示するのをお許しいただければ幸いです。 まず、定義文の作成に利用できそうなものをかいつまんで挙げておきます。 定義文の参考• 「大口径の備砲をもつ戦艦を中核とする艦隊の建設・保持を重視する海軍軍備と戦略思想。 日本海海戦とジュットランド海戦の戦訓から、各海軍国は攻撃に大口径の艦砲の威力を、防御に重装甲の艦体を重視するようになる。 この傾向は航空機の威力が実証される太平洋戦争まで続き、戦艦大和がその象徴。 」)(日本史広辞典編集委員会編『日本史広辞典』山川出版社、1997年10月22日 第一版第一刷発行 ISBN4-634-62010-3、1281頁)一ノ瀬さんも引用しているものです。 「艦隊決戦を念頭に、大口径の主砲を持つ戦艦を重視する海軍の軍備戦略思想で、英戦艦ドレッドノート 1906 や大和はその象徴。 第二次世界大戦で航空機が戦艦を撃沈する威力を示しても、この主義を脱しきれなかった」 武光誠、村上直、佐藤和彦、安岡昭男編『日本史用語大事典』新人物往来社、1995年8月15日 第一刷発行 ISBN4-404-02245-X、698頁 安岡昭男• からですが、「海戦は砲戦によって決せられるとし,射程,破壊力ともに大きい巨砲を積んだ高速で防御力の強い巨艦が勝利をもたらすという戦略思想。 」 『ブリタニカ国際大百科事典』• 同様に「コトバンク」からですが、「海軍力の増強には、大口径の主砲と厚い装甲をもつ大型戦艦が必要とする考え方。 」 『デジタル大辞泉』• 「大艦巨砲主義 海戦手法のなかで軍艦同士で勝敗の帰趨を決定すべきとする主張。 」 『アジア・太平洋戦争辞典』吉川弘文館、2015年11月10日 第1版第1刷発行、、336~337頁 さんが書いていて、かなり長いので、書き出しの一文だけ引用しましたが、これは"艦隊決戦主義"の定義になってしまってますよね。 「巨砲こそ海戦の支配者であり、それゆえにこれを搭載するための巨艦が必要であるという論理に立つ思想」(外山三郎『大東亜戦争と戦史の教訓』) 大艦巨砲主義と戦艦中心主義 上のほうで書いた「大艦巨砲主義」と「戦艦中心主義」を同義語 ないしは「ほぼ同義語」 として使用している例文を幾つか挙げておきます。 編『現代国家における軍産関係』日本国際問題研究所, 1974年、333頁には、「マハンはイギリスの先例によりつつ、国力の基準は巨大な生産力と遠大な市場、それを結ぶ通商航路の確保とにあり、そのためには戦争における敵艦隊勢力の撃滅が海軍戦略の中心であり、大海軍を必要とするという主張を唱えて、広く世に訴えた。 「沿岸防備と通商破壌」から「敵艦隊撃滅」という戦略の転換が行なわれ、いわゆる大艦巨砲 戦艦中心主義 の時代へとはいってゆく。 」 この作品はウィキペディア日本語版では「小説」として扱われていたかもしれません。 つまりとみなされないかもしれません () 2018年6月24日 日 14:56 UTC 新規の版 それでは一から文章を作成し直すということで話を進めます。 複数の版が競合した現状ではそのほうが公平かもしれません。 既存の出典記述は新規の版に改めて加筆する。 既存の出典不明記述はすべて削除する。 この点のTakabegさんの認識はこれでよろしいでしょうか。 現在の出典記述は私の加筆部分の他はネットで見ることができるので再加筆のほうは問題ありません。 今回争いの原因となったのは「出典の明記」であり、内容ではないのでTakabegさんに草案を作成する意思がないのであれば、新規の版の記述は、出典を脚注で明記することを合意するくらいでいいと思っています。 Takabegさんが挙げられた出典に異存はありませんので、先に挙げた2点と合わせてこの3点を合意して守られるなら、私でもTakabegさんでも他の方でも新規の版の作成をしてもいいと思います。 「大艦巨砲主義」と「戦艦中心主義」を同義とするかについては「同義とする見方もある」のように記述して一緒に扱っていいと思います。 節の構成は、導入文と「定義(思想)」「歴史」に大きく分けられると思いますが、「戦艦中心主義」を「大艦巨砲主義」と分けて説明する出典が十分にあるなら「定義」の節の下位に「大艦巨砲主義」「戦艦中心主義」と節を分けてもいいと思います。 --() 2018年6月27日 水 13:40 UTC 自分的にはオーケーです。 最初はかなり貧弱になりますが、加筆していけば大丈夫でしょう。 本来一読者としてコメントだけするつもりだったのですが、これも何かの縁かと思って私も加筆に参加する予定です。 ただ、少なくともさんとさんの同意も得ておいたほうがよいのではないかと思います。 保護解除は2018年7月5日ですよね。 編集合戦が再燃しないように祈っています。 自分なりの定義文の草案はだいたいできていて、、、、、あたりをまとめようとしているところです といっても三行くらいにしかなりません。 が、を調べるのを忘れていることに先ほど気づきました。 英語での呼称についても調べてあるので、必要であれば情報提供します。 キックオフが近づいていますので、この辺で。 () 2018年6月28日 木 13:34 UTC 保護解除期間までは意見を待とうと思います。 異論が出ないようなら合意形成がなされたとみなし、次の合意に沿って新規の版を作成することにしましょう。 既存の出典記述は新規の版に改めて加筆する。 既存の出典不明記述はすべて削除する。 記述は出典を脚注で明記する。 新規の版は、私が作成すると以前の提案した通り、私の版から出典不明部分を削除したものになります。 そのため、定義文から考えておられるTakabegさんにまずやってもらったほうがいいかもしれません。 その後、現在の出典部分などを改めて記載させてもらう形になります。 --() 2018年6月28日 木 14:24 UTC Takabegさんの草案は私の方は問題ありません。 --() 2018年7月4日 水 10:48 UTC 定義文草案 [ ] 大艦巨砲主義とは、艦隊決戦による敵艦隊撃滅のため大口径のを搭載し重装甲の艦体を持つを中心とする艦隊を指向する海軍軍戦備・建艦政策及び戦略思想。 巨砲大艦主義、 巨艦巨砲主義、 巨砲巨艦主義、 大艦大砲主義 とも。 戦艦 1906年 が各国間のを大艦巨砲主義に走らせる契機となった。 、、の事件の後、適切な航空援護なしに戦艦を戦闘に参加させてはならないことが明白となった。 () 2018年7月2日 月 12:12 UTC 出典• 日本史広辞典編集委員会編『日本史広辞典』山川出版社、1997年10月22日 第一版第一刷発行 、1281頁。 日本造船学会編『日本造船技術百年史』日本造船学会、1997年5月、51頁。 Gardiner, Robert, ed. , The Eclipse of the Big Gun: The Warship, 1906—45. Conway's History of the Ship, London: Conway Maritime Press, 30 May 1992. , p. 1 「大艦巨砲主義とは、艦隊決戦による敵艦隊撃滅のため大口径の主砲を搭載し重装甲の艦体を持つ戦艦を中心とする艦隊を指向する海軍軍戦備・建艦政策及び戦略思想」という定義は、艦隊決戦とは何かが分からないと理解できません。 大口径の主砲は当然として、なぜ重装甲が大事なのかもわかりません。 の冒頭文、「大艦巨砲主義(たいかんきょほうしゅぎ)とは、近代戦艦発祥以降に醸成された概念で、簡単に言えば「より大きな船体に、より大きな主砲を積んだ戦艦こそ優越する」というものである。 戦艦が海軍の主力であった時代の根幹を形成する概念であり、当時の列強各国は競うようにより大型・より大口径主砲を搭載した主力艦の建造・保有に邁進していった」のほうが単純明快です。 また、定義文の出典として他の事典類の定義文を使うのはおかしいです。 ほかの文献を出典とするか、出典不要な定義文にするか、いずれかにするべきだと思います。 さらに言えば、対応する外国語表現がない「大艦巨砲主義」がなぜ各国の海軍思想をカバーできるのか、説明が欲しいです。 艦隊同士の砲撃戦が海戦の中心と想定され、そのために強力な戦艦が競って建造された時代があり、その後、航空機の発達にともなって海戦の中心が空母艦載機による敵艦隊への航空攻撃へと移った、という世界的な時代の流れがあったからだと思います。 2 つづく「英国海軍戦艦ドレッドノート 1906年 が各国間の建艦競争を大艦巨砲主義に走らせる契機となった」は、大艦巨砲主義は英国海軍においてドレッドノート建造時に生まれて各国に広まった、と解釈できます。 しかし本当でしょうか? 『日本史広辞典』では大艦巨砲主義は日本海海戦 1905年 とユトランド沖海戦 1916年 の戦訓により成立したことになっています。 先に挙げたBfDXjJtUZv6qさんの版の定義文は「近代戦艦発祥以降に醸成された概念」としており、おそらく奥宮正武氏が出典です。 3 「タラント、真珠湾、マレー沖の事件の後、適切な航空援護なしに戦艦を戦闘に参加させてはならないことが明白となった」という文は、この三つの戦いで負けた側が「適切な航空援護なしに戦艦を戦闘に参加」させた事実があってはじめて妥当なものになります。 しかしそう言えそうなのはマレー沖海戦だけです。 また、「明白となった」かもしれないのはタラントで成功してマレー沖で失敗したイギリスにとってだけで、アメリカや日本に関しては事情が異なります。 各国の事情を書くか、または、大艦巨砲主義は航空機の発達とともに航空主兵論に取って代わられた、程度の抽象的な記述にとどめておくべきだと思います。 --() 2018年7月5日 木 20:49 UTC これは好みの問題かもしれませんが、Kazhikさんの意見で私が共感できる点として、「英国海軍戦艦ドレッドノート 1906年 が各国間の」以降の文章は導入部ではなく、本文に記載したほうがいいというところです。 他の見解もありそうな文章は併記しやすい本文にしたほうがいいと思います。 Takabegさんの作成された草案に節を加えることは大丈夫でしょうか。 Kazhikさんは参加ありがとうございます。 冒頭文に他に案があれば草案を提案されるか、出典とともに定義文を提案していただけると助かります。 出典のある方とない方ではある方を支持せざるをえません。 草案の文章への異論は出典があれば後から記載可能なので、編集を仕切りなおすのにふさわしい版への意見をお願いします。 ウィキペディアの記事はによってでなければなりません。 「三次資料」である百科事典よりも「二次資料」のほうが優位にありますので、適切な「二次資料」があれば差し替えたほうがよいでしょう。 ところで、「対応する外国語表現がない」というのはどの情報源から導いたものでしょうか? 2 ドレッドノートが大艦巨砲主義に関して「画期」となっている点を否定する情報源は見つかりません。 しかし、ドレッドノート 単一巨砲搭載艦、全巨砲装備戦艦 の計画は、1904年から存在していて、その計画の正当化の材料 予算がつかないとできませんから として、日本海海戦の教訓ではなく旅順砲撃と八月十日の黄海海戦の武官 のようです の報告書を計画の正当化の拠り所にしたという情報源は複数見つかりました。 アメリカの場合、ルーズヴェルトは、1904年から単一巨砲搭載艦、全巨砲装備戦艦を造りたがっていたのですが、マハンが反対したため、シムズ大佐に正当化の拠り所として日本海海戦の戦訓を示させることで、マハンを論破させました。 したがって、導入部分では、黄海海戦や日本海海戦などに触れずに、ドレッドノートにだけ言及するのが得策だと考えています。 この点に関してネット環境で読めるのは、髙橋文雄 『日露戦争と世界: 100年後の視点から 平成 16年度戦争史研究国際フォーラム報告書』防衛庁防衛研究所、2005年3月 くらいですが、読んでいただければ、私が何をいいたいのかだいたいご理解いただけるものと考えています。 この論文以外にも同じことを書いている資料が3点手元にあります。 が、を解決しなければいけないのと、疲れているので、次回にさせてください。 3 についても資料を提示して主張してください。 例えば「航空主兵論に取って代わられた」の典拠は何ですか?もし典拠があれば、それで行きましょう。 自分は見つけられなかったので、遠慮がちな表現を選びました。 また、それぞれの海戦の影響は当事国だけに影響したわけではありません。 例えば、タラント空襲については日本もアメリカも研究しました。 いずれにしても、二次資料に対する反駁は、利用者の個人的な感想や主張ではなく、二次資料をもって行われなければならないという点をご理解ください。 () 2018年7月7日 土 15:05 UTC 出典必須はわたしもTakabegさんと同じ立場です。 「英国海軍戦艦ドレッドノート 1906年 が各国間の」以降の文章については出典が示された部分に関しては導入から本文に移動するということではどうでしょう?この話が終わった後の話になりますが、このまま他に草案が出ず、合意にも至らない場合はTakabegさんの草案から編集再開するべきかを投票で決めべきかと思いますが、意見を聞かせてください。 --() 2018年7月9日 月 11:20 UTC 「英国海軍戦艦ドレッドノート 1906年 が各国間の」を定義文から外してもかまいませんが、同じ位置に「日本海海戦」など他の文言を入れないことを絶対条件としてつけさせてください。 理由は上で述べた通りです。 本文に移動させるのはかまわいません。 ただ、浮いちゃいませんか? それと、、というのがありますので投票は避けたいところです。 日本語版ではそれほどではないかもしれませんが、他言語版では「これは宗教か?」と思ったほどに忌避されています。 最悪、にリダイレクトというのも選択肢としてアリだと思います。 () 2018年7月9日 月 14:15 UTC わかりました。 それでは、TakabegさんとKazhikさんの齟齬が合意できるのを待ちたいと思います。 合意が見込めない場合は、新規の版から始めるのは難しいでしょう。 すでに保護も解除されていることから現在の版からWikipediaのルールに沿ってそれぞれで編集していくしかないと思われます。 リバートを繰り返す利用者、対話に応じない利用者などには編集合戦になる前にコメント依頼で対処していけば、保護処分も避けられるかと思います。 --() 2018年7月10日 火 11:11 UTC 私からは、「ルールに従って編集 除去・加筆 しましょう」としか申し上げようがありません。 それと、利用者に対するコメント依頼を出すくらいだったら、この記事についてのコメント依頼を出すほうが、より建設的であると考えます。 でやりましょう。 () 2018年7月10日 火 14:58 UTC わかりました。 合意に至らないようならば、記事に対するコメント依頼を出しましょう。 --() 2018年7月10日 火 15:09 UTC Takabegさんの定義文の場合には、日本で作られたと思われる「大艦巨砲主義」という言葉がなぜ各国の海軍思想をカバーできるのか、説明が必要です。 それが無理なら「大艦巨砲主義」に関連して記述できるのは日本の海軍思想だけになり、定義文の書き方も違ってきます。 私はそのほうがよいと思いますし、BfDXjJtUZv6qさんの版も事実上そうなっていると思います。 (BfDXjJtUZv6qさんの版については本人が出てきて説明してほしいのですが。 ) 大艦巨砲主義に相当する外国語表現はない、というのは「造大艦巨砲之説」の節でのBfDXjJtUZv6qさんの見解だということはTakabegさんも当然ご存知ですよね。 ジェーン年鑑にそのような表現はなかったというのが根拠でした。 そのこと自体を記した二次資料が必要、というTakabegさんのコメントに対しては「この場合は「ない」ことを第三者が検証可能なので記載可能」と返答されています。 私なりに付け加えるなら、「対応する外国語表現はない」という主張は「xxxという外国語表現が該当する」と反証することが容易なので、出典がなくても検証可能です。 次にコメントしているJack. 51さんも結論は「大艦巨砲主義を「日本海軍における」などと定義した文献で日本特有の言葉として紹介し、英訳名称を記載するのが限界」ということで、実質的にはBfDXjJtUZv6qさんと同じです。 --() 2018年7月13日 金 10:26 UTC もし、日本での用語だからその対象に世界が含まれないという主張ならそれは違います。 日本の用語という点を含みたいなら英語文献を出典に「Taikankyohoushugiと訳される」と加筆することが私のほうで可能ですが、どうでしょうか。 --() 2018年7月18日 水 14:21 UTC 定義文草案(第二案) [ ] ここまでの議論を踏まえ、Takabegさんの案にKazhikさんの意見を考慮して次の草案を提案します(は脚注)。 導入文だけの草案に改訂後、現在の版に存在する出典部分(1点を除き私の加筆で、1点も確認済みのため、私が再加筆する予定)も含め、本文は出典の明記を守って加筆し、編集を再開する。 大艦巨砲主義とは、艦隊決戦による敵艦隊撃滅のため大口径のを搭載し重装甲の艦体を持つを中心とする艦隊を指向する海軍軍戦備・建艦政策及び戦略思想。 英語では「taikan-kyoho shugi」 「big-ship, big-cannon policy」と訳される。 --() 2018年7月25日 水 12:15 UTC 1 繰り返しになりますが、ほかの事典類の定義文を小幅修正して定義文を作ろうとするのはおかしいです。 小幅修正の根拠が不明だからです。 具体的に言えば、艦隊決戦や重装甲がなぜ定義文に入るのか分かりません。 2 「英語では「taikan-kyoho shugi」 「big-ship, big-cannon policy」と訳される」というのは、大艦巨砲主義を日本独自の海軍思想として捉える趣旨なら分かりますが、そうでないとしたら意味がありません。 3 イギリスやアメリカにも大艦巨砲主義が存在した、と言いたいなら、一次資料を使ってアメリカやイギリスにおける大艦巨砲主義の変遷を叙述した文献が必要です。 『世界の軍艦』は脚注がなく、参考文献を見ても一次資料がありませんので、出典としては使えません。 私の手元にある奥宮正武『大艦巨砲主義の盛衰』は米英の状況にも触れているので、使えるかもしれません。 冒頭に大艦巨砲主義を戦艦至上主義と同一視する記述があるので、米英にも戦艦至上主義はあった、それは日本でいう大艦巨砲主義と同じ、という認識なのか、あるいは、「大艦巨砲」は戦艦を指す、ということなのだろうと思います。 この点の説明は十分ではありませんが、「大艦巨砲主義は、艦隊の主役を戦艦と考える海軍思想。 戦艦至上主義とも呼ばれる」とでも書いて、『大艦巨砲主義の盛衰』を出典とすれば、イギリスやアメリカの「大艦巨砲主義」についても書けると思います。 4 しかし、「大艦巨砲主義」は日本独自の海軍思想として定義しておき、それとは少し違うが戦艦中心の思想はイギリスやアメリカにも存在した、と捉えるほうが無難だと思います。 --() 2018年7月30日 月 14:25 UTC 1 小幅修正が何を指すのか具体的にお願いします。 定義文に出典にないような差異があるということでしょうか。 2 3 4 英訳を付したのは上で説明したように日本的用語とする出典がない場合、そういったニュアンスを加えたいならこれが限界と思われるからです(Kazhikさんの希望にできる限り沿って加えたものです)。 日本独自の言葉と明確に記載したいならその出典が必要です。 大艦巨砲主義を戦艦至上主義と同一視する記述を再開時の版に加えたいなら出典とともに提案していただいたら私は賛成するでしょう(再開後、普通に加筆してもいいと思います)。 「イギリスやアメリカにも大艦巨砲主義が存在した」の一次資料が何を指すかはわかりませんが、「二次資料」がウィキペディアの記事の参照先として依存する素材庫になります()。 「大艦巨砲主義」という言葉が日本独自の言葉であることと対象が日本に限定されることは同じではありません。 「日本独自の言葉」「対象は日本だけ」という点を記載するにはそう記載された出典が必要です。 出典を示さず反対意見だけ述べる状態ではで言うところのレベル3「反対意見」に当たり、反対されるなら論拠となる理由と証拠(出典)を示してもらう必要があると思います。 また、『世界の軍艦』はいい文献とは思いませんが、二次資料としては使えます。 二次資料を参考文献にした文献 三次資料 も出典として使用可能です。 『大艦巨砲主義の盛衰』も使用できます。 これらは再開時の版には使用されておらず、編集再開後にそれぞれが普通に編集すれば済む問題なので今は関係ありません。 編集再開後、『世界の軍艦』が加筆された際に出典として不適格と思われたら改めて提起してください。 --() 2018年7月31日 火 11:01 UTC 導入の定義が気に入らないのであれば、他の出典から別のものを提案するべきだと思います。 複数の見解があるなら、共通する定義部分だけ最初に記載し、続けて「文献によっては」などで続けて併記していくこともできるでしょう。 日本限定という点は再開した後に出典を見つけたら加筆できるので今記載しなければならない理由はないでしょう。 海外事例をどう扱うかを議論したいならその点は保留し、再開時の版に「海外事例については議論継続」のようなテンプレートを加えることもできます。 --() 2018年7月31日 火 11:37 UTC 議論活性化のためのコメント依頼を提出しました。 現時点での議論参加者はJack. 51さんと私だけで、これ以上のやりとりは同じ議論の繰り返しになりそうだと感じたためです。 いったん休止して第三者のコメントを待ちたいです。 新規参加者にわかりやすくするため、定義文の草案2つを目立つようにしました。 --() 2018年7月31日 火 21:16 UTC コメント 通りすがりのコメントです。 具体的な中身には踏み込みません。 基本的なやり方として、「まず定義文を議論する」というのは、手順としてヘンだと思います。 まずは、適切な出典を用いて記事本体を適切に加筆する。 それから、記事全体を要約する概要部を作る。 場合によっては文字数制限を設けたほうがやりやすい。 最後に、概要部をさらに要約して冒頭文をつくる。 これも文字数制限を設けたほうがやりやすい。 別に決まりでも何でも無いですが、目安として、で用いられている「100字程度」を目指してはどうでしょう。 こういう制限があったほうが、徹底的に削ぎ落として本当に削れない核心的な部分だけを残す、ということが決めやすいので。 も参考に。 にあるように冒頭部分にも出典はあるべきです。 記事本体が適切に出典を示して網羅的に充実するまでの間は、冒頭部分についてあまり論議するのもいくらか非生産的な感じがします。 --() 2018年8月1日 水 06:19 UTC 問題点、争点を要約しておきます。 現在の版は編集合戦回避のために暫定的に残っている版です。 において判明している独自研究があり、他もほぼ出典不明状態にあります。 競合している版にとがあります。 現在の版も含め、いずれかの版で編集を始めるとリバートが繰り返され、編集できない状態です。 そのため、適切な編集を始めるための版を決める必要があります。 もうひとつの選択として白紙化して編集を再開する案が出て、この方向で動いています。 白紙化する場合、論争になりそうな導入部分だけ最初の版に入れておく流れになり、草案はTakabegさんの導入文が提案されました。 現在のところ他の提案はありませんが、Kazhikさんから反対があります。 「大艦巨砲主義」という言葉が「日本独特の言葉」「主義の範囲も日本に限定される」という趣旨を導入に記載するべきとKazhikさんから提案があります。 これに対し、出典なしに記載することに反対があります。 反対に際し、大艦巨砲主義の海外事例を紹介した文献をあげました。 (「大艦巨砲主義」という言葉が「日本独特の言葉(海外に相当する言葉はない)」「主義の当てはまる範囲も日本に限定される」というのは推測であり、現在のところソースはありません)--() 2018年8月1日 水 10:31 UTC コメントを踏まえて、記事本体を適切に出典を示して網羅的に充実させた後、定義文を決めていくことを提案します。 具体的には現在の版でとりあえず編集を再開し、それぞれが方針に沿って編集を行う。 定義文は現在も特に具体的な対立があるわけではありませんが、これから複数現れるなら併記し、必要があるなら議論することとします。 ここまでリバートされた編集者の議論参加もありませんので、対話の意思のないリバートは荒らしで対処することにします。 --() 2018年8月10日 金 11:33 UTC 二週間以上反論がないため、合意とみなし、上記に従って編集を再開します。 --() 2018年8月26日 日 13:26 UTC 造大艦巨砲之説 [ ] 『「大艦・巨砲ヲ造ル」 : 江戸時代の科学技術 : 開館1周年記念平成17年度佐賀城本丸歴史館企画展』 佐賀県立佐賀城本丸歴史館、平成17年12月2日 に、「の海防論 -造大艦巨砲之説-」 天保9年撰 が掲載されています。 佐賀県立図書館所蔵のものと同じものではありませんが 内容は同じ 、山口県立図書館所蔵のものがネット環境でも閲覧できます。 古賀侗庵撰の がそれに該当します。 ここで言う巨砲がか否かとの疑問があります っぽい感じがします が、の書簡にも同じことが言えます。 () 2018年6月3日 日 14:08 UTC ありがとうございます。 やはり幕末期に「大艦」「巨砲」を対句として用いている学者は相応にいるようです。 私も記事中に挙げた佐久間象山以外に二、三当たってます。 できればはっきりと「大艦巨砲主義」に該当するルーツを辿りたいところですが、明治期にそこまで記した文献は今のところ巡り会っていません。 やはり弩級艦、それも超弩級艦が一つの大きな契機になっているのでしょう。 超弩級艦の場合、海外でも「従来の標準的な艦砲(12インチ砲のこと)を超えた砲」を搭載すると定義されており、弩級艦とまた別にエポックな艦種と認知されていることが伺えます。 大正時代は最初の超弩級艦である金剛が就役し、インパクトは大きかったのでしょうね。 一番最初にどこで使われたかまではさすがにわかりませんが、大正年代のかなり早い段階で大艦巨砲主義の名前が登場したことまでは確認できています。 なお記事中にも書いたように、海外の文献では存在が確認できていません。 GW中に100冊以上あるジェーン年鑑全て手に取って、該当するような用語が記載されていないことは確認しました。 よって「ジェーン年鑑に使われていない」は確実にウラが取れています。 その他にもNaval Institute PressやSeaforth、Conwayといった主要文献でも事情は同じです。 ネット上まではさすがに追跡できていませんが、メジャーどころで使ってないのは事実ですね。 もしどこかで見かけたなら是非追記してください。 あったとしても相当マイナーだとは思うんですが、存在するなら存在するでそれは記載する価値があります。 --() 2018年6月3日 日 16:40 UTC 二次資料にあたってみました。 武石智典『研究論集』13 には「大艦巨舶」ということばがでています。 松陰は「夷の砲熕船艦」ということばも使っており、これは「西洋のおおづつを乗せた艦船」の意ですから大艦巨砲のことに違いないと思いますが、これでは独自研究になってしまいますね。 笠井和広[『国際経営論集』28 では「大艦」のみで、あとは「鉄砲」。 荒川紘『東邦学誌』第40巻第1号 には「大艦」のみ出てきます。 五十嵐暁郎『神奈川法学』13 1 では、『文書』二 168頁から宛書翰にある「拒西洋諸夷者、不在大艦巨砲而、當大興教化也」が引用されています。 原本にあたっていないので断言できませんが、木戸がのことを評している感じです。 いずれにしても、「大艦巨砲」であって「大艦巨砲主義」ではないのですが。。。 松本健一『開国のかたち』毎日新聞社、1994年、29頁 に佐久間象山の「敵に大艦あらば我もまた大艦をつくるべし、敵に巨砲あらば我も巨砲をつくるべし」が引用されています。 それと、「ジェーン年鑑に使われていない」は確実にウラが取れています。 という内容を記した二次資料があってはじめて、本文中に記載が可能となります。 () 2018年6月10日 日 14:34 UTC ありがとうございます。 大艦巨砲という言葉自体はある程度存在が確認できていると言えるでしょう。 辞書にも定義されているような「大艦巨砲主義」としての用法は本文にも掲載した(おそらくは)大正期以降の文献からと思われます。 明治期に情報ソースがあるかはわかりません。 確実に言えるのは大正期以降は頻出するようになった、です。 もうこの頃からは本文に挙げた2例に留まらず、十でも二十でも出てきます。 なお付記されたジェーンの件ですが、やはり過去議論が行われています。 そのような場合、通常のなどを用いて出典を明記することはできませんが、脚注の形で(ただしrefを脚注として用いることには賛否両論があります)またはその記事のノートで、「存在すると書かれていないことを確認した」情報源を列記して、その部分の記述が「典拠に基づく」ものであることを主張することが望ましいでしょう。 確かに言及したソースがあれば確実ですが、この場合は「ない」ことを第三者が検証可能なので記載可能と判断します。 ジェーン全部手に取るのは大変ですが、国会図書館と手持ちを合わせて全て調べたので一般人でもできないことはないです。 これが軍事関連のソース全てを当たれとなると天文学的数量ですが、全部で120冊ほどなのでなんとかなります。 --() 2018年6月11日 月 09:47 UTC 語源について文献がなければ、語義などでまとめたほうがいいと思います。 また、英訳では「big ship big gun」なども使われますが、おそらく大艦巨砲に突き進んだ日本特有の言葉とは思います。 しかし、ジェーン海軍年鑑などに記載されていないことを理由に、「「Dreadnought-Era(弩級艦の時代)」や「Big-Gun Age(巨砲の時代)」等を採用しており、「大艦巨砲主義」に相当する表現を用いていないことは事実である」というのは要約の域を超えています。 何が相当する言葉になるかの判断を加筆者が行っているためです。 「相当する言葉がない」という出典が必要になります。 そういった出典がないならば、大艦巨砲主義を「日本海軍における」などと定義した文献で日本特有の言葉として紹介し、英訳名称を記載するのが限界になると思います。 --() 2018年6月14日 木 11:26 UTC この節の論議の目的は何なのでしょうか。 一次資料の提示から話が始まっているのに、コメントに対して二次資料による記述でなければダメだと返答するのは不可解です。 記事のどこをどう改善すべきだと考えているのか、説明してほしいです。 --() 2018年6月16日 土 22:15 UTC @さん:そもそも論議のために節を開いたわけではありません。 の「歴史」の部分にあるに関する記述で一次資料である『象山全集』しか提示されていないうえ、独自研究の作文になっているので、甚だまずいと感じて、情報提供を行いました。 それが目的です。 それと、『「大艦・巨砲ヲ造ル」 : 江戸時代の科学技術 : 開館1周年記念平成17年度佐賀城本丸歴史館企画展』 佐賀県立佐賀城本丸歴史館、平成17年12月2日 は、二次資料です。 二次資料の内容ではいまひとつわからないことがあったので、『海防臆測』という一次資料を紹介しました。 」とあるので、じゃないですね、残念ですが。 () 2019年4月28日 日 12:44 UTC ジュネコール [ ] こんばんは、さん。 「大艦巨砲主義の対極に位置する思想に小型軍艦の運用を重視したジューヌ・エコールがある。 日本海軍も日清戦争開戦前年の1893年まではこちらを採用していた。 」という箇所は、どのソースに掲載されていたのでしょうか?に関心を持ちましたので、教えていただければ幸いです。 それでは。 -- () 2019年5月8日 水 14:13 UTC 返事が遅れてしまいまして申し訳ありません。 このノートへの書き込み方法がいまいち分からなくてしばし放置してしまいました・・・。 取り合えず「ソースを編集」で記述すればいいと思ったのでただいま返信しております。 ジューヌ・エコールのソースですが、これは今まで読んだ様々な本とwebページからの記憶を書き起こしたものです。 これだという一つの文献を特定して提示する事は出来ません。 日清戦争時の主力であった三景艦はジューヌ・エコールの第一人者であったエミール・ベルダンが設計したのは紛れのない事実ですので、これに関しては特定のソースを提示する必要はないと思います。 検索すれば幾らでも明治前半期の日本海軍がフランス海軍の新理論を採用していたという情報は出て来ます。 私見として、出典の注釈はそれがやや一般的でない情報を記述する時のみに付け加えるものだと考えています。 各括弧数値([1]など)の頻出は可読性も下げるのではないかと考えてます。 --() 2019年5月12日 日 14:36 UTC さんへ。 私見はあくまで私見として持っていていただくぶんには問題ないのですが、それをウィキペディアで実践してしまうのはかなり危険だということを申し上げておきます。 に「記憶」は入っていません。 まず、「日本海軍がジュネコール支持者の設計した艦船を購入したこと」と「日本海軍がジュネコールの理論を採用したこと」とはイコールではありません。 また、"日本海軍" "フランス海軍" "新理論" "採用"で検索してみましたが、「検索すれば幾らでも」でてくるどころか、全く出てきませんでした。 提案者というのはジューヌエコールを考案して提供する人物という事です。 提案者を日本の建艦技術の手本として招いた事は、ジューヌエコールを採用した事と同義になると考えます。 なお、検索というのは明治時代の日本海軍を扱ったサイトを閲覧するという意味で申し上げました。 --() 2019年5月16日 木 01:41 UTC.

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大艦巨砲主義とは (タイカンキョホウシュギとは) [単語記事]

大砲巨砲主義

鍵はオトコのヤング率? 海外でトイレに入ると、高い位置にある小便器に四苦八苦することが多い。 私が小柄なせいもあるのだけれども、何しろ便器の高さがほとんど股の位置と同じくらいだったりするのである。 しょうがないから、そんな時は放水を行う「大砲」の角度を若干上側に調整して、小便が描く放物線を上手く調整しながら放水を行うことになる。 そんな風に神経を使う放水作業を行っていると、「もう少し小柄な人のことも考えてくれぇ」となんだか腹が立ってきたりもするのである。 しかも、そんな位置が高すぎる便器には大抵""なんて刻まれていて、人の気持ちをさらに逆なでしたりするのだ。 もちろん、それは単に便器メーカーの社名であるのだけれど、それでも""だなんてと言われて良い気持ちがするわけはないのである。 「この高さがアメリカの標準デ~ス。 アナタの大砲の取り付け位置は低すぎデ~ス」と便器にバカにされているような気になってしまい、思わず「それは余計なお世話デ~ス。 アメリカの標準を他人に押しつけないでほしぃのデ~ス!」と思わず便器に言い返したくなったりするのである。 便器の視線位置に ""と刻まれている 先日、やはりそんな風に""な便器に向かってハラを立てながら「大砲」の角度を調整しながら放水作業をしている時に、ハラが立つあまりにとてもヘンなことをワタシは考えはじめた。 確かにアメリカンな標準大砲は「取り付け位置」も高いし、大砲は長くて口径も大きい(コーラ瓶のような巨砲を持つアメリカンAV男優を参考にするならば)。 そのせいで、射程距離だって確かに長く、高い便器でも全く苦労しないかもしれない。 しかし、必ずしも大砲がデカけりゃいいってわけでもないのではないハズである。 例えば、かつて我が日本は大艦巨砲主義に固執し巨大戦艦「大和」を作り上げたわけだが、その大艦巨砲主義が時代の流れに取り残されてしまったことは「戦艦大和」の悲劇が証明している通りである。 それと同じように、放水の「大砲」におけるアメリカンな「大艦巨砲主義」だって、時代の流れ・時の流れに取り残されることがあるのではないだろうか、と思ったワケなのである。 「これがアメリカの標準サイズなのデ~ス」という言い放つブッシュ大統領率いるアメリカン大艦巨砲主義だって時代の流れ・時の流れを考えれば、何処かに「落とし穴」があるのではないだろうか、とワタシは考えたのである。 つまりは、高すぎる便器にハラを立てたあまりに、ワタシはなんとかアメリカン・スタンダードな大艦巨砲主義になんとか「落とし穴」を見つけようとしたわけである。 そして、ワタシが考え出したものがワタシが決して手を付けようとしなかった「オトコのヤング率(物質の堅さを示す係数、応力に対してどの位歪むかを示す)」だったのである。 かつてワタシは、人体の柔らかさを「人体におけるヤング率」という物理係数を導入することで、さまざまな人体に関する物理現象を解明することができると提唱したわけであるが(を参照のこと)、今回は小便を発射する大砲の強度を定めるオトコのヤング率を考えることで、アメリカが「標準サイズ」と言い放つ大艦巨砲の「落とし穴」を見いだそうとしたのである。 鍵はオトコのヤング率なのである。 そのアメリカンな大艦巨砲の「落とし穴」を説明するために、まずは人体におけるヤング率の定義をもう一回おさらいしてみよう。 人体におけるヤング率とは人体の柔らかさを定義する係数であって、それは年齢に比例する係数である。 人体におけるヤング率は若いときは堅く(ヤングで)、年をとるに従って柔らかくなる(ヤングでなくなる)のである。 そういうわけで、例えば胸のヤング率を考えれば、当然若い女性の胸は垂れないけれども、おばあちゃんの乳が垂れていったりするわけである。 そして、それと同じように当然オトコの大砲におけるヤング率というものもあるわけで、試しにヤングなヤング率を持つ「ジャパニーズな小砲」と「アメリカン・スタンダードな巨砲」を有限要素法で変形計算をしてみたものが下の二つのグラフである。 だから、当然ターゲットがいくら高い便器であっても百発百中で狙いを外さないに違いない。 それに対して、「ジャパニーズな小砲」は発射口の位置が低く、ターゲットたる便器を外してしまうことも多いように思える。 確かに、小便における大艦巨砲主義は間違っていないように思えることだろう。 しかし、である。 時代の流れ・時の流れを考えるならばどうだろうか?女性のオッパイが年を経て時が流れるに従って、堅くなくなり垂れてくるように、男性の「大砲」だって時が流れ年を経るに従って哀しいけれど堅くなくなってくるのである。 さまざまなシチュエーションでそのオトコのヤング率は問題になるわけであるが、とりあえず便器に向かって放水活動を行うときだってそのヤング率は問題になるわけである。 というわけで、例えば時を経てヤングでなくなった「大砲」がどう変形するかを同じように計算してみたものが、次の二つのグラフである。 巨砲の台座たる根本を固定して遙か上に向かって放水を行ったにしても、アメリカンな巨砲の先端は変形して下を向いてしまっているのである。 そうとなれば、大砲から発射される放物線も低い弾道を描き、小便は遠くまで飛ばないわけで、アメリカンな巨砲主義から発射される小便は""のターゲットを外すかもしれないのである。 しかし、それに対して質実剛健な竹ヤリのような「ジャパニーズ小砲」はほとんど曲がることもなく、失礼な""便器をヤングな時代と同じように打破することができるかもしれないわけなのである。 …と、こんな「オトコのヤング率」についてワタシは放水作業をしながら考えたのであるが、ふと我に返ってみれば私たちは別に便器を前に飛距離競争をしていたのではないのであった。 そもそも、ワタシと違って股位置の高いアメリカンは大砲の角度を上に向ける必要はないのである。 取り付け位置の高い大砲ならば、別に大砲が下を向いていたってちゃんと便器内に放水ができるわけなのである。 哀しいけれど大砲の取り付け位置の高さが違うということは絶対的な差を持つのである。 というわけで、いくら時代の流れ・時の流れを考えても、ワタシはいつまで経ってもアメリカン・スタンダードな便器に苦労し続けるだろうし、背の高い「アメリカン・スタンダードな巨砲」達はいつまで経っても軽々とダンクシュートのごとく小便を便器に命中させ続けるに違いないのであった。 ワタシが「さらば、大艦巨砲主義」といくら言ってみたところで、しょせんは虚しい遠吠えなのである。 かつて、我が日本の大艦巨砲主義は時代の流れに取り残されてしまったけれども、残念ながらアメリカン・スタンダードな便器における大艦巨砲主義の時代はまだまだ続いてしまうのであった。

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