お かれ まして は 意味。 『ましてや』と『そもそも』の使い方を教えてください。同じじゃないんで...

「ましてや」の意味とは?類語、使い方や例文を紹介!

お かれ まして は 意味

そのために死ぬことは彼にとって、絶大なよろこびであろう。 ましていわんや死よりも小さい此の世の刑罰や苦しみは彼にはなんの事をも意味しないであろう。 彼を裁くことは出来る。 … 三好十郎『日記より』 より引用• 彼が教会において年に似合わぬほどの信用を受けておるのも、知人はことごとく彼を尊敬することも、かねて承知であるが、数時間に渡って彼の人生観、なかでも貨殖に関する態度を初めて聞き知った。 僕が彼の話を聞きながら、言葉がただの一度も社会のためとか、ましていわんや国家のためということに、わたらなかったことがあとで気がついた。 普通日本の実業家であれば、五万足らずの会社を設立するにも、その宣言には、己れの身を犠牲にして、社会に貢献するところあらんとするとか、あるいはこれ実に国家の事業なりとの意をほのめかす者がはなはだ多い。 … 新渡戸稲造『自警録』 より引用• 寂寥たる樹林の底に働く人々が、わが心と描き出す幻の影にも、やはり父祖以来の約束があり、土地に根をさした歴史があって、万人おのずから相似たる遭遇をする故に、かりに境を出るとたちまち笑われるほどのはかない実験でもなお信仰を支持するの力があった。 ましていわんやその間には今も一貫して、日本共通の古くからの法則が、まだいくらも残っていたのである。 … 柳田国男『山の人生』 より引用• これだけの図面があれば、目かくしをされたって歩いて行けらあ、ましていわんや、両方の目がきくんだからな。 アレクサンドル・デュマ/鈴木豊訳『赤い館の騎士(中)』 より引用• そこで、主題句の「死に切ってうれしそうなる」ということになるわけだが、一説にこの句は、シュウトかシュウトメにいじめ抜かれた若夫婦が、いよいよその意地わるじいさんかばあさんが息を引きとった時のうれしそうな顔二つなんだ、というのだが、じょうだんいっちゃいけない。 たとえホッとしたとしても、かりにも親と名のついたものが死んだ時に、うれしそうな顔は現代でもできることではないし、ましていわんや、江戸時代にありうることではない。 人情として、そういう場合は、嬉しさをおさえた悲しそうな顔二つ、というのが川柳であり、本当である。 … 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用• が、それとてほんの一瞬間で、上眼瞼がすぐに瞳をおおうて、もとの通りの細い眼となった。 そうしてあえて叱ろうともせず、ましていわんや振り返ろうともせず変らぬ歩き方で歩き出した。 で、すった者はすったまま、すられた者はすられたまま何の事件も起こらずにすれ違ってそのまま別れようとした。 … 国枝史郎『娘煙術師』 より引用• これがなみの夫婦なら、三度に二度までは撃退できるのだが、聟の身ではそうもならないところが、哀れにもまたおかしい。 ましていわんや、組みしかれて馬乗りされたのでは、当方といたしては陰に閉じざるをえない。 男子の本懐いずくにかある、と慨嘆せざるをえないだろう。 … 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用• どういう考え方かと言えば、まず五・五・三のワシントン条約は決して日本にとって一方的に不利な条約じゃない、だからこれを破棄するのはまちがいだということ。 ましていわんや、対米戦争なぞ、絶対やるべきものに非ず、アメリカと戦争して到底日本が勝てるわけがない。 それで、対米戦争の危険が大きくなる日独伊三国同盟締結に、命がけで反対するのです。 … 阿川弘之『私記キスカ撤退』 より引用• ましていわんや、君の文章を以てこれを見れば、君達はその種の矛盾を剋服しようとはしていないばかりで無しに、却ってそれらをより強く掻き抱こうとしているらしい事が察知されるに於ておやである。 三好十郎『俳優への手紙』 より引用• 戦前はそれでもまだ両夫にまみえずという古い道徳が生きていたから、そういう気の毒な人たちのために、治療用と称して保温器などというおかしな形の道具が、性器具屋の陳列棚にならんでいたものである。 ましていわんや江戸時代は、そういう道徳の全盛期であったから、女性にとって、その方面の不自由さといったらなかった。 … 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用• 一方、亭主の方は、気にいらなければいつでも、三下り半の離縁状をやって追いだせたのである。 ましていわんや、亭主と合法的に別れて、好きな彼氏といっしょになりたいというような場合は、せつなかったであろう。 そういう気の毒な女房族のために、家庭裁判所がわりの縁切寺が方々にあったが、中でも有名なのは鎌倉の尼寺、松ガ岡東慶寺であった。 … 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用• というのが、ヒゲの王は 顎ヒゲという欠点があるため、これまで阿Qに 馬鹿にされたことこそあれ、阿Qを馬鹿にしたことはなかったのである。 ましていわんや手を動かすなんて、しかるに、現に奴が手を動かすに至ったとは、まことに意外なことであった。 これはてっきり、街でうわさしている通り、皇帝が試験を廃止なされ、秀才も挙人もいらぬとされたために、趙家の威光がガタ落ちとなり、だから奴らまでが自分を 軽蔑するようになったのだろうか? … 魯迅『阿Q正伝』 より引用• 戒律を守る尼さんでさえも、右のとおりなのだから、ましていわんや、 勃興期 ぼつこうきの英雄どもときたら、万事があけっぱなしだ。 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用• 彼は、自分に押しつけられたこの補佐人という名誉ある地位に極度にうんざりしているらしかった。 ブラヤリーは、また一生に一度も過誤を犯したこともなく、事故に会ったことも、災難に会ったこともなく、着々と昇進して妨害されたためしもなく、彼は人生に不決断などという言葉を知らない幸運児の一人で、ましていわんや自己不信などは言うも愚だ。 … コンラッド/蕗沢忠枝訳『ロード・ジム(上)』 より引用• 九尺二間に雨戸が二枚じゃ。 ましていわんや朝から晩まで。 走馬燈籠か百色眼鏡か。 … 夢野久作『ドグラ・マグラ』 より引用• いくら吉原を筆頭に千住、板橋、新宿、品川という赤線のほかに、六十なん個所の青線のあった江戸時代であったとはいえ、ふところは寂しく恋人はないという状態では、いかんせんである。 ましていわんや、売春禁止以後、パンマやトルコが出現したとはいえ、冒険をあえてするという勇気もなければ、銭もない善良なるひとり者は、おのずから自家発電ということになる。 … 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用• 馬が例のものの隠語であることは、先刻申しあげたとおりだ。 たかだかお 供 そなえの団子や餅でさえ、手をふれさせなかったのだから、ましていわんや、神まいりは許されず、同行しても鳥居まで、ときまっていた。 … 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用• 薬師如来でも匙を投げよう。 ましていわんや我輩においては、 袖手傍観 しゅうしゅぼうかんするばかりだ。 … 国枝史郎『神州纐纈城』 より引用• ござりまするはお江戸の昔じゃ。 ましていわんや近代文化の。 科学知識の進歩の中でも。 … 夢野久作『ドグラ・マグラ』 より引用• ましていわんや、大頭で太平楽に膝枕なんぞされて、股にしびれが切れると、今さらながら自分の見当ちがいがしゃくにさわって、こんちくしょう、ということにもなるわけだ。 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用.

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お かれ まして は 意味

そのために死ぬことは彼にとって、絶大なよろこびであろう。 ましていわんや死よりも小さい此の世の刑罰や苦しみは彼にはなんの事をも意味しないであろう。 彼を裁くことは出来る。 … 三好十郎『日記より』 より引用• 彼が教会において年に似合わぬほどの信用を受けておるのも、知人はことごとく彼を尊敬することも、かねて承知であるが、数時間に渡って彼の人生観、なかでも貨殖に関する態度を初めて聞き知った。 僕が彼の話を聞きながら、言葉がただの一度も社会のためとか、ましていわんや国家のためということに、わたらなかったことがあとで気がついた。 普通日本の実業家であれば、五万足らずの会社を設立するにも、その宣言には、己れの身を犠牲にして、社会に貢献するところあらんとするとか、あるいはこれ実に国家の事業なりとの意をほのめかす者がはなはだ多い。 … 新渡戸稲造『自警録』 より引用• 寂寥たる樹林の底に働く人々が、わが心と描き出す幻の影にも、やはり父祖以来の約束があり、土地に根をさした歴史があって、万人おのずから相似たる遭遇をする故に、かりに境を出るとたちまち笑われるほどのはかない実験でもなお信仰を支持するの力があった。 ましていわんやその間には今も一貫して、日本共通の古くからの法則が、まだいくらも残っていたのである。 … 柳田国男『山の人生』 より引用• これだけの図面があれば、目かくしをされたって歩いて行けらあ、ましていわんや、両方の目がきくんだからな。 アレクサンドル・デュマ/鈴木豊訳『赤い館の騎士(中)』 より引用• そこで、主題句の「死に切ってうれしそうなる」ということになるわけだが、一説にこの句は、シュウトかシュウトメにいじめ抜かれた若夫婦が、いよいよその意地わるじいさんかばあさんが息を引きとった時のうれしそうな顔二つなんだ、というのだが、じょうだんいっちゃいけない。 たとえホッとしたとしても、かりにも親と名のついたものが死んだ時に、うれしそうな顔は現代でもできることではないし、ましていわんや、江戸時代にありうることではない。 人情として、そういう場合は、嬉しさをおさえた悲しそうな顔二つ、というのが川柳であり、本当である。 … 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用• が、それとてほんの一瞬間で、上眼瞼がすぐに瞳をおおうて、もとの通りの細い眼となった。 そうしてあえて叱ろうともせず、ましていわんや振り返ろうともせず変らぬ歩き方で歩き出した。 で、すった者はすったまま、すられた者はすられたまま何の事件も起こらずにすれ違ってそのまま別れようとした。 … 国枝史郎『娘煙術師』 より引用• これがなみの夫婦なら、三度に二度までは撃退できるのだが、聟の身ではそうもならないところが、哀れにもまたおかしい。 ましていわんや、組みしかれて馬乗りされたのでは、当方といたしては陰に閉じざるをえない。 男子の本懐いずくにかある、と慨嘆せざるをえないだろう。 … 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用• どういう考え方かと言えば、まず五・五・三のワシントン条約は決して日本にとって一方的に不利な条約じゃない、だからこれを破棄するのはまちがいだということ。 ましていわんや、対米戦争なぞ、絶対やるべきものに非ず、アメリカと戦争して到底日本が勝てるわけがない。 それで、対米戦争の危険が大きくなる日独伊三国同盟締結に、命がけで反対するのです。 … 阿川弘之『私記キスカ撤退』 より引用• ましていわんや、君の文章を以てこれを見れば、君達はその種の矛盾を剋服しようとはしていないばかりで無しに、却ってそれらをより強く掻き抱こうとしているらしい事が察知されるに於ておやである。 三好十郎『俳優への手紙』 より引用• 戦前はそれでもまだ両夫にまみえずという古い道徳が生きていたから、そういう気の毒な人たちのために、治療用と称して保温器などというおかしな形の道具が、性器具屋の陳列棚にならんでいたものである。 ましていわんや江戸時代は、そういう道徳の全盛期であったから、女性にとって、その方面の不自由さといったらなかった。 … 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用• 一方、亭主の方は、気にいらなければいつでも、三下り半の離縁状をやって追いだせたのである。 ましていわんや、亭主と合法的に別れて、好きな彼氏といっしょになりたいというような場合は、せつなかったであろう。 そういう気の毒な女房族のために、家庭裁判所がわりの縁切寺が方々にあったが、中でも有名なのは鎌倉の尼寺、松ガ岡東慶寺であった。 … 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用• というのが、ヒゲの王は 顎ヒゲという欠点があるため、これまで阿Qに 馬鹿にされたことこそあれ、阿Qを馬鹿にしたことはなかったのである。 ましていわんや手を動かすなんて、しかるに、現に奴が手を動かすに至ったとは、まことに意外なことであった。 これはてっきり、街でうわさしている通り、皇帝が試験を廃止なされ、秀才も挙人もいらぬとされたために、趙家の威光がガタ落ちとなり、だから奴らまでが自分を 軽蔑するようになったのだろうか? … 魯迅『阿Q正伝』 より引用• 戒律を守る尼さんでさえも、右のとおりなのだから、ましていわんや、 勃興期 ぼつこうきの英雄どもときたら、万事があけっぱなしだ。 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用• 彼は、自分に押しつけられたこの補佐人という名誉ある地位に極度にうんざりしているらしかった。 ブラヤリーは、また一生に一度も過誤を犯したこともなく、事故に会ったことも、災難に会ったこともなく、着々と昇進して妨害されたためしもなく、彼は人生に不決断などという言葉を知らない幸運児の一人で、ましていわんや自己不信などは言うも愚だ。 … コンラッド/蕗沢忠枝訳『ロード・ジム(上)』 より引用• 九尺二間に雨戸が二枚じゃ。 ましていわんや朝から晩まで。 走馬燈籠か百色眼鏡か。 … 夢野久作『ドグラ・マグラ』 より引用• いくら吉原を筆頭に千住、板橋、新宿、品川という赤線のほかに、六十なん個所の青線のあった江戸時代であったとはいえ、ふところは寂しく恋人はないという状態では、いかんせんである。 ましていわんや、売春禁止以後、パンマやトルコが出現したとはいえ、冒険をあえてするという勇気もなければ、銭もない善良なるひとり者は、おのずから自家発電ということになる。 … 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用• 馬が例のものの隠語であることは、先刻申しあげたとおりだ。 たかだかお 供 そなえの団子や餅でさえ、手をふれさせなかったのだから、ましていわんや、神まいりは許されず、同行しても鳥居まで、ときまっていた。 … 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用• 薬師如来でも匙を投げよう。 ましていわんや我輩においては、 袖手傍観 しゅうしゅぼうかんするばかりだ。 … 国枝史郎『神州纐纈城』 より引用• ござりまするはお江戸の昔じゃ。 ましていわんや近代文化の。 科学知識の進歩の中でも。 … 夢野久作『ドグラ・マグラ』 より引用• ましていわんや、大頭で太平楽に膝枕なんぞされて、股にしびれが切れると、今さらながら自分の見当ちがいがしゃくにさわって、こんちくしょう、ということにもなるわけだ。 暉峻康隆『日本人の笑い』 より引用.

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お かれ まして は 意味

人間が深海で暮らすのは不可能だ。 そもそも水中で息ができない。 ましてや水中で息ができない。 日本人が、欧米出身のAさんと結婚したいと、親族に相談したとします。 その際の親族の言葉です。 欧米人との結婚は許さない。 つまり、 そもそも。 は、根本的なもの、 ましてや。 は、前例より更に比重の高いものと考えてはいかがでしょう。 「ラッコは道具を使える。 <ましてや>猿だ。 このぐらいの道具は簡単に使える。 」 この場合、ラッコよりも猿のほうが器用だ。 と 器用さの比重を表していますよね。 でも 「ラッコは道具を使える。 <そもそも>猿だ。 このぐらいの道具は簡単に使える。 」 これは不自然ですよね。 この文はラッコも猿も、道具を使えることを前提として、 その比重を述べているので、 根本的な理由を述べる<そもそも>が使えないからです。 逆に 「蛇に道具は使えない。 <そもそも>蛇には手がない」 この文の場合、比重ではなく 根本的な理由を述べているので <ましてや>を使うと 不自然な表現になるわけです。 こんなもんでどうでしょうか。

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