水木 しげる 左手。 gma.cellairis.com: ほんまにオレはアホやろか (講談社文庫) eBook: 水木しげる, 水木しげる: Kindleストア

水木しげるさんの死〜なぜ「戦争反対とは決して言いません」だったのか。の巻

水木 しげる 左手

訃報です。 「ゲゲゲの鬼太郎」などで知られる漫画家で文化功労者、名誉都民でもある水木しげるさんが、多臓器不全のため、きょう都内の病院で亡くなりました。 93歳でした。 水木さんは今月11日に調布市の自宅で転倒して頭を打ち入院していましたが、きょう午前7時すぎに多臓器不全のため亡くなりました。 水木さんは1922年に生まれ、鳥取県境港市育ちです。 太平洋戦争の時に爆撃を受けて左腕を失いましたが、終戦後、紙芝居の画家などを経て漫画家になりました。 代表作「ゲゲゲの鬼太郎」は妖怪ブームが起きるほどの人気を集め、それらが評価されて2010年には文化功労者に、翌年には名誉都民に選ばれています。 1959年からは調布市に移り住み、市内を走るコミュニティーバスや防犯ポスターに鬼太郎をデザインするなどしてきました。 2008年3月には市から「名誉市民」の称号が贈られています。 名誉調布市民となった際、水木さんは「これからの生活は勲章をもらったような歩き方をしなくちゃならないし、表情もそのような表情をしなきゃならんと思って、今から苦心している」とユーモアを交え話していました。 町おこしとして設置された鬼太郎のオブジェが並ぶ地元・調布市の商店街では、市民から「ショックですね」「有名な先生がなくなって寂しい」などと惜しむ声が聞かれました。 また、商店街で唯一まんじゅうやせんべいなどの「ゲゲゲの鬼太郎」商品を売る店の店主も「寡黙な人。 口数が少なかった。 グッズを置いたことで商店街が全国区になった」としのびました。 水木さんの葬儀は近親者で行い、後日、お別れの会が開かれるということです。

次の

水木しげるさんの左手を失った壮絶エピソードとは?性格は自身も認める超マイペースだった?

水木 しげる 左手

調布の観光スポットといえばどこが思い浮かぶだろうか? パルコ?味の素スタジアム?安藤ストリート? やはり深大寺であろう。 なんだ寺か、と侮ることなかれ。 参道には多くの境内や蕎麦屋が建ち並んでおり、非常に味のあるその風景は、小京都と言っても過言ではないほどである。 調布駅からバスで約10分と絶妙な距離ではあるが、この周辺は夏は涼しく、調布市民にとっては軽井沢に次ぐ避暑地となっている。 (嘘である) 入り口からの光景。 平日ということもあり観光客はまばらだが、ゆっくる見るにはこれぐらいがちょうどいい。 そしてすぐ左手に見える異様に目立つ建物が今回訪れた「鬼太郎茶屋」である。 なぜここに鬼太郎が?と疑問を抱くのも仕方のないことだが、ゲゲゲの鬼太郎の作者、水木しげる先生は、この調布に50年以上も住まれており第二の故郷でもあるため、それにあやかって作ったようである。 店の入口には親切にこのような説明書きがある。 目玉のおやじが大変かわいらしい。 さまざまな所に出没する鬼太郎のキャラクターたち。 店に入る前から十分に楽しむことができる。 顔出し看板(正式名称は不明)もあり、気分は完全に鬼太郎である。 また、看板だけでなく実物大?のオブジェも置いてあり、記念撮影の列ができるほどだ。 休日行かれる場合は相当の待ち時間が予想されるので人が少ない早朝を狙っていくのが賢明だろう。 店内はとにかく鬼太郎に関するグッズが所狭しと陳列されており、大きな力さんも入口にあった一反もめんに興味津々であった。 なんと店内には喫茶コーナーがある!まだ深大寺に入ったばかりなのにもう休憩か!と突っ込んでしまいそうだが、この思い込みがいかに愚かであったか後ほど知らされることになる。 御歳92歳の水木しげる氏が最高の笑顔で迎えてくれる。 (もちろんご存命である) この世界観。 マニアのみならず我々のようなミーハーも楽しむことができる。 椅子はよく見ると塗り壁になっており、ちょこんと置かれている鬼太郎の人形が大変かわいらしい。 このように愛でるように使用するとよいだろう。 どのメニューも鬼太郎のキャラクターが入っており、見た目も楽しませてくれる内容となっている。 ソフトクリームを頼んでみた。 目玉は1つにつき50円でトッピングできるので、2つ乗せてみた。 イラストと違い何ともおどろおどろしい様相を呈しているが、2つあるともはや違うキャラクターになってしまう。 中身はあんこが入っており予想通りであった。 ソフトクリームが思っていたより濃厚であり、これは予想外であった。 もうひとつはカベオーレゼリー。 ナイスなネーミングだ。 ゼリー部分をすくいあげるとクリームでわかりづらいが塗り壁が現れる。 味はごく普通のコーヒーゼリーであった。 喫茶店の隣にはこのような撮影スポットがあり、食事以外も大変楽しむことができる。 店内でとても気になるものを発見してしまった。 鬼太郎ちゃんちゃんこである。 これを着れば心も体も鬼太郎になることができる。 しかし。。。 なんと3240円!結構いい値段である。 これだけ出せば調布駅前の居酒屋で十分酔っぱらうことができる。 しかし、調布を愛し、鬼太郎を愛し、水木先生を尊敬する我々はそう簡単にあきらめることができなかった。 悩むこと15分。 結局買っちゃいました! どうだろう。 どこからどう見ても鬼太郎である。 似合うか似合わないかは別として、それなりにしっかりとした作りであり、この値段も納得である。 こちらの目玉のおやじと深大寺を練り歩けばたちまち多くの観光客に囲まれ、周囲は騒然となるであろう。 深大寺の入口にあるこの鬼太郎茶屋、ファンはもちろん、そうでない人も十分に楽しむことができる。 水木ワールド全開の当店、最初から最後まで鬼太郎づくしである。 東京観光でどこに行こうか迷ったのであればぜひ行ってみてほしいスポットの一つである。 (もちろん鬼太郎茶屋以外にも見所はある) 続く.

次の

水木しげる先生の自伝エッセイが、金言と教訓に溢れている件

水木 しげる 左手

sponsored link プロフィール 本名:武良 茂(むら しげる) 生誕:1922年3月8日、大阪府大阪市 死没:2015年11月30日(満93歳没)、東京都三鷹市 職業:漫画家・妖怪研究家 引用: 水木しげるさんの本名は 武良 茂(むら しげる)で、生まれたのはなんと 大正11年の3月8日です。 当時日本は戦時中であったため、水木しげるさんは 戦争のために徴兵されることになります。 左手を失った理由 21歳のときに 軍隊に入隊することになった水木さんは戦争が激化する中で、 戦場であった南方のニューブリテン島・ラウバルに行きが決定します。 ラウバルでは 敵軍との戦争のほか、現地住民との争い、感染症などがあり、悲惨な状況でした。 水木さんも感染症である マラリアを発症し、 高熱で錯乱状態になり、ジャングルをさまよい歩いて危うく行方不明になりかけたとのこと。 そんな状況にあった水木さんに追い打ちをかけるように 敵機の爆撃を受けて、左手に重症を負うことになります。 そしてこの左手は 麻酔のない状態で切断されることに… 今では信じられませんが、 これほど過酷な状況の中で水木さんは左手を失うことになったようです。 このような話を聞くと平和な時代に生まれてきて本当に良かったなと思いますね。 意外な性格とは? そんな過酷な状況を乗り越えてきた水木しげるさんですが、実は意外にも 超マイペースな性格をしていたとのことです。 少年時代は朝寝坊してゆっくり起き、 学校は2時間目くらいから登校していたとのこと。 軍隊に入隊する前の青年時代は会社に勤務するも マイペースさから次々仕事をやめさせられ、 学校も退学を繰り返していたようです。 軍隊時代でもマイペースさはそのままで、 大胆過ぎる態度から風呂で幹部と間違われて先輩の兵士に背中を流してもらったこともあるそう笑 戦場であったニューブリテン島では 他の兵士のように威張らない態度であったことか島の原住民トライ族と仲良くなり、 戦争から日本に帰還する際も農地を分けるからトライ族に一緒に暮らさないかと言われるほどだったようです。 水木しげるさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

次の