坂本 龍一 髪型。 僕とメガネと坂本龍一。【代官山ぼたん美容室】

坂本龍一は若い頃イケメンだった?画像で振り返る

坂本 龍一 髪型

男性歌手・アーティストの髪型人気ランキング1位 出典: 2017年10月、冬のExile Atsushiさんの髪型は、多くの人があこがれる対象となっています。 もともと短く刈り上げたボウズに剃りこみを入れたスタイルが非常に有名であったatsushiさんですが、最近では短かった髪が少しずつ長めにセットされることが多くなってきているようです。 特に、イタリアでナイトの称号を貰ったこの時期では、 短めの前髪をすべて上に上げつつ、しっかりと固めて形を作っていることがわかります。 またサイドは今流行りのツーブロックにして刈り上げており、非常に流行の先端を行っているといっても過言ではありません。 不自然にならず、しっかりと大人の魅力を演出できるところがAtsushiさんのすごいところですね。 関連記事 ・ 男性歌手・アーティストの髪型人気ランキング2位 出典: 2017年1月、冬の葉加瀬太郎さんの髪型は、くせっ毛な人にはたまらないセットとなっています。 もともとボンバーヘアが特徴の葉加瀬太郎さんですが、この頃の葉加瀬さんは特に、スーツ姿でも上品さが溢れるアーティスト然とした髪型が特徴的です。 細かくちりちりにパーマをあて、大きくボリュームをつけた髪を、全体的によい形になるように丁寧に整えていますね。 ただ繋がっているだけでなく、センター付近でしっかりとおでこが出せるように別れており、ほのかにつけた茶色のカラーリングも大人の男性の魅力を演出しています。 さすがにここまで、と思う方は多いかもしれませんが、かなり癖っ毛な人にとっては、思い切って葉加瀬風にすることで、しっかりと公式の場でもおかしくない髪型を手に入れることができるでしょう。 2017年7月、夏の「しゃべくり007」に出演していた堂本剛さんの髪型は、とてもあこがれる若い男性も多いのではないでしょうか。 髪型が頻繁に変わると評判の堂本さんですが、この番組での堂本さんは長い髪をしっかりと前で分けそのまま耳の上を通り過ぎてバックまで持って行っていますね。 襟足を長めにとりながらも、片方のサイドで装飾のように跳ねさせることで、他にはないおしゃれさを演出しています。 この髪型は、バンドマンや役者を目指している人など、特にアーティストや文科系の人にとってはかなり真似したくなる髪形といえるでしょう。 顔が濃いとキリストっぽくなってしまいがちですが、そっくりに似せなくても、長髪の扱い方が学べる良い題材といえます。 関連記事 ・ 男性歌手・アーティストの髪型人気ランキング4位 出典: 2016年5月、春の「ミュージックステーション」に出演していた三浦大知さんの髪型は、世の男性にかなり勇気を与えるものといえます。 もともと子供の頃からおでこがかなり広かった三浦大知さんですが、その広さをカバーするように長い前髪を綺麗に形をつけて垂らし、トップも長めにしてボリュームを持たせることで、不自然におでこが光ることもありません。 反対側は思い切って短くすることで、かなりインパクトをつけつつも対比で非常に男前に簡単に見えてしまうのがこの髪型の特徴です。 顔幅が広く、おでこも広い三浦大知さんでも可能なのですから、一般の人であれば難なく真似できる髪形といえそうです。 ちょっとアーティスト気分を味わってみませんか? 男性歌手・アーティストの髪型人気ランキング5位 出典: 2017年5月、春の「歌バカ2」のジャケット写真に写っている平井堅さんの髪型は、非常に多くの大人の男性に人気があります。 これまでさまざまな色に染めたり、短髪のことが多かった平井堅さんですが、この頃のヘアスタイルはかなり長髪で決められています。 綺麗で上品な茶色に染め、心なしかウェーブをパーマでつけたあとは、全体的にあげておでこを見せつつも、左右に膨らまない程度に逃がすことで、かなり大人っぽさ全快の雰囲気をかもし出すことができます。 パーマ本来のボリュームに任せて過度に盛り上がりをつけないトップも良い感じであり、自然なスタイリングといえそうです。 何より、とても落ち着いた感じがするのも好感が持てますし、社会人であっても十分に真似が出来そうなのがすごいですね。 出典: 2017年10月、秋の「BAZOOKA」でバンドに参加していた「ゲスの極み乙女」のボーカル川谷絵音さんの髪型は、とてもチャーミングで可愛い印象を受けます。 もともと遠くから見るとマッシュルームヘアに似た風貌が特徴の川谷さんですが、この頃もおなじみのヘアといえるでしょう。 しかし、近くで見てみると目の小ささを補うように、ぎりぎりまで前髪を下げた上で、サイドに下る髪を早い段階で作っていくことにより、かなりカッコいい仕上がりとなっているのが特徴的です。 また、片方は毛先を遊ばせつつ、もう片方はあっさりと下ろすなど、左右でスタイリングに差をつけることでアーティストらしさをうまく演出することに成功しています。 普段から、これに近い比較的地味な髪型をしている方であっても、ちょっとした工夫でかなりかっこよくなれるというのがよく分かるスタイルですね。 関連記事 ・ 男性歌手・アーティストの髪型人気ランキング7位 出典: 2017年8月、夏のテレビジョン撮影での星野源さんの髪型は、とても素朴な感じが売りの髪型です。 もともと黒髪で自然体が多い星野さんですが、この撮影のときも普段見せる非常にオーソドックスに見えがちな髪形をしています。 しかし、前髪の半分はかなり斜めに流しているのに対し、もう半分はややまっすぐ下ろすことで、人知れずおしゃれを演出していますね。 顔の幅に合わせて丁度よいところで終わりの前髪が少し出ているのが特徴です。 また、サイドはきっちりとすっきり処理してあり、もみ上げも一般的な形を保っているなど、非常に一般人にも真似しやすいのが特徴的な、良いカットであるといえます。 奇抜でなくても十分におしゃれかつ個性を演出できるのは、カット自体の出来がよいからですね。 また、パーマでうまくトップを処理し、心なしかトップのみに淡くカラーリングすることで、大人っぽさも表現できているのは非常に凝っています。 どうしても年齢を重ね、白髪が増えてきてしまうと、髪の毛で遊ぶことを忘れがちになります。 しかし、坂本さんは全体を真っ白に調整しながらも、真ん中でしっかりとわけ、サイドに行くにつれていくつかブロックをつくって毛先を整えることで、大人っぽい男性を演出することに成功していますね。 非常に清潔感があってうらやましい髪型といえるでしょう。 また若い人にとっても、思い切って真っ白に脱色してみるというのも、ひとつの大きなおしゃれであることを示しています。 この髪型は何も真っ白でなくても、比較的まだらであってもうまくまとまるものですから、幅広い層で参考にできますね。 関連記事 ・ 男性歌手・アーティストの髪型人気ランキング9位 出典: 2017年4月、ダヴィンチの特集で撮影されたスガシカオさんの髪型は、とてもシンプルなものでした。 これまでライブなどでかなり凝った髪型をしてきたこともありましたが、この撮影のときのスガシカオさんは、素直にストレートに髪を下ろし、トップを少し短めにすることで躍動感を演出していました。 しかし、トップは短いからといって過度に立たせるわけではなく、自然の流れに沿って、自然なボリュームを演出できているのがいいところですね。 全体的にイエロー寄りのカラーリングでありながら、逸脱しない素朴な感じを残しているのが何よりもマネしやすい所といえそうです。 色白であってもかっこよくまとまり、めがねでも崩れない髪形は非常に汎用性がありそうです。 関連記事 ・ 男性歌手・アーティストの髪型人気ランキング10位 出典: 2017年10月、秋ドラマ「今からあなたを脅迫します」でのディーン・フジオカさんの髪型は、非常につくりの良い顔を際立たせるつくりとなっています。 全体的に長めに残された髪を1ウェーブのパーマでまとめ、前髪がせり出すようにセットされているところがポイントです。 サイドは後ろに流しながらも、毛先をたっぷり遊んでいたり、それでいてもみ上げなどはきっちりと残し、男らしさを表現しているなど、まさに非の打ち所のない髪形のように見えます。 一般的なサラリーマンでも、十分に対応できる髪形ですし、何よりもカラーリングを奇抜なものにしなくても成立するところが魅力的ですよね。 おでこがしっかりと出ますから、爽やかな印象を演出できるでしょう。

次の

坂本龍一の子供は何人?名前は?画像あり!次女は歌手として活躍

坂本 龍一 髪型

全世界の死者が30万人を超えても、コロナ禍の収束が見えません。 人類がこのウイルスに打ち勝つにしても、負けに等しい打撃を被る「カドメイアの勝利」になると、誰もが感じています。 私たちがこれまで「日常」と思っていた景色は、すっかり変わりました。 コロナ後に到来するであろう「ニューノーマル」についての議論が世界中で始まっていますが、それは多くの場合、単に従来の生活様式が変わるということではなく、世の仕組みや人間と自然との関係をも改変しなければ、という含意が込められています。 コロナショックで変わったライフスタイルや価値観、あるいは見つめ直したことについて、さまざまな立場の方々がつづるリレー連載「コロナ・ノート」。 今回は特別編として、ニューヨークに住む音楽家の坂本龍一さんに、コロナ禍で大きく揺らぐ文明や現代社会のありようについて伺います。 「資本主義が行き着いたグローバル経済のあり方を根本的に問い直さなければ、もう人間に未来はない」 かつて学生運動に深く関わり世直しを志す若者の一人だった坂本さんは、いまあらためて、社会変革の必要性について訴えます。 (取材・文 石川智也) 「ぬるい」日本の対応 検査受けられないのは人権侵害 コロナパンデミックにより、坂本さんが住むNY州では3月、劇場や美術館のほか飲食店も強制的に営業停止となり、市民には自宅待機令が出された。 同様の措置はNY以外のアメリカの都市やヨーロッパ各国でも取られ、入国禁止や制限も課された。 いわゆる「ロックダウン」である。 多い日には1日800人もの人が亡くなるという、日本とは比較にならぬほど悲惨な状況下にあるNYからは、母国のコロナ対策はどのように見えるのだろうか。 「一言で言えば、非常にぬるい。 不徹底だし、一貫性がないし、長期ビジョンもない。 ここ1カ月、本当に歯がゆい思いで見ていました。 といっても、強制的に都市封鎖や行動制限をすべきだということではありません。 何よりも、検査数が絶対的に少なすぎます。 検査しなければ、感染の実態や広がりがわかるはずがない。 対策の目標を設定することだってできないはずです」 NYの自宅から外出する機会もほとんどなくなったという坂本さん。 13時間の時差がある現地とのインタビューはSkypeで行った 「医療崩壊を防ぐためという説明は、当初は理解できないものではありませんでした。 でも、2月に中国をはじめ隣の韓国で感染が広がり始めた段階で、あるいは遅くとも欧米で爆発的に感染が広がり始めた3月上旬の段階で、あらゆる資源を投下して集中治療病床を増やし、また検査態勢を整えるべきだった。 韓国や欧米に比べれば日本にはまだ時間的余裕があったし、先行した諸外国の対策を学ぶことができたはずです。 それなのに、クラスター対策や感染経路の解明にばかり人材と時間を費やしてしまった。 残念というか、情けないです」 「誤解しないでいただきたいですが、実際に命をかけて治療に携わっている医療者の方たちには、本当に敬意を抱いています。 NYでは毎晩7時にノイズを出して医療従事者などに謝意を示す運動が続いていますが、日本でもぜひやってほしい。 僕が憤りを感じるのは、国民を一人でも多く救おうと本気で考えているとは思えない政治家や官僚に対してです」 「ぬるい」と言えば、休業要請に対する政策的手当も同様だ。 スピード感がないうえに明確な「補償」ではなく協力金や補助金というかたちにとどまる。 そして「自粛」の徹底度は、いわば日本的な相互監視に委ねられている。 小規模業者や個人事業主からは「もう限界だ」との悲鳴があがる。 「経済活動や移動の自由という基本的価値を、強制ではないとはいえ奪われているわけでしょう。 仕事をする自由を事実上奪われ、補償も充分ではない。 しかも体調を崩し熱も出ているのに、なかなか感染検査もしてもらえない。 検査にたどり着くまでがあまりに大変で、その間に亡くなった方もいた。 理不尽としか言いようがない。 自分が何の病気に罹(かか)っているのか、誰でも知る権利がある。 それが技術的には可能なのに、政策によって遮られている。 これは人権侵害だと思います」 新自由主義が医療崩壊を招いた 日本も危うい コロナ禍が浮き彫りにしたのは、まさに国による感染拡大抑止策や医療体制の差異だ。 優劣と言い換えてもよい。 ウイルスは世界中に広がったが、致死率の地図はまだら模様がある。 そしてその背景には、グローバル経済の深化とそれに伴う新自由主義の負の側面という問題が横たわっていると、坂本さんは言う。 「他国と比べて感染拡大の抑え込みに成功していると世界的に見られているのが、韓国と台湾、そしてドイツですね。 ドイツは感染者数は多いけど、死者や重症者は少ない。 それは、イタリアやスペインと違って、ドイツがまだ伝統的な国民国家の医療制度を保つことができていたからだとも言えると思います。 逆に言えば、いわば社会民主主義的な福祉体制を維持できていたドイツに対して、イタリアでは、新自由主義的な政策によって病床数の削減や合理化を進めてきた。 そのツケを今回一気に払わされ、医療崩壊を起こすことになったのでしょう」 イタリアは1990年代後半以降、緊縮政策によって医療資源や社会保障を大幅に削減してきた。 新自由主義的な民営化政策が病床数や医療従事者の減少だけでなく医療水準低下の要因になったとの指摘もなされている。 「そういう意味では、日本も非常に心配です。 日本でも80年代以降、特に2000年代の小泉・竹中路線以降、新自由主義的傾向が強まっています。 大きな流れで見れば、医療費(の伸び率)抑制政策のなかで病床数と入院期間も減らし、バッファというか余裕のない、まさに重症者が何十人、何百人か発生したら医療崩壊するというぎりぎりの状況を、長期間かけて作ってきた。 幸運なことに日本はなぜか今のところ感染者数も重症者数も爆発的に増えていませんが、今後を考えると改善しなければ非常に危ういと思います」 2017年4月4日、東京・六本木、相場郁朗撮影 今の政策は「棄民」 安倍さんのどこが「保守」なのか 「新自由主義はアメリカ人が考えだしたことで、何よりも世界中をマーケットにして、自分たちの農産物や工業製品や知的財産を自分たちのルールで売りたい、紛争も自分たちの法律で裁くぞ、というものです。 自民党政権は戦後一貫してアメリカの利益代表ではあったものの、軍事面はともかく、経済面ではアメリカに抵抗してきたし、日本の農業も守ろうとしてきた。 でもその縛りは2000年代にはどんどん外され、市場を明け渡すような動きが進んでしまった。 安倍さんはその新自由主義路線に乗っているだけだとも言えます」 「僕から見ても、安倍さんはとても『保守』とは言えない。 保守的なそぶりは、トランプ大統領のメキシコ国境閉鎖発言と同じく、ジェスチャーだと思う。 その本質は、アメリカ追随とネポティズムと露骨な大企業優遇です。 国民はもっと怒るべきです」 アメリカでは俳優やアーティスト、スポーツ選手が旗幟を鮮明にして政治的発言をするのは日常的だが、日本ではバッシングを恐れて口をつぐむ人が多い。 その中で、自らリスクを引き受け、原発や安保法制、辺野古問題で真っ向から政権を批判してきた坂本さんの姿勢は際立つ。 「もっと言っていいですか? 福島の原発事故のときにも思いましたが、いまの政権がやっていることは、国民のことを考えているとは思えない、あえて強い言葉を使えば『棄民政策』です。 しかも今回は原発事故被害者だけでなく、日本国民全体を棄民しようとしている。 なぜこれを多くの人が許しているのか、僕にはまったく分からない。 いまはデモは難しいですが、本来なら100万人規模で国会に押しかけたっていい話だと思います」 強権政治か民主的手法か この国は瀬戸際にいる コロナ対策では日本も緊急事態宣言を発出し、私権が一定程度制限されたが、罰則や強制力を伴うものではない。 そこで自民党などの一部から出ているのが、法律ではなく憲法に緊急事態条項を設けて対応できるようにすべきだとの声だ。 安倍首相も憲法記念日の5月3日、「緊急事態において、国家や国民がどのような役割を果たし国難を乗り越えていくべきか、そのことを憲法にどのように位置づけるか、極めて重く大切な課題だ」と必要性を訴えた。 「非常にうがって考えるならば、日本は今回、欧米諸国や中国のような、強制的な措置やロックダウンをしなかった。 その際に『法律がないからできません』ということを毎回、強調しています。 これは、強制力がないから甘い措置しかとれない、だから憲法改正が必要なのだ、という世論をつくる地ならしの意味もあったのでは。 国会のチェックを通さずに法律と同じ効果の政令を出せる緊急事態条項は、閣議決定という手段を多用し重大な法解釈まで変えてきた安倍さんが、まさにずっと目指してきたことですね」 2017年12月18日、東京・六本木、仙波理撮影 「韓国や台湾、そしてドイツでコロナ対策が比較的うまくいったのは、民主的な情報開示を行い、ITを使った行動履歴の把握に対しても国民の政府への一定の信頼があったことも大きな理由だと僕は思っています。 でも今回の対策の総括しだいでは、人権に配慮し情報をオープンにして国民の信頼を得るよりも、国家が強い権限をもつ開発独裁国のような仕組みの方が効率的、効果的に対策を打てる、という方向の議論に行ってしまうこともあり得る。 そういう意味では歴史の分岐点にあると思います」 グローバリズムの破綻は明白 社会民主主義が現実的 世界中の識者たちが「ポスト・コロナ」の未来像を唱え始めている。 その主調音は、行き過ぎたグローバリズムへの批判だ。 「今回のコロナ禍で、まさにグローバル化の負の側面、リスクが顕在化したと思います。 グローバリゼーションには色々な側面がありますが、ひとつには、先ほど言った過度の合理化の問題があります。 生産拠点を海外に移し、最も効率的なサプライチェーンを築き、国外の安い労働力に依存する。 こうした新自由主義路線が、いざ感染拡大防止のために各国がモノやヒトの流れを国境で止めた途端、経済自体を立ちゆかなくしています。 そして、国内では色々な産業の逼迫と、失業者の増加や格差拡大といった矛盾を呼んでいる。 グローバル化のしっぺ返しを受けているわけです」 「これに短中期的に対処するには、やはり、もう少しゆとりというか遊びを持った、効率とは違う原理をもつ社会の分野を、もっと厚くしないといけないでしょう。 社会保障を充実させることはもちろん、医療で言えば、人員も病床ももっとバッファを持った体制をつくるべきだし、経済で言えば、国内の雇用を安定化させ、生産も、より自国に戻していくべきです。 株価を上げることが正義、という経済合理主義からすれば『後退』と映るかもしれませんが」 「それは、国内的に言えば、新自由主義路線から社会民主主義に舵を切るというか、戻すということです。 共産主義がいいと思っていた二十歳ごろの僕からしたら、こんな発想は考えられなかったけど。 社会民主主義なんて、生ぬるいプチブル的な思想だと思っていましたから(笑)」 2017年12月18日、東京・六本木、仙波理撮影 今回のコロナ禍の前から、過度なグローバル化への反動は世界中で起きていた。 「アメリカのような国でバーニー・サンダース旋風が起きたことの意味は、非常に大きいと思います。 アメリカ経済を牽引してきた中間層の多くは経済的に余裕がなく、子女を大学へ行かせられない、あるいは医療保険もないという家庭も多い。 金融偏重の経済政策で資産価値を増やす人がいる一方で、格差は広がり続けています。 ウイルス危機は、元から抱えてきた矛盾をエックス線のように明るみに出しただけです」 パンデミックは経済成長の代償 方向転換しなければすぐ「次」が 今回のコロナ禍を、臨界に達した文明に対する自然からの警告の託宣かのように捉える人もいる。 坂本さんも、過去のパンデミックや大恐慌の歴史から教訓を引き出すだけでなく、経済の仕組みや専門知の生かし方も含めた、新たな文明の作法をつくるべきだと唱える。 「今回の問題は、単に世界経済の中国依存の脆弱さが明らかになったとか、ヒトの移動が飛躍的に増えたためにウイルスが地球の隅々まで運ばれるようになった、というだけにとどまりません」 「グローバル資本主義が、つまり人間がやってきたことが、今回のような大規模なパンデミックを引き起こしやすい地球環境をつくってしまった。 過剰な開発と都市化、そして生態系の破壊が人間と野生動物との接触機会を増やし、未知の病原体に感染するリスクも高めたわけです。 言わば感染症は、人間が経済成長の代償として払っているコストです。 このまま方向転換しなければ、パンデミックはこれまで以上に頻繁に起こり得るということが、だれの目から見ても明らかだと思います」 「これは、気候変動の問題と同じです。 原因は人間の経済活動であり、立ち止まることができない資本主義経済の仕組みが事態を行き着くところまで悪化させている。 パンデミックにしても気候変動にしても、現在の経済や産業、あるいは暮らしのあり方を大きく変えなければ、人間じたいが種として生き延びる可能性はどんどん狭まっていくでしょう。 文明をバージョン2とまではいかなくても、バージョン1. 5くらいに大きく変更していかないと、本当に先がないと思います」 持続可能な世界のデザインを もはや人間に猶予はない かつてペストの流行はヨーロッパ近代を準備し、世界史を変えた。 前世紀初頭のスペイン風邪は第1次大戦によって爆発的に世界に広がったが、逆に、大戦を終わらせる要因ともなった。 今回のコロナ禍は、少なくともグローバリズムを大きく失速させると見られている。 そのうえで、新たな日常(ニューノーマル)の地平をひらくきっかけになるのだろうか。 「『ポスト・キャピタリズム』という言葉は一種の流行語ですが、やはり、持続可能な、新しい経済の仕組みをつくっていくしかないですよね。 僕は社会学も経済学にも素人なので、残念ながらその回答は持っていないですが、今回のコロナ禍をただ対症療法で処して過ぎ去るのを待つのではなく、世界中の英知が集まって、持続可能な世界のデザインを描いてほしいです。 経済学者も政治学者も社会学者も都市デザイナーも、もっと仕事をしろよ、と言いたい(笑)」 2017年12月18日、東京・六本木、仙波理撮影 「今回、ウイルスのことで各国がここまで経済活動を減速させることができた。 もちろん、これによって生活が逼迫する人がたくさん生じましたが、少なくとも、やる気があれば対策を打つことはできるということが証明された。 現在は多くの国が国境を事実上閉ざしていますが、ウイルスの解析や情報、医療機器などでの協力はむしろ積極的に行われています。 国際的連帯の重要さを各国が身に染みて感じたと思います。 気候変動の問題にだって、協力して取り組めるはずです」 「パンデミックも気候変動も、どちらも生存に関わることですよ。 根本にある資本主義の問題点を見なおし、早く持続可能な社会を実現しなければ、人間に残された猶予は少ない。 世界史に刻まれた過去のパンデミックと同じように、この苦境を好機に変え、文明史的に意味のあるものにしなければいけないと思います」 「芸術なんて役に立たない」 そうですけど、それが何か? 積載量過剰のまま猛スピードで突き進む資本主義文明がわずかなりともバッファを取り戻せるのかどうかは不明だが、そうしたゆとりや遊びという「無駄」をどれだけ抱えているかは、少なくとも社会の成熟度の指標となる。 今回のコロナ禍であらためて顕わになったのは、この国の文化支援の貧しさだろう。 ドイツの文化相が「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、我々の生命維持に必要」とのメッセージを送り、文化施設と芸術文化従事者の支援に手厚い予算を組んだのとは対照的だ。 「政府や行政の支援が乏しい代わりに、クラウドファンディングなどでアーティストやミュージシャンを支えようという動きが広がっているのは、本当にうれしいですね。 できれば、フロントにいるアーティストだけでなく、裏方として舞台設置やライティング、音響などに携わるスタッフさんたちも含めて支える動きがもっと広がってほしい。 彼らあっての僕らですから」 2017年3月29日、東京・天王洲、西畑志朗撮影 「でもね、根本的には人間にとって必要だからとか、役に立つから保護するという発想ではダメです。 芸術なんてものは、おなかを満たしてくれるわけではない。 お金を生み出すかどうかも分からない。 誰かに勇気を与えるためにあるわけでもない。 例えば音楽の感動なんてものは、ある意味では個々人の誤解の産物です。 理解は誤解。 何に感動するかなんて人によって違うし、同じ曲を別の機会に聴いたらまったく気持ちが動かないことだってある」 坂本さんは「音楽の力」などという言葉は大嫌いだと以前から公言している。 「僕自身、音楽を聴いて癒やされることはありますよ。 でも、それは音楽自体が力を持っているということではない。 僕の音楽に力なんてないですよ。 何かの役に立つこともない。 役に立ってたまるか、とすら思います」 かつてナチス・ドイツはワーグナーの音楽を国民総動員に利用するとともに、ゲルマン精神の涵養に役立つ芸術とそうではない芸術を峻別した。 芸術に体制賛美を担わせ目的に沿う作品のみを支援したのは、戦時中の日本や旧社会主義圏の国々も同様だ。 「そういう悪い見本が近い過去にあるんです。 文化芸術なんてものは、必要があって存在するわけではないと思った方がいい。 だから、行政の側が支援対象を内容で選別することはもちろん、作り手側が、何かに役立とうとか、誰かに力を与えようなんて思うことも本当に不遜で、あってはならないことだと思います」 「芸術なんていうものは、何の目的もないんですよ。 ただ好きだから、やりたいからやってるんです。 ホモサピエンスは、そうやって何万年も芸術を愛(め)でてきたんです。 それでいいじゃないですか」 自らの内に「無駄」を包摂しそれに親しむのか。 それとも、余裕を失った果てに更なる効率化・合理化を追い求めるのか。 私たちの社会は、どちらへ向かうのだろう。 (TOP写真=株式会社キャブ提供) 東北ユースオーケストラと共に=2019年12月12日、福島市、小玉重隆撮影 坂本龍一プロフィール 1952年、東京生まれ。 東京芸大大学院修士課程を修了。 78年、アルバム『千のナイフ』でソロデビュー。 同年、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)に参加。 83年に散開。 同年公開された映画『戦場のメリークリスマス』に出演、音楽も担当。 87年公開の映画『ラストエンペラー』にも出演し、音楽では英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞最優秀作曲賞、グラミー賞最優秀オリジナル映画音楽アルバム賞ほかを受賞。 90年にニューヨークにオフィスを設置し、活動の拠点をアメリカとする。 社会的な問題へも強い関心を持ち、森林保全と植林活動を行う「more trees」、脱原発チャリティ・イヴェント「NO NUKES」、東日本大震災の被災地支援のための「こどもの音楽再生基金」「東北ユースオーケストラ」など、さまざまな活動を続けている。 最新オリジナルアルバムは『async』(2017年)。 「コロナ・ノート」記事一覧.

次の

坂本勇人の髪型やセット法を解説!かつては茶髪やパーマ?

坂本 龍一 髪型

全世界の死者が30万人を超えても、コロナ禍の収束が見えません。 人類がこのウイルスに打ち勝つにしても、負けに等しい打撃を被る「カドメイアの勝利」になると、誰もが感じています。 私たちがこれまで「日常」と思っていた景色は、すっかり変わりました。 コロナ後に到来するであろう「ニューノーマル」についての議論が世界中で始まっていますが、それは多くの場合、単に従来の生活様式が変わるということではなく、世の仕組みや人間と自然との関係をも改変しなければ、という含意が込められています。 コロナショックで変わったライフスタイルや価値観、あるいは見つめ直したことについて、さまざまな立場の方々がつづるリレー連載「コロナ・ノート」。 今回は特別編として、ニューヨークに住む音楽家の坂本龍一さんに、コロナ禍で大きく揺らぐ文明や現代社会のありようについて伺います。 「資本主義が行き着いたグローバル経済のあり方を根本的に問い直さなければ、もう人間に未来はない」 かつて学生運動に深く関わり世直しを志す若者の一人だった坂本さんは、いまあらためて、社会変革の必要性について訴えます。 (取材・文 石川智也) 「ぬるい」日本の対応 検査受けられないのは人権侵害 コロナパンデミックにより、坂本さんが住むNY州では3月、劇場や美術館のほか飲食店も強制的に営業停止となり、市民には自宅待機令が出された。 同様の措置はNY以外のアメリカの都市やヨーロッパ各国でも取られ、入国禁止や制限も課された。 いわゆる「ロックダウン」である。 多い日には1日800人もの人が亡くなるという、日本とは比較にならぬほど悲惨な状況下にあるNYからは、母国のコロナ対策はどのように見えるのだろうか。 「一言で言えば、非常にぬるい。 不徹底だし、一貫性がないし、長期ビジョンもない。 ここ1カ月、本当に歯がゆい思いで見ていました。 といっても、強制的に都市封鎖や行動制限をすべきだということではありません。 何よりも、検査数が絶対的に少なすぎます。 検査しなければ、感染の実態や広がりがわかるはずがない。 対策の目標を設定することだってできないはずです」 NYの自宅から外出する機会もほとんどなくなったという坂本さん。 13時間の時差がある現地とのインタビューはSkypeで行った 「医療崩壊を防ぐためという説明は、当初は理解できないものではありませんでした。 でも、2月に中国をはじめ隣の韓国で感染が広がり始めた段階で、あるいは遅くとも欧米で爆発的に感染が広がり始めた3月上旬の段階で、あらゆる資源を投下して集中治療病床を増やし、また検査態勢を整えるべきだった。 韓国や欧米に比べれば日本にはまだ時間的余裕があったし、先行した諸外国の対策を学ぶことができたはずです。 それなのに、クラスター対策や感染経路の解明にばかり人材と時間を費やしてしまった。 残念というか、情けないです」 「誤解しないでいただきたいですが、実際に命をかけて治療に携わっている医療者の方たちには、本当に敬意を抱いています。 NYでは毎晩7時にノイズを出して医療従事者などに謝意を示す運動が続いていますが、日本でもぜひやってほしい。 僕が憤りを感じるのは、国民を一人でも多く救おうと本気で考えているとは思えない政治家や官僚に対してです」 「ぬるい」と言えば、休業要請に対する政策的手当も同様だ。 スピード感がないうえに明確な「補償」ではなく協力金や補助金というかたちにとどまる。 そして「自粛」の徹底度は、いわば日本的な相互監視に委ねられている。 小規模業者や個人事業主からは「もう限界だ」との悲鳴があがる。 「経済活動や移動の自由という基本的価値を、強制ではないとはいえ奪われているわけでしょう。 仕事をする自由を事実上奪われ、補償も充分ではない。 しかも体調を崩し熱も出ているのに、なかなか感染検査もしてもらえない。 検査にたどり着くまでがあまりに大変で、その間に亡くなった方もいた。 理不尽としか言いようがない。 自分が何の病気に罹(かか)っているのか、誰でも知る権利がある。 それが技術的には可能なのに、政策によって遮られている。 これは人権侵害だと思います」 新自由主義が医療崩壊を招いた 日本も危うい コロナ禍が浮き彫りにしたのは、まさに国による感染拡大抑止策や医療体制の差異だ。 優劣と言い換えてもよい。 ウイルスは世界中に広がったが、致死率の地図はまだら模様がある。 そしてその背景には、グローバル経済の深化とそれに伴う新自由主義の負の側面という問題が横たわっていると、坂本さんは言う。 「他国と比べて感染拡大の抑え込みに成功していると世界的に見られているのが、韓国と台湾、そしてドイツですね。 ドイツは感染者数は多いけど、死者や重症者は少ない。 それは、イタリアやスペインと違って、ドイツがまだ伝統的な国民国家の医療制度を保つことができていたからだとも言えると思います。 逆に言えば、いわば社会民主主義的な福祉体制を維持できていたドイツに対して、イタリアでは、新自由主義的な政策によって病床数の削減や合理化を進めてきた。 そのツケを今回一気に払わされ、医療崩壊を起こすことになったのでしょう」 イタリアは1990年代後半以降、緊縮政策によって医療資源や社会保障を大幅に削減してきた。 新自由主義的な民営化政策が病床数や医療従事者の減少だけでなく医療水準低下の要因になったとの指摘もなされている。 「そういう意味では、日本も非常に心配です。 日本でも80年代以降、特に2000年代の小泉・竹中路線以降、新自由主義的傾向が強まっています。 大きな流れで見れば、医療費(の伸び率)抑制政策のなかで病床数と入院期間も減らし、バッファというか余裕のない、まさに重症者が何十人、何百人か発生したら医療崩壊するというぎりぎりの状況を、長期間かけて作ってきた。 幸運なことに日本はなぜか今のところ感染者数も重症者数も爆発的に増えていませんが、今後を考えると改善しなければ非常に危ういと思います」 2017年4月4日、東京・六本木、相場郁朗撮影 今の政策は「棄民」 安倍さんのどこが「保守」なのか 「新自由主義はアメリカ人が考えだしたことで、何よりも世界中をマーケットにして、自分たちの農産物や工業製品や知的財産を自分たちのルールで売りたい、紛争も自分たちの法律で裁くぞ、というものです。 自民党政権は戦後一貫してアメリカの利益代表ではあったものの、軍事面はともかく、経済面ではアメリカに抵抗してきたし、日本の農業も守ろうとしてきた。 でもその縛りは2000年代にはどんどん外され、市場を明け渡すような動きが進んでしまった。 安倍さんはその新自由主義路線に乗っているだけだとも言えます」 「僕から見ても、安倍さんはとても『保守』とは言えない。 保守的なそぶりは、トランプ大統領のメキシコ国境閉鎖発言と同じく、ジェスチャーだと思う。 その本質は、アメリカ追随とネポティズムと露骨な大企業優遇です。 国民はもっと怒るべきです」 アメリカでは俳優やアーティスト、スポーツ選手が旗幟を鮮明にして政治的発言をするのは日常的だが、日本ではバッシングを恐れて口をつぐむ人が多い。 その中で、自らリスクを引き受け、原発や安保法制、辺野古問題で真っ向から政権を批判してきた坂本さんの姿勢は際立つ。 「もっと言っていいですか? 福島の原発事故のときにも思いましたが、いまの政権がやっていることは、国民のことを考えているとは思えない、あえて強い言葉を使えば『棄民政策』です。 しかも今回は原発事故被害者だけでなく、日本国民全体を棄民しようとしている。 なぜこれを多くの人が許しているのか、僕にはまったく分からない。 いまはデモは難しいですが、本来なら100万人規模で国会に押しかけたっていい話だと思います」 強権政治か民主的手法か この国は瀬戸際にいる コロナ対策では日本も緊急事態宣言を発出し、私権が一定程度制限されたが、罰則や強制力を伴うものではない。 そこで自民党などの一部から出ているのが、法律ではなく憲法に緊急事態条項を設けて対応できるようにすべきだとの声だ。 安倍首相も憲法記念日の5月3日、「緊急事態において、国家や国民がどのような役割を果たし国難を乗り越えていくべきか、そのことを憲法にどのように位置づけるか、極めて重く大切な課題だ」と必要性を訴えた。 「非常にうがって考えるならば、日本は今回、欧米諸国や中国のような、強制的な措置やロックダウンをしなかった。 その際に『法律がないからできません』ということを毎回、強調しています。 これは、強制力がないから甘い措置しかとれない、だから憲法改正が必要なのだ、という世論をつくる地ならしの意味もあったのでは。 国会のチェックを通さずに法律と同じ効果の政令を出せる緊急事態条項は、閣議決定という手段を多用し重大な法解釈まで変えてきた安倍さんが、まさにずっと目指してきたことですね」 2017年12月18日、東京・六本木、仙波理撮影 「韓国や台湾、そしてドイツでコロナ対策が比較的うまくいったのは、民主的な情報開示を行い、ITを使った行動履歴の把握に対しても国民の政府への一定の信頼があったことも大きな理由だと僕は思っています。 でも今回の対策の総括しだいでは、人権に配慮し情報をオープンにして国民の信頼を得るよりも、国家が強い権限をもつ開発独裁国のような仕組みの方が効率的、効果的に対策を打てる、という方向の議論に行ってしまうこともあり得る。 そういう意味では歴史の分岐点にあると思います」 グローバリズムの破綻は明白 社会民主主義が現実的 世界中の識者たちが「ポスト・コロナ」の未来像を唱え始めている。 その主調音は、行き過ぎたグローバリズムへの批判だ。 「今回のコロナ禍で、まさにグローバル化の負の側面、リスクが顕在化したと思います。 グローバリゼーションには色々な側面がありますが、ひとつには、先ほど言った過度の合理化の問題があります。 生産拠点を海外に移し、最も効率的なサプライチェーンを築き、国外の安い労働力に依存する。 こうした新自由主義路線が、いざ感染拡大防止のために各国がモノやヒトの流れを国境で止めた途端、経済自体を立ちゆかなくしています。 そして、国内では色々な産業の逼迫と、失業者の増加や格差拡大といった矛盾を呼んでいる。 グローバル化のしっぺ返しを受けているわけです」 「これに短中期的に対処するには、やはり、もう少しゆとりというか遊びを持った、効率とは違う原理をもつ社会の分野を、もっと厚くしないといけないでしょう。 社会保障を充実させることはもちろん、医療で言えば、人員も病床ももっとバッファを持った体制をつくるべきだし、経済で言えば、国内の雇用を安定化させ、生産も、より自国に戻していくべきです。 株価を上げることが正義、という経済合理主義からすれば『後退』と映るかもしれませんが」 「それは、国内的に言えば、新自由主義路線から社会民主主義に舵を切るというか、戻すということです。 共産主義がいいと思っていた二十歳ごろの僕からしたら、こんな発想は考えられなかったけど。 社会民主主義なんて、生ぬるいプチブル的な思想だと思っていましたから(笑)」 2017年12月18日、東京・六本木、仙波理撮影 今回のコロナ禍の前から、過度なグローバル化への反動は世界中で起きていた。 「アメリカのような国でバーニー・サンダース旋風が起きたことの意味は、非常に大きいと思います。 アメリカ経済を牽引してきた中間層の多くは経済的に余裕がなく、子女を大学へ行かせられない、あるいは医療保険もないという家庭も多い。 金融偏重の経済政策で資産価値を増やす人がいる一方で、格差は広がり続けています。 ウイルス危機は、元から抱えてきた矛盾をエックス線のように明るみに出しただけです」 パンデミックは経済成長の代償 方向転換しなければすぐ「次」が 今回のコロナ禍を、臨界に達した文明に対する自然からの警告の託宣かのように捉える人もいる。 坂本さんも、過去のパンデミックや大恐慌の歴史から教訓を引き出すだけでなく、経済の仕組みや専門知の生かし方も含めた、新たな文明の作法をつくるべきだと唱える。 「今回の問題は、単に世界経済の中国依存の脆弱さが明らかになったとか、ヒトの移動が飛躍的に増えたためにウイルスが地球の隅々まで運ばれるようになった、というだけにとどまりません」 「グローバル資本主義が、つまり人間がやってきたことが、今回のような大規模なパンデミックを引き起こしやすい地球環境をつくってしまった。 過剰な開発と都市化、そして生態系の破壊が人間と野生動物との接触機会を増やし、未知の病原体に感染するリスクも高めたわけです。 言わば感染症は、人間が経済成長の代償として払っているコストです。 このまま方向転換しなければ、パンデミックはこれまで以上に頻繁に起こり得るということが、だれの目から見ても明らかだと思います」 「これは、気候変動の問題と同じです。 原因は人間の経済活動であり、立ち止まることができない資本主義経済の仕組みが事態を行き着くところまで悪化させている。 パンデミックにしても気候変動にしても、現在の経済や産業、あるいは暮らしのあり方を大きく変えなければ、人間じたいが種として生き延びる可能性はどんどん狭まっていくでしょう。 文明をバージョン2とまではいかなくても、バージョン1. 5くらいに大きく変更していかないと、本当に先がないと思います」 持続可能な世界のデザインを もはや人間に猶予はない かつてペストの流行はヨーロッパ近代を準備し、世界史を変えた。 前世紀初頭のスペイン風邪は第1次大戦によって爆発的に世界に広がったが、逆に、大戦を終わらせる要因ともなった。 今回のコロナ禍は、少なくともグローバリズムを大きく失速させると見られている。 そのうえで、新たな日常(ニューノーマル)の地平をひらくきっかけになるのだろうか。 「『ポスト・キャピタリズム』という言葉は一種の流行語ですが、やはり、持続可能な、新しい経済の仕組みをつくっていくしかないですよね。 僕は社会学も経済学にも素人なので、残念ながらその回答は持っていないですが、今回のコロナ禍をただ対症療法で処して過ぎ去るのを待つのではなく、世界中の英知が集まって、持続可能な世界のデザインを描いてほしいです。 経済学者も政治学者も社会学者も都市デザイナーも、もっと仕事をしろよ、と言いたい(笑)」 2017年12月18日、東京・六本木、仙波理撮影 「今回、ウイルスのことで各国がここまで経済活動を減速させることができた。 もちろん、これによって生活が逼迫する人がたくさん生じましたが、少なくとも、やる気があれば対策を打つことはできるということが証明された。 現在は多くの国が国境を事実上閉ざしていますが、ウイルスの解析や情報、医療機器などでの協力はむしろ積極的に行われています。 国際的連帯の重要さを各国が身に染みて感じたと思います。 気候変動の問題にだって、協力して取り組めるはずです」 「パンデミックも気候変動も、どちらも生存に関わることですよ。 根本にある資本主義の問題点を見なおし、早く持続可能な社会を実現しなければ、人間に残された猶予は少ない。 世界史に刻まれた過去のパンデミックと同じように、この苦境を好機に変え、文明史的に意味のあるものにしなければいけないと思います」 「芸術なんて役に立たない」 そうですけど、それが何か? 積載量過剰のまま猛スピードで突き進む資本主義文明がわずかなりともバッファを取り戻せるのかどうかは不明だが、そうしたゆとりや遊びという「無駄」をどれだけ抱えているかは、少なくとも社会の成熟度の指標となる。 今回のコロナ禍であらためて顕わになったのは、この国の文化支援の貧しさだろう。 ドイツの文化相が「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、我々の生命維持に必要」とのメッセージを送り、文化施設と芸術文化従事者の支援に手厚い予算を組んだのとは対照的だ。 「政府や行政の支援が乏しい代わりに、クラウドファンディングなどでアーティストやミュージシャンを支えようという動きが広がっているのは、本当にうれしいですね。 できれば、フロントにいるアーティストだけでなく、裏方として舞台設置やライティング、音響などに携わるスタッフさんたちも含めて支える動きがもっと広がってほしい。 彼らあっての僕らですから」 2017年3月29日、東京・天王洲、西畑志朗撮影 「でもね、根本的には人間にとって必要だからとか、役に立つから保護するという発想ではダメです。 芸術なんてものは、おなかを満たしてくれるわけではない。 お金を生み出すかどうかも分からない。 誰かに勇気を与えるためにあるわけでもない。 例えば音楽の感動なんてものは、ある意味では個々人の誤解の産物です。 理解は誤解。 何に感動するかなんて人によって違うし、同じ曲を別の機会に聴いたらまったく気持ちが動かないことだってある」 坂本さんは「音楽の力」などという言葉は大嫌いだと以前から公言している。 「僕自身、音楽を聴いて癒やされることはありますよ。 でも、それは音楽自体が力を持っているということではない。 僕の音楽に力なんてないですよ。 何かの役に立つこともない。 役に立ってたまるか、とすら思います」 かつてナチス・ドイツはワーグナーの音楽を国民総動員に利用するとともに、ゲルマン精神の涵養に役立つ芸術とそうではない芸術を峻別した。 芸術に体制賛美を担わせ目的に沿う作品のみを支援したのは、戦時中の日本や旧社会主義圏の国々も同様だ。 「そういう悪い見本が近い過去にあるんです。 文化芸術なんてものは、必要があって存在するわけではないと思った方がいい。 だから、行政の側が支援対象を内容で選別することはもちろん、作り手側が、何かに役立とうとか、誰かに力を与えようなんて思うことも本当に不遜で、あってはならないことだと思います」 「芸術なんていうものは、何の目的もないんですよ。 ただ好きだから、やりたいからやってるんです。 ホモサピエンスは、そうやって何万年も芸術を愛(め)でてきたんです。 それでいいじゃないですか」 自らの内に「無駄」を包摂しそれに親しむのか。 それとも、余裕を失った果てに更なる効率化・合理化を追い求めるのか。 私たちの社会は、どちらへ向かうのだろう。 (TOP写真=株式会社キャブ提供) 東北ユースオーケストラと共に=2019年12月12日、福島市、小玉重隆撮影 坂本龍一プロフィール 1952年、東京生まれ。 東京芸大大学院修士課程を修了。 78年、アルバム『千のナイフ』でソロデビュー。 同年、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)に参加。 83年に散開。 同年公開された映画『戦場のメリークリスマス』に出演、音楽も担当。 87年公開の映画『ラストエンペラー』にも出演し、音楽では英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞最優秀作曲賞、グラミー賞最優秀オリジナル映画音楽アルバム賞ほかを受賞。 90年にニューヨークにオフィスを設置し、活動の拠点をアメリカとする。 社会的な問題へも強い関心を持ち、森林保全と植林活動を行う「more trees」、脱原発チャリティ・イヴェント「NO NUKES」、東日本大震災の被災地支援のための「こどもの音楽再生基金」「東北ユースオーケストラ」など、さまざまな活動を続けている。 最新オリジナルアルバムは『async』(2017年)。 「コロナ・ノート」記事一覧.

次の