お 坊さん の いない お 葬式。 お葬式にお坊さんを呼ぶ方法まとめ!呼ばなきゃいけないの?

葬儀へのお坊さんの手配方法や費用って?お坊さんへのお礼や挨拶まで|終活ねっと

お 坊さん の いない お 葬式

まずは具体例をひとつ…。 (名古屋市に住むWさんの場合) Wさんの生まれ故郷(こきょう)は岐阜県の山間(やまあい)集落です。 Wさんは学校を卒業すると名古屋の会社に就職しました。 以来、名古屋で結婚し、子供も育て、もうWさんにとっては名古屋の街が、故郷(ふるさと)と言っても過言ではありません。 Wさんには幼少期、お盆になるとお坊さんが自宅にやってきてお参りしてもらった記憶はあります。 しかし、名古屋ではこれといった信仰をする訳でもなく、お盆の時期は毎年、家族で海外旅行にでかけました。 お盆の供養は一度もしたことはなく、先祖の墓が今、どのようになっているのかさえ知りません。 子育てもひと段落した昨年、両親を岐阜から名古屋に引き取ることになりました。 引っ越しも終え、両親も名古屋の生活にようやく慣れてきた矢先、Wさん宅に突然の不幸が襲いました。 つい昨日まで元気だった父親が自宅で倒れ、病院に救急搬送されたものの、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。 「なぜ、こんなに早く…」 あっけない別れに、Wさん一家は呆然(ぼうぜん)としました。 Wさんのお母さんは、突然の夫の死にショックで寝込み、病院に駆けつけることさえできません。 病院の霊安室でお父さんの遺体と対面し、悲しみに暮れていると、病院の担当者からは事務的な説明がなされます。 「手を尽くしましたが、搬送された時にはすでに手遅れでした。 残念です。 ところで、当院の霊安室は狭いので、申し訳ありませんが、なるべく早くご遺体をお引き取りください。 ご遺体を、病院の建物から玄関先まで運び出す業者が決まっていますので、そちらへは当方で手配します。 そこから先は、W様が依頼した葬儀社の方に搬送していただきますので、業者に連絡をしてください」 たとえ真夜中であろうと、病院では遺体を長時間、預かってはくれません。 とにかく、早く引き取るよう催促されます。 病院の中には、様々な利権がからみ、出入り業者を通さないとご遺体を動かすことすらできない施設もあるほどです。 Wさんは、どうして良いか分からず困惑(こんわく)していると、 「よければ、当病院に出入りしている葬儀社を紹介しますが、どうしますか?」 との病院の担当者の言葉に、 「はい、お願いします」 と返事をしてしまいました。 30分ほどで葬儀社の担当者がきました。 さっそくお父さんの遺体を白布で包み、寝台車へと運び出します。 Wさんの自宅はマンションで、お父さんを自宅に連れ帰っても寝かせておく場所がありません。 仕方なく、病院から葬儀社が運営する葬儀場(葬儀会館)へ直接運んでもらうことにしました。 葬儀場(葬儀会館)に到着すると、さっそく担当者と打ち合わせがはじまります。 「W家様は、仏式ですか? それとも何か違う宗教ですか?」 「私は無宗教ですが、田舎の墓は確か、どこかのお寺にあったはずです」 「宗派によって、葬儀の形は違いますので、何宗か判りますか?」 「えっと、うちの宗旨はなんだっけ?」 寝込んでしまった母親に聞く訳にもいかず、訃報の連絡を兼ねて親類に聞いてみます。 田舎のおじさんは 「W家は浄土真宗だから、ナンマイダだよ」と言われました。 「いいかい、真宗は真宗でも西ではなく東の方、大谷派だからね。 ただの浄土宗でもない。 間違えないように」と言われ、なんだかチンプンカンプンです。 そのままをメモして、葬儀社の人に伝えます。 「どこか、お世話になりたいお寺さんは、ありますか?」 と聞かれても、Wさんはこれまでお寺と付き合ったことがありません。 「この近辺にお寺があるかどうかさえ判らない…」。 すると葬儀社の担当者は言います。 「よろしければ、弊社と業務提携(ていけい)しているお寺があります。 そこは、お願いすれば、浄土真宗に限らず、日蓮宗でも、真言宗でも、禅宗でも、どんな宗派にも通用する戒名(かいみょう)をつけてくれますし、俗名(ぞくみょう)のまま葬儀を行なってもくれます。 ご予算によっては、直葬(直接、火葬場でお経を唱えるだけ)コースもお願いできますよ」 「えっ? なんでも屋? 変な寺だな…」 Wさんは、そう思いましたが、他にあてもありません。 「お願いします」 こうしてWさん本人も、お父さんも、ほとんど無宗教なのに、実家が「浄土真宗」だという親戚のおじさんのひとことで、浄土真宗の葬儀をお願いすることになりました。 そして、葬儀社から紹介されたお坊さんに、「浄土真宗」に通用する、なるべく安価な戒名をつけてもらい、浄土真宗のお経とやらを唱えてもらって、お父さんの通夜・葬儀・初七日の法要を済ませました…。 最近、テレビで「無宗教なのに、どうしてお坊さんを呼ばなければならないの?」「無宗教ならいっそ、お坊さんのいないお葬式もアリでは?」とCMが流されるようになったのは、こうした変な葬儀が、まかり通っているからです。 これは葬家本人に限らず、葬儀に携(たずさ)わる業者の人たちも、大きな疑問をずっと抱えてきたからと言えます。 このテレビCMは、いわば「日本宗教界のタブー」に手を付けたのであり、日本宗教界、とくに既成仏教各派(葬式や法事収入だけで成り立っている寺)は大ショックを受けているようです。 しかし、だからといって、本当に葬儀には「お坊さんは、まったく要らない」のかといえば、そうではありません。 なぜなら、 葬儀と告別式とは違うからです。 単に遺族や友人らが、 故人にお別れを言うのは「告別式」です。 一方 「葬儀」には、故人の生命の奥底に刻まれた苦しみを抜き去り、強力に成仏へと導くために、仏の救済を一心に願うための儀式という、大切な意義がそなわっているのです。 ですから、故人を送るご遺族としては、正しい理解と正しい認識のうえに、正しい信仰姿勢を持ち、正しい僧侶を招いて、正しい葬儀を行なうこと ~ それこそ、故人の成仏には必要不可欠であると理解しなければなりません。 要するに、 「信じてもいないのに、形式にとらわれて、坊さんを呼んでくる葬式」 が間違っているのであって、 「正しい信仰に基づき、正法の僧による正しい葬儀を行なうことが大切である」 と私は言いたいのです。 (無宗教であることが、正しい?) さてそこで、まず「信仰を持つこと」の意義を考えてみましょう。 あるいは、困った時に神仏の加護(かご)を期待して神社仏閣で願(がん)をかけ、お守りなどを購入することが、信仰だと思っている人もいます。 正しい信仰の姿とは、一人ひとりの人間の生命の救済、つまり、この世の中に蔓延(まんえん)する「生・老・病・死」の四苦や、経済的な苦しみ、人間関係に絡む悩みなどを含む、人間のいかなる苦悩にも打ち勝っていく活力(かつりょく)を得ていくため、自身の心身を鍛(きた)えること、これこそ信仰の姿と言えます。 また、すべての人々に、人間として生まれてきた真実の幸福を築かせ、貴い人生を全うするために生きる智慧(ちえ)を教えていくのが真実の宗教、教えであると言えます。 したがって「信仰」には、人間の全生命の問題と生き方、人間の幸不幸にかかわる重大な意義や働き、人生の価値を左右する絶大な力が具わっていることを、まず知ってください。 また、「信仰」には数え切れないほどのものがあります。 そうした数ある宗教のなかには、「気休め」や「不思議な威力(いりょく)や、ご祈祷(きとう)などを売り物にするもの」「信者に幻想を懐かせるなどして、現実生活から逃避(とうひ)させる麻薬(まやく)のようなもの」など、いい加減な宗教があります。 一方で、人間の苦しみや悩みを、喜びや生きがいに変え、大難を乗り越えて人々に生きる力を与える貴い教えもあるのです。 そうした厳しい観点から選ぶとき、日蓮大聖人が説かれた南無妙法蓮華経の信仰こそ真実最高のものであることを、誰でもが明確に知ることができます。 では、本来あるべき、正しい信仰の功徳(ご利益)について考えてみましょう。 真実の信仰は 一、世界中のすべての人々を、真に幸せな即身成仏という境界に導くことができる 二、強盛な信仰心を通して、南無妙法蓮華経の御本尊に託する願いや希望を成し遂げ、悩みや苦しみに打ち勝っていく強い心を育てることができる 三、御本尊に具わる仏の功徳、南無妙法蓮華経の利益により、現世に限らず、父母や先祖代々の人々をも成仏させ、また未来の子孫に福徳を得させることができる などがあり、そのほかにも正しい信仰・南無妙法蓮華経の功徳は計り知れません。 日蓮大聖人は、妙法を信受する功徳について、 「南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福や有るべき。 真実なり甚深なり、是を信受すべし」(聖愚問答抄 平成新編御書406頁) と教えられています。 葬儀や法事を執行することで、両親をはじめ先祖の菩提を弔い、成仏へ導いていくことは大切です。 しかし、「供養する」「恩返しをしたい」という心さえあれば、信仰(宗教)は何でも良いというものではなく、あくまでも、我が家の信仰が、成仏を確かに託せる正しいものかどうかを見極めていくことが大事なのです。 また、深い仏法の法理が分からない人が、「葬儀とは、こんなものだ」との浅い認識を宣伝などで広めることは「浅識謗法」といって、大変な罪をつくることにもなるのです。 ここでまた、ひとつの譬えをお話しましょう。 ここに、病人がいるとします。 家族は大変心配し、枕元で見守っていますが、 「近くに知っている医師もいないし、何科へ連れて行けばよいのかも分からない」 から、病院へ連れて行こうとはしません。 そのうち、 「病院へ運ばれても、ひとりじゃ寂しいだろうし、家族が側についていてあげた方が、本人は安心するのではないか」 と考えるようになり、適切な治療を受けさせることもなく、苦しむ病人の傍(かたわ)らで、「がんばれ、がんばれ」と応援し続けました。 その結果、適切な治療を受ければ助かったかもしれないのに、病人は死んでしまったのです。 家族は、 「最期まで、家族とともに過ごせたから、本人もきっと喜んでいるに違いないね」 と満足でしたが、大変な苦しみに、のたうちまわされた病人にとっては、たまったものではありません。 皆さんなら、こんな時どうしますか? やはり、専門の知識や良識をもち、経験豊富な医師のもとへ、一刻も早く病人を連れて行き、適した治療を受けさせようとするのではないでしょうか。 これと同じことが葬儀においても言えるのです。 何度も繰り返しますが、「遺族が、時間をかけて、ゆっくりとお別れを言い、満足して火葬場へと連れて行く」ことは「告別」であって、「葬儀」は、故人を成仏させることを第一に考えなければなりません。 ここのところが、現代の人々には判らないのです。 《日蓮正宗の葬儀》 これらに対し、日蓮正宗の僧侶によって執行される葬儀こそ、真実の仏の教えである法華経・南無妙法蓮華経を基として、あくまでも故人の生命を確実に成仏へと導くことを最優先させる、また確かにその力を具える唯一のものと、確信をもって言えます。 (葬儀の歴史) そもそも、人類の起源以来、生ある者は必ず滅びるの言葉通り、生死を繰り返してきました。 この厳粛な事実は、いまだ発展途中だった人類にあっても、経験的に理解していたことでしょう。 しかし、人が死ぬという現象に対して、遺族が弔いの儀式を行なうようになったのは、かなり時代がくだってからのことです。 インドでは、お釈迦様在世中、お釈迦様の父・浄飯(じょうぼん)大王の葬儀の模様が、浄飯王般涅槃経というお経に詳しく書かれています。 その様子は現代とさほど変らず、火葬も行なわれたと記されています。 日本では、上古、土葬が行なわれていましたが、仏教伝来とともに火葬が伝えられました。 初めは貴族などの特権階級の間で火葬は行なわれ、10世紀以降には広く民間の風習として広まったようです。 (法華経が説く三世の生命 輪廻・流転の生命) 仏の真の教えである法華経では「三世の生命」が説かれます。 よって人は皆、いつかは亡くなりますが、故人の生命は今世での寿命を終えても、次の生へと生まれ変っていくのです。 そのとき、自身の生前の振る舞いの良し悪しが、生まれ変る先の苦楽の果報(かほう)を決定づけることになります。 私たちは、ごく普通の人間です。 なかには「命がけで他人を救った」という立派な人もいますが、たとえ善良な人であっても、たとえば、自分では気づかぬうちに誰かの心を傷つけてしまっていたり、種々の煩悩(ぼんのう)によって罪障を積んでいることもあるのです。 むしろ、数え切れないほどの小さな罪障を、一生の間に作っている人が普通といえるでしょう。 そうした、誰もが積んでしまった罪障(ざいしょう)を消滅するために、私たち日蓮正宗の僧俗は、南無妙法蓮華経の御本尊のもとに、日々に仏道修行を行なっています。 こうした日頃からの罪障消滅の修行の延長線上にあるのが「葬儀」です。 葬儀は、その人の一生を締めくくる「総決算」を行なう儀式であると同時に、新しく生まれ変わる先を定める重大な「結縁(けちえん)」の儀式でもあるのです。 ですから葬儀は、「お別れを言う」「感謝の心を伝える」だけのセレモニーではなく、故人が今生を終え、苦楽さまざまの未来を開く境目でもあり、遺族が一心にその即身成仏を御本尊の功徳に託(たく)する大事な大事な儀式なのです。 もちろん、成仏とは本来、自身が仏道修行を行なう結果、得られる幸福な生命状態です。 しかし、なかには、御授戒を受けていても信仰活動が充分にできなかったり、御本尊に縁のある家庭に生まれても、勤行・唱題や寺院参詣ができていなかったりと、信仰姿勢は、人によってはまちまちです。 よって、生前、南無妙法蓮華経の信仰を固く持(たも)てた人も、そうでなかった人も、ともに日蓮正宗の「正しい葬儀」を執り行なうことによって、御本尊の功徳に浴し、生前に積み重ねた罪障(ざいしょう)を消滅させて、成仏(じょうぶつ)の境界(きょうがい)へと、御本尊の強大な仏力・法力によって到らせることができるのです。 日蓮正宗の葬儀では、故人が御本尊のご威光(いこう)によって一切の罪障を消滅し即身成仏の利益(りやく)を受けるため、正法の師(僧侶)により故人の生命に引導(いんどう)が渡されます。 その引導は、日蓮大聖人が仏法の根源として建立された本門戒壇(かいだん)の大御本尊と、その大御本尊を基とする唯授(ゆいじゅ)一人の血脈への尊崇(そんすう)という正しい信仰を基とします。 ですから、こうした成仏のための引導は、正法を伝持する正師(正法の僧)から渡されてこそ、故人は御本尊の功徳によって即身成仏することができるのであり、私たちはこのことを忘れてはなりません。 こうした厳然とした道理からいえば、「本尊(しかもコピー)と、法華経が唱えられる人がいれば、日蓮正宗の僧侶をわざわざ呼ばなくても構わない」と考える「創価学会」や「顕正会」、「正信会」等の葬儀では、成仏はぜったいに叶(かな)わないこと~これは一目瞭然(りょうぜん)です。 必ず施主が日蓮正宗に入信し、日蓮正宗用の仏壇を自宅に設置していただくことを条件とし、葬儀をお受けすることになっています。 日蓮正宗では、あくまでも葬儀の本義は、故人ならびに遺族の信仰を最も重んじます。 よって、「信じていない」「無宗教である」と明らかにする方からの願い出による葬儀は、ぜったいに受け付けることはありません。 その点は、葬儀を迎えるご家庭においては、事前に充分に菩提寺のご住職と話し合っておくことが大切です。

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お 坊さん の いない お 葬式

いつも拝見してます。 今日は皆さんのご意見・お話をお聞きしたくてトピ立てました。 よろしくお願いします。 先日、夫の父が心不全で亡くなりました。 ご相談はその後のことです。 まず・・お通夜・お葬式ですが、姑の意向でただ親戚や身内だけ呼び簡素に行いということでお坊さんも呼ばず通夜も人を招いて義父の顔を見てもらうだけのような感じで、翌日の葬儀も「お別れ会」のような感じ?で棺おけに出席者の方にお花を置いてもらい、その後は火葬で終わりました。 お姑さんは周りから見たらとても変わってる人で、冠婚葬祭事はかなりの無知というか「気をつかうのは面倒!」という考えの人です。 親戚の方 義父の兄弟)もこの送り方に戸惑いがあったようですが、姑の性格 人の言う事は絶対聞かない)を知ってるのでみんな黙ってました。 そして、私の夫も「うちは無宗教だから」と同じ考えでこのやり方に文句はなかったようです。 もちろん、お墓もないので今でも義父のお骨は無造作に家に置かれてます。 でも、私としては・・自分の実家は仏様をとても大事にしてる家だったので、この送り方にとても違和感があり、今でも義父が可哀相でなりません。 長男の嫁としてもっとちゃんと送りたかったのに・・でも、姑はうちに子供が居ないし、跡継ぎも居ないし・・というような言い方をされ強く言えませんでした。 今も義父の写真を見てますが「お父さん、ちゃんと成仏できるかな。。 ごめんね。。 」ばかり思ってます。。 今は時代の流れで先日もテレビで最近のお葬式の事情をしてましたが・・皆さんはどのように感じますか? そして、うちのようなやり方をどのように感じますか? よく人に「仏様を大事にしない家は跡継ぎ 子供)は出来ない!」と言われそのことも気になります。 皆さんのご意見お聞かせください。 ユーザーID: 0843014404 お葬式は家族のみで・・・と母と話しています。 お姑さんの考え(感覚)とは違いますが。 そもそも今の葬儀の形式は後から作られたものであり、 本来の宗教の初めにはなかったものだと聞いています。 お坊さんにお経を読んでもらわなくては成仏できないなんてことはありません。 またあまりにも商業主義的な葬儀の在り方を見聞するにつけ 疑問を感じていることもあります。 戒名なんて全然必要ないし。 (あっちの世界に行って知らない名前で回向されたって自分のことかわかりませんもん。 笑) うちは仏教のとある宗派を信仰してきて、家族がお経をよめるということもありますが よく知らないお坊さんに読経してもらうよりも 家族が心からの感謝と悲しみをもって送ればそれで良いと思っています。 ただトピ主さんは「長男の嫁」という立場だそうですので、 御遺骨の安置場所だけ考えられたら良いのでは? お姑さんだっていつかは・・・。 いずれ長男が用意するしかないかなぁと思いますので。 ユーザーID: 1213377614• いいんじゃない? 家の宗教はと問われれば、両親の実家はそれぞれキリスト教と仏教。 しかし両親はあまり信心のないタイプ。 私はといえば「神様なんていない。 」という不信心者。 だから仏教風の葬儀をしないからといって、なーんとも思いません。 第一、キリスト教では成仏という考え方がないし、神道では葬式には紅白の幕を使うんですよ。 「お別れ会」という形の悼み方があってもいいじゃないですか。 仏様を大事にしないと跡継ぎができないというのは、大事にする姿勢を見せて子供を育てると、読経やお墓のない葬儀に不安を感じて親と同じように仏壇や墓を守るあなたのような大人ができあがるという意味だと思いますよ。 葬儀や法事は本当は、死んだ人が成仏できるようにやるのではなく、残された人の気持ちの整理のためにやるものだと思います。 あなたの心の平穏のために、お寺に行って読経でもしてもらったらいいんじゃありませんか。 ユーザーID: 7327222939• あまり意味がない。 お寺との付き合いも無く、葬儀だけ呼んでお墓も手入れに頻繁にいけないとの理由でお墓を撤去しました。 先祖のお骨はまとめて1枚のプレートに加工してもらいました。 祖母の葬儀はその状態で、トピ主さんと同じように音楽を流して歌を歌って、お花を棺に入れて終わりました。 親族からは形式的じゃないと批判もありましたが、祖母の友人からは個人と向き合えていい葬儀だったと言っていただきましたよ。 実際、お寺とのトラブルや高齢化、核家族化でお墓を持たずにそうして送る家族も増えているとのことでした。 骨壷は祖父がどうしても手放せないというので、しばらくは皆の生活が見える位置におかれていました。 祖父が亡くなり、2人で1つのダイヤモンドにして欲しいということで加工をお願いしました。 一部のお骨はカロートペンダントというペンダントに入れ、二人の愛犬の首輪につけています。 プレートとダイヤは遺品のタンスの小物入れに眠っています。 葬儀に形や祭壇は不要です。 家族が向き合う場所です。 私はちゃんとお顔を見て葬儀をなさった。 そのことだけで素晴らしいと思います。 一緒に家にいられて怒るお父様ではないでしょう?大丈夫。 ユーザーID: 7935432785• 「リビング葬」 最近は葬式じゃなくて「お別れの会」をされることも増えてきましたよね。 私はとってもいいと思っています。 そういう風潮を敏感に感じ取ったのか、「リビング葬」などというものを提案している 葬儀社も出てきています。 わざわざ高い場所代やらを払って、故人が一度も行ったことさえない場所で「リビング葬」するよりは 思い出深い自宅で家族・親族に送られた方がずっといいと思うなぁ。 いま生きている親さえも大事にしていないのに子供を産んでる人だって山ほどいます。 そんな理由で子供ができないなんて迷信でしかないし、 「大事にする」って葬式にどれだけお金をかけたかとは別問題だし・・・。 ただお骨が無造作に・・・っていうのは気になりますね。 お墓や仏壇はまだ用意できなくても、小さくても整ったスペースを用意して お水やささやかなお花でもお供えしてさしあげたらいいのでは? ユーザーID: 3573651718• 話題ランキング• 葬儀は宗教によるので >今でも義父が可哀相でなりません。 これは仏教徒の価値観なので、無宗教者には「可哀相」は当てはまらないでしょう。 キリスト教徒が仏教のお葬式を見て「天のお父様のもとへ返さずに、邪教の下らない経典を読まれて葬儀をされてかわいそうだ」と思うのと一緒です。 >「お父さん、ちゃんと成仏できるかな。。 ごめんね。。 」ばかり思ってます。。 成仏は仏教の概念です。 キリスト教では成仏とかありません。 なので無宗教者が成仏したかどうかを心配する必要はありません。 >どのように感じますか? 無宗教なのだから、自由でよいのでは?うちの父は南国の海への散骨希望です。 宇宙に遺骨を打ち上げるサービスもありますね。 普通は無宗教でも、故人をしのんで下さる方たちの気持ちや体裁を気にして、仏教式に葬儀をあげるかなとは思いますが、個人の自由でよいと思います。 >仏様を大事にしない家は跡継ぎ 子供)は出来ない 仏教徒にしか当てはまらないことで、真実ではないので大丈夫です。 うちも無宗教ですが、私も弟も産まれました。 ユーザーID: 5908504623• うちもです〜 先日一周忌を済ませたばかりですが、同じく何もナシの葬儀と法事でした。 うちは親戚も高齢者が多くて、簡単に済ませた葬儀はかえって良かったようです。 法事も思い出を色々と語り、故人を偲びました。 葬儀などは結局送る側の気持ちの問題だと思っています。 お金をかけ、しきたりに縛られて心が二の次になった葬儀よりずっといいと思います。 しきたりや形は確かに蔑ろにし過ぎるのもよくないでしょうが全くしてない訳でもないですし、いいのではないですか。 トピ主さんが形式にこだわりたいのならそれもまた自由だと思いますが、家族が納得しているのならそれでいいではないでしょうか。 何より故人本人の希望だったらその方が供養になると思いますし、それが一番だと思います。 ユーザーID: 9498967950• なんかもやもやします 仏様を大事にしないと跡取りが出来ないって、 姑のせいで自分たちが不妊って言いたいんですか? トピ主さんが仏教を心から信心していて日頃からお寺に日曜は説教を聞きに出かけたりしていて、お坊さんを呼ばないのが死者への冒涜と心から思っているならともかく、親や親戚に仏様を大事にと言われて何も考えずにほかの人と同じように実行してるだけなら、 姑が変人と(確かに変人ですが)責める権利は無いと思います。 少なくとも姑は葬儀社のすすめるやり方より自分で考えたようですし。 葬儀社の言いなりならそんな葬儀にはならないですよね? お舅さんも大事でしょうけど葬儀も何もしなかったわけではなく、きちんとお別れの会を開いたわけだし。 自分たちの子供に仏壇やお墓の心配をかけたくないという配慮もしてるわけです。 お舅さんの成仏云々とかより、 今生きているお姑さんをいたわってあげて欲しいです。 お姑さんが一番悲しんでいると思うのですけど。 ユーザーID: 5913596947• ちょっと状況が違うかも知れませんが 私は40代ですが、手術のたびに強く言っています。 「葬式、戒名、墓はいらない。 親戚が何を言ってこようが負けずにママの希望を通してほしい。 どうしても何か形ある物を欲しいのなら、お骨から小さなプレートをつくって家に置いておくように。 直葬で食事会 お別れ会 が私の勝手なプランですが、成仏しますとも! 笑 心から亡くなった方を心配しているのだとは思いますが、自分の考えが正しいに決まっているというような「上から目線」に感じてしまいます。 それに仏様を・・・とありますが、世の中いろんな宗教がありますよ。 仏様なんて興味の無さそうな10代の子だって妊娠しちゃう例はいっぱいあるし、大丈夫ですよ、卵子と精子が出会えば仏様に関係なく妊娠しますから。 姑と夫が納得しているなら余計な気遣いは無用です。 健康に気をつけて長生きをし、旦那さんの葬式は是非盛大で立派なものにしてあげて下さいね。 ユーザーID: 1177373512• 宗教は学問 私は尼なので、仏教の観点から申し上げたいと思います。 最近はお葬式の考え方も多様化していて、さまざまな様式で行われているようです。 ですが、簡素化やただのお別れの会なのでお経も読まれずに送り出したという話を聞くと、やはり故人の方がかわいそうだなと思います。 たかがお葬式、されどお葬式。 儀式ではあります。 お金もかかるでしょう。 ですが、お経をあげるのにはいろんな意味があります。 まず、お通夜と告別式ではあげるお経が違います。 お通夜は亡くなった方へあちらの世界で無事行けるように引導というものをお渡しします。 それは素人ではできません。 素人はそこまでの力がないからです。 きちんとした僧侶でなければできないのです。 そして、告別式で送り出す。 告別式をすることによってご家族も寂しいですが、無事送り出すことによって踏ん切りというものがつきます。 お別れの会などですませてしまった場合、ご家族はいつまでも故人を引きずってしまうことが多いのではないでしょうか? ユーザーID: 1572344122• 私もそうして欲しい 字数の都合により、ふたつにわけます。 お墓についてですが、お墓は亡くなった方のおうちです。 帰るべき場所がなくなってしまいます。 いつまでも家の中に、しかも粗末に扱うと今後のあなたの家にいい影響はありませんので、すぐにお墓のお手配をしたほうがいいと思います。 お墓も高価ですから、都合がつかない場合はお寺に預けて供養をしてもらうという方法もあります。 とにかく家の中に置くのは絶対にダメです。 お姑さまを説得するのは大変だと思いますが、お父様を大切にしたいという旨をまず旦那さまに伝えてみてください。 ご先祖あっての私たちですので、亡くなった方こそ大事にしていきたいものです。 ユーザーID: 1572344122• 賛成です うちではわたしと母と、度々どういう送られ方がいいのかなあ〜なんて話します 母は景色のいい山にでも散骨して欲しいなんて言っています わたしもそうかな 海が見えて、風がさわやかなところ… 要は、お墓とか特にいらないという考えです 別にそれが先祖を敬っていないことにはならないと思っています 本人に信心があるのなら、きちんとその宗派にそって見送ってあげたいとはもちろん思いますが わたし自身は戒名なんてお坊さんをもうけさせるだけ…なんてひねくれた考えなので わざわざ貴重なお金を、わたしのため、と言いつつ何の縁もないとひとにみすみす渡すなんて〜 ぐらい思っちゃいます笑 本当にわたしを思ってくれるひとは、頼まなくてもきっと度々心に思ってくれるから それだけでもう十分 トピ主さんの旦那さんのご実家もそんなお考えなのでしょうかね トピ主さんがどうしても気にかかるのなら、ご自分で思うようにお寺でお経をあげてもらって 自分なりに仏壇らしき場所を決めて、日々拝んでさしあげたらどうでしょう それぞれが納得いくように、心残りなくできるのが一番だと思います ユーザーID: 6401250123• 色々と考えがあると思いますが 私の考えは「葬儀は残された人の為のお別れの儀式(のが多い)」だと思います。 亡くなった方が成仏するためというよりも 親しくしていた方が亡くなった方とお別れをするための儀式です。 よく「私が死んだら葬式しなくてもいいよ。 そのまま火葬場へ直行して」 と言う人が居ますがこういう人は残された人の気持ちを考えていないと思いますね。 やはりきちんとしておいた方が気持ちの整理がつくと思います。 ただし高すぎる戒名等は要らないと思うし お墓も場合によっては要らないかな、とも思います。 で、トピ主さんの場合。 まだきちんとお別れが出来ていないんですね。 ですからなむなむさんやかぼすさんのレスは若干的外れなような気がします。 (成仏とか関係ないから大丈夫、ではなくてトピ主さんがお別れ出来ていないんですよ) きちんとお別れの儀式をしたいのであればお寺で読経してもらってもいいんじゃないかな。 もしくは毎朝手を合わせるとか。 早く気持ちの整理をつけて残された人達が幸せに暮らすことが一番の供養ではないでしょうか。 ユーザーID: 6215171598• 葬式って生きてる人が精神的に必要としてるだけ 私はそういうお葬式でもなんとも思いません。 お坊さんにお経してもらって お金によってランク付けされる戒名つけられて、 骨だけ置くためにお墓を建てて、 私も現在のお葬式を無駄なものだらけと 思っています。 人は死んだら無になるんです。 感情も魂も存在しないんです。 存在しているとしたら、死者の事を考える人の心の中にだけ。 死んだ人が戒名がないから恨んだり祟ったりするって おかしいです。 できるはずない。 死者に対して失礼ですよ。 特に子孫うんぬんは脈絡のない責任の押し付けのような気も・・・。 人はこれからもたくさん死んでいく。 その全員のお墓って必要かな。 ユーザーID: 2736265565• 直葬では無いのでは? 直送というのは葬儀は一切せずに病院から直接火葬場に行くことではないのでしょうか? それでも火葬代金、棺おけと霊柩車の代金で10万はかかるようです。 お金が無くて死体放置したという事件がありますが、一応健康保険から5万ほど給付があるから直葬知ってたなら何とかなるかも。 少なくともトピ主姑はちゃんと葬儀はやったようですから直葬ではないですよ。 私は自分が直葬されてもいいです。 盛大に葬儀をやってもらうより大事なことがあるから。 トピ主さんもそんなに仏様がというならお骨を前に自分でお経をあげればいいのではないですか? 仏教を信心してらっしゃるならお経ぐらいあげられるでしょう。 ユーザーID: 5913596947• 葬式は誰のため? 私も、自分が死んだら、お経の代わりに好きな音楽を流してもらって、お別れ会で見送って欲しいと思っている派です。 しかしながら、後に残される家族の事を思うと、トピ主様のように考える方もいらっしゃいますので、普通にお坊さんを呼んでもらった方が良いのかな、とも思います。 そもそも、お坊さんがお葬式をあげる現在の葬儀の方法は、鎌倉〜室町時代、出来上がったと聞きました。 それ以前、仏教は哲学的な学問であり、僧侶は国立大学の学者のようなもので、学問さえしておれば食べていけました。 (奈良や京都のお寺にはお墓はありませんよね。 )しかし、鎌倉以降、武士の世になり、学問だけでは食べていけなくなった僧侶が、庶民に対して仏事を行うようになっていったのです。 死んだら仏になるのか、と言うのも別に議論が必要な問題ですが、仮になるとしても、お坊さんのお経がなくてはならない、と言うのは何の根拠もないと思っています。 ユーザーID: 1732997073• 私もお墓いりません。 舅・姑さんたちは、日頃から、ご夫婦で話し合っておられた可能性はありませんか? 自分たちの葬式は簡素にしよう、とか。 夫を亡くされて一番寂しく思われてるのは、誰でしょうか。 おそらくは、お姑さんでしょう。 納骨しない理由が、その辺りにあったりするかもしれませんよね。 トピ主さんが、できるだけのことをしてあげたいと思う気持ちは、素晴らしいと思います、本当に。 でも、「ちゃんと送る」って、人それぞれだと思います。 そして、最も長く身近にいた人の望みが反映されるのが自然な形だと思います。 だからこそ親族の方たちも、何も言われなかったのでは。 いずれにしても、たとえ亡くなった方に対してでも、簡単に「可哀想」って言ってしまう感覚は、私にはちょっと理解しがたいです。 今頃天国で、「え?おれ、可哀想なの??」って戸惑っておられるかもしれませんよ。 そして、「まあまあ、大丈夫だから。 気にしないで。 」って、仰ってたりして。 お義父さまも、トピ主さんのお気持ちは嬉しいでしょうから。 とりあえず今は、お気持ちだけにしておかれてはどうでしょうか。 ユーザーID: 4600529379• 他の人の宗教観を尊重しましょう 成仏できるかな、ごめんね・・ってお父様ご自身が成仏を望んでいましたか?生前仏教徒でしたか?そしてつつがなく成仏する為に仏式での葬儀を望んでいたのでしょうか?ご主人の言う通り「うちは無宗教」ならば、お父様も「人間死ねばそれまで」の方だったかもしれませんし、成仏できてますか?ごめんねと嫁に泣かれて困っているのでは。 ましてやお位牌とお墓の段取りつけて仏様として大事にしますから不妊を何とかして、なんて展開になった日には。 日本は現状では宗教としてはともかく、お葬式とお墓はお寺の世話になる事が多いですね。 でもそれは江戸時代お寺に庶民を所属させて戸籍の管理をさせた名残でもありますし、宗教・信心ではなく形式・慣習となっている部分も多いですよ。 お別れは故人の為と言いながら残された者の気持ちに区切りをつける効果の方が遥かに大きいです。 トピ主さんはお父様に心置きなく自分の知っている方法でお別れをする機会を失してしまったために昇華できてないのでは?難しかったかもしれませんが、お別れ会の間「お坊さんは?戒名は?何なのこれは?」と思っているよりも思いっきり泣いてさようならを言えば良かったんだと思います。 ユーザーID: 4197871342• あれは哲学.

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お坊さんを呼ばないお葬式に必要な準備など

お 坊さん の いない お 葬式

家族葬とは、葬儀に参列する人を 近親者に限定して行う少人数の葬儀のことを指しています。 家族葬という名前ですが、故人と特に交流が深かった人たちも含まれており、参列者数は多くても合計で 約10~30人です。 家族葬の人気が高まっている理由としては「参列者の対応に時間を割くよりも、故人を悼むことに集中したい」「元々参列する人が少ない」などが挙げられます。 「終活ねっとのお葬式」では、必要なものを厳選した 高品質かつ低価格の家族葬プランを税込49万3000円よりご用意しています。 また、事前の資料請求で通常価格から 5,000円割引、終活ねっとの早割のお申し込みで最大 7万円割引もご利用いただけます。 家族葬のプランの 特徴・内容・流れなどの詳細はこちらからご覧ください。 家族葬はお坊さんなしでも行えるか? 今までの葬儀は仏教やキリスト教など、宗教に沿った形の葬儀が一般的でしたが、現代ではさまざまな形の葬儀が登場しています。 近親者だけで行う自由な葬儀形態である家族葬でも宗教に沿う形にしている場合は多いですが、お坊さんなしでも問題なく葬儀を行うことはできるのでしょうか。 ここでは お坊さんなしの家族葬は可能か、その方法などをご紹介します。 家族葬などお葬式でお坊さんを呼ぶ理由 お葬式にお坊さんを呼んで行う理由として大きいのは、日本では 仏教を信仰宗教としている方が多いから、というものです。 仏式のお葬式では、お坊さんに読経や戒名をいただくことで 故人の供養と成仏につながるとされ、お葬式にはお坊さんを呼ぶというのが一般的となっています。 また、読経によりご遺族の方の悲しみを少しでも和らげることができるとも考えられています。 家族葬はお坊さんなしでも行える 結論から申し上げますと、家族葬は お坊さんがいなくても行えます。 仏式の葬儀でお坊さんがお経を唱えるのは故人が迷わず成仏できるようにするため、法話はご遺族の悲しみを和らげるなどの意味が込められています。 しかし、これはあくまでも仏教の考え方です。 家族葬に限らず、葬儀が仏式でなければいけないということはありません。 例えばキリスト教や神道などを信仰している場合、当然ながら仏教とは考え方が違うため、お坊さんを呼ばずに葬儀を行っても問題ないのです。 一番大切なことは 故人を悼む気持ちであり、お坊さんを呼ばなかったからといって、故人をないがしろにしたことにはなりません。 そのため、お坊さんなしでも家族葬はできます。 お坊さんなしで家族葬を行う方法 仮に仏式の葬儀を行うとしても、ご遺族などの関係者が「お坊さんは必要ない」と判断したなら、やはりお坊さんは呼ばなくても構いません。 しかし、それだと納得し辛い人は多いことでしょう。 ここでは仏式以外の家族葬を お坊さんなしで行う方法についてご紹介します。 無宗教式にする お坊さんなしで家族葬を行うには、 無宗教式にする方法がおすすめです。 先述したようにお坊さんを呼ぶのは仏式の葬儀の場合です。 そのため、葬儀を仏式ではなく無宗教式で行えば、お坊さんがいなくても違和感はないでしょう。 無宗教式とは、従来の宗教儀礼にこだわらなくても良い 自由度の高い葬儀です。 故人の好きだった音楽を流したり、歌を歌ったりするなど、故人やご遺族の希望を反映しやすくなっています。 以下の記事では無宗教式の葬儀について詳しく解説しております。 ぜひ合わせてお読みください。 お坊さんを呼ばなかった場合、どんなことが起こるのか、葬儀にお坊さんを呼ぶことは当たり前だった人にとっては予想がつきにくいのではないでしょうか。 ここでは家族葬をお坊さんなしで行った場合、どんな メリットと注意点があるのか、それぞれご紹介します。 お坊さんなしの家族葬のメリット お坊さんのいる葬儀に慣れていると、いない方が落ち着かないという人もいることでしょう。 お坊さんなしの家族葬を選ぶことで生まれる メリットとして、具体的にどんなものがあるのかご紹介します。 費用を抑える事ができる お坊さんなしの家族葬のメリットの1つとして、 費用を抑えられる点が挙げられます。 葬儀にお坊さんを呼んだ場合、ご遺族はお布施を渡す必要があります。 お布施は故人の供養をしていただいたことに対するお坊さんへの謝礼です。 お布施は感謝の気持ちで渡すものとされているため、金額は明確に示されていませんが、相場は 約20~35万円となっています。 しかし、お坊さんを呼ばないことによって、お布施を用意する 必要はなくなります。 そのため、葬儀にかかる総費用を抑えられるというメリットがあるのです。 故人や遺族の希望に沿った葬儀ができる お坊さんなしの家族葬のメリットとして、他にも 故人やご遺族の希望に沿った葬儀ができます。 火葬式と違い、家族葬では儀式を行う必要はあるものの、葬儀形態によって自由度は高くなります。 仏式や神式など宗教に沿う儀式の場合、一般的な葬儀と 内容はあまり変わりません。 しかし、先述した無宗教式や故人の家で行う自宅葬などの場合、宗教的な作法を気にせずに行うことが可能です。 小規模の葬儀で周囲の目を気にする必要もないため、故人やご遺族の希望を優先した葬儀を実現できます。 お坊さんなしの家族葬の注意点 上記で挙げたメリットに魅力を感じた人も多くいることと思います。 しかし、お坊さんなしの家族葬は良いことばかりではなく、 注意点も存在します。 納骨できない可能性がある お坊さんなしの家族葬の注意点として、 納骨できない可能性が挙げられます。 火葬が終わった故人のご遺骨は、お墓に納骨することになります。 しかし、 菩提寺がある場合は、納骨を断られることがあります。 戒名をつけていない状態で納骨は出来ないという考えのお寺が多いのです。 お坊さんなしの家族葬を行う前に「菩提寺があるかどうか」「お坊さんを呼ばなくても納骨は可能なのか」といった確認が必要になります。 菩提寺ではなく、宗教や宗派を問わない民営墓地などで納骨する場合、断られる心配はないでしょう。 親族の理解を得られない場合がある お坊さんなしの家族葬の注意点には、 ご親族の理解を得られない場合も考えられます。 家族葬は従来の葬儀と異なり、近親者以外の人の参列を断ることを前提とした葬儀です。 そのため 周囲の人たちに対して失礼と考える人は少なからずいます。 また、伝統を重んじる人や仏式の葬儀に慣れている人などは、 お坊さんなしの葬儀を受け入れられない場合もあります。 しかし、故人やご遺族がお坊さんなしの家族葬を望んでいるのなら、反対しているご親族の理解を得ることが必要です。 話し合いの場を設けて「何故お坊さんなしの家族葬を行うのか」、理由を丁寧に説明しましょう。 家族葬のメリットやデメリットについては以下の記事で詳しく解説していますので、ぜひあわせてご覧ください。 家族葬は お坊さんなしでも行うことができる。 お坊さんは仏式の際に呼ぶが、葬儀を仏式に限る必要はない。 お坊さんなしで家族葬を行うには、 無宗教式か火葬式にする必要がある。 無宗教式は宗教儀礼を気にしなくて良い自由度の高い葬儀、火葬式は儀式自体がない火葬だけを行う葬儀である。 お坊さんなしの家族葬のメリットとして、お布施が必要ないため 費用を抑えられることや 故人やご遺族の希望を優先できることがあげられる。 戒名なしだと納骨を断られる場合があることや、ご親族の理解を得られない場合があることに注意しなければならない。 注意点の前者は菩提寺がある場合で、宗教などを問わない墓地なら問題ない。 読経・戒名をそれぞれ単独で依頼することができる。 いくつかの注意点はあるものの、お坊さんがいなくても家族葬を行えることが分かりました。 お坊さんなしの家族葬を行う上で一番大変なのはご親族の説得でしょう。 しかし、ご親族の了解を得ずに行えばトラブルの元になりますので、お互いに納得するまで話し合うことをおすすめします。 「終活ねっと」では、他にも家族葬に関する記事を数多く掲載しております。 ぜひ合わせてご覧ください。 最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

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