浜崎 洋介。 【浜崎洋介】「コロナ禍」を乗り切るために―「平常心」への問い

中島岳志さんが20歳の自分に読ませたい「わたしのベスト3」

浜崎 洋介

経歴 [ ] (現・)出身、生後半年で生地を離れ、その後、、、、を転々とする。 2001年、卒業。 大学では小説の書き方を学んだ。 卒業後はが教えていた大学院へと進学したかったが、入試時間を間違えてしまい1年浪人する。 当時は祖師谷大蔵に住んでいた。 浪人中、の立ち上げたに参加。 2010年、大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程修了。 「福田恆存の思想 : 作家論・芸術論・国語論の観点から」で。 主査は。 著作 [ ] 単著 [ ]• 『福田恆存 思想の〈かたち〉 イロニー・演戯・言葉』(、2011年、)• 『反戦後論』(、2017年、) 共著 [ ]• ()『アフター・モダニティ 近代日本の思想と批評』(〈叢書 新文明学〉、2014年、)• (・)『西部邁 最後の思索「日本人とは、そも何者ぞ」』(、2018年)。 「」を書籍化 編・解説 [ ]• ()『保守とは何か』(文春学藝ライブラリー(文庫版)、2013年、)• (福田恆存)『国家とは何か』(文春学藝ライブラリー、2014年、)• (福田恆存)『人間とは何か』(文春学藝ライブラリー、2016年、) 文庫解説 [ ]• (福田恆存)『私の英国史』(、2015年、)• (福田恆存)『芥川龍之介と太宰治』(、2018年、) 論文等 [ ]• 論文「福田恆存の「政治と文学」-D・H・ロレンスからの影響」『日本比較文学会東京支部研究報告』4号2007年9月• 1-郊外 その危機と再生 』 ブックス別巻 2013年4月• 時評「道徳は教えられない」『』2013年12月号• 評論「中上健次と私」『すばる』2014年1月号• 評論「柄谷行人試論-〈単独者=文学〉の場所をめぐって」『』2015年2月号• 評論「宿命としての大東亜戦争-小林秀雄はなぜ反省しなかったか」『文藝春秋SPECIAL』2015年季刊春号• 評論「福田恆存の『実存』-『特権的状態』論をめぐって」『総特集・福田恆存 人間・この劇的なるもの』〈文藝別冊〉、2015年5月• 評論「福田恆存とシェイクスピアその紐帯」」『すばる』2016年5月号• 評論「小説の運命」『新潮』2016年5月号•

次の

反戦後論 / 浜崎 洋介【著】

浜崎 洋介

この書に解説は要らない。 さかしらな書評も実は不要だ--この本はいい、私はこの本が好きだ、お奨(すす)めする--それだけ言へば十分だらう。 あへて蛇足を付け加へる。 どの章を読んでも、私の心に迫つて来るのは、浜崎氏の「心根」だといふこと。 読んでゐて清々(すがすが)しい。 己が故郷喪失を語らうと、天皇の孤独を扱はうと、小林秀雄を通して宣長の「情」(こころ・まごころ)に真向(まむ)かふ時でも、あるいは、「春風亭一之輔の方へ」筆を進めようとも、浜崎氏はいつも人間への柔和な眼差(まなざ)しを失はない。 本書の柱の一つでもある安吾を論じた章で、安吾の「いたわり」について語る時も、救ひのないところに救ひを見出(いだ)す安吾の真情を浜崎氏は見つめ、対象たる人間から一時(いつとき)も目を離さない。 そこに、この新人文芸批評家の真骨頂はある。 人間を見る眼差しが優しく、人間をいとほしんでゐる。 無論、甘いといふ言葉とは無縁だ、むしろ落ち着いた冷徹な眼差しとさへ言へる。 「新人」と書いた。 四十に手の届かうといふ気鋭の文芸批評家にあへてこの言葉を使つたが、長寿の今、四十歳は「若い」と思ふ。 三十代半ばからの四年間に書いた様々(さまざま)な対象に対する浜崎氏の柔軟さは言ふまでもないが、その成熟度はどうだ。 政治から文学へ、あるいは文学から政治へと語り尽くし、そして第三部で人間の「幸福について」語る時にも、就中(なかんづく)、「『落ち着き』の在処」について語る氏の語り口には、老成といふ言葉が相応(ふさは)しい。 評者が六十代にして漸(やうや)く辿(たど)り着いたところから浜崎氏は出発してゐることに、羨望すら覚える。

次の

浜崎洋介

浜崎 洋介

私は鬼籍に入っていた保守思想家のものを読み始めた。 中でも熱心に読んだのが福田恆存の著作だった。 特に『人間・この劇的なるもの』は繰り返し読んだ。 福田を読んでいる友人など誰一人いなかった。 保守を自任する同級生も、単なる反左翼にすぎなかった。 そんな私にとって、一九七八年生まれの浜崎洋介が書いた を手にした時は、本当にうれしかった。 孤独から解放された気持ちを抱いた。 二十歳の私にこの本を手渡し、「お前は一人ではないよ」と肩を叩いてやりたい。 同じ著者の も必読。 当時、ヒンディー語を専攻していた私は、「与格」という奇妙な構文に出会った。 ヒンディー語では I love you を「私にあなたへの愛がやってきて留まっている」という言い方をする。 自らの意志や力が及ばない事態や行為は、「〜に」で始まる与格構文を使うのだと習った。 「私の行為の源泉が、私の意志の外部に存在する」というヒンディー語の発想に、何か深遠な思想を感じたが、当時はそれを言語化することは出来なかった。 國分功一郎が出版した は、同様の言語構造の問題を哲学的に追究している。 同じ時期に、同じ問題に思想的関心を抱いた人がいたことを、私は二十年以上たって知ることになった。

次の