平成は何年間ありましたか。 国民年金には何年間加入しなくてはなりませんか/熊取町ホームページ

平成16年度の「終了式」がありました。: 秋篠学のブログ

平成は何年間ありましたか

もくじ• 第90回メーデー中央大会の開催 連合は27日、第90回メーデー中央大会を東京都渋谷区の代々木公園で開き、約3万7千人が参加した(主催者発表)。 神津里季生会長は「 長時間労働を是正し、過労死・過労自殺を根絶することが先決だ。 働く仲間が生き生きと働くことのできる世の中にしないといけない」と訴えた。 出所)「連合がメーデー中央大会 「過労死・自殺根絶を」」共同通信2019年4月27日配信 「連合」とは、日本労働組合総連合会の略称で日本の労働組合のナショナルセンターとして最も有名な団体です。 神津里季生(こうづ りきお)会長の発言にもあるように、 長時間労働の是正、過労死・過労自殺の根絶といった働き方の見直しを優先課題としています。 そういう意味で全国の労働者の代表となり得る組織といえます。 しかし残念ながら、労働組合の組織率は平成の30年間でどんどん低下していき、その影響力も低下の一途をたどってきました。 労働組合の組織率の低下 労働組合の組織率(雇用者に占める労働組合員の割合。 推定)は、1949年(昭和24年)が最も高く55. ところが昭和の終わりから組織率は右肩下がりの緩やかな減少が始まり、平成の30年間はほぼ一貫して低下の一途をたどりました。 平成元年には25. 直近の数字を見ても2018年の組織率は17. 一億総中流や標準世帯という言葉が語られていた時代は、高校や大学を卒業後、就職、結婚、子育てといったライフステージにあわせて賃貸マンションから郊外の戸建て住宅の購入、自動車の購入、生命保険の加入、など多くの人がごく自然に同じように思い描く人生設計が広がっていました。 しかし平成の30年間のあいだに、雇用形態が多様化して非正規労働者が増えるにつれて働く人の意識や考え方も多様化してしまったため、労働者のあいだでもいわゆる正社員と非正規とのあいだで利害関係が複雑になってきました。 残念ながらそういった労働者の意識の多様化に対して労働組合の対応には限界があったため組織率は年々低下しており、当然ながら影響力も低下し続けています。 経営者と労働者のパワーバランスでどうしても労働者の力が弱くなってしまうため、労働者が労働組合として団結することで経営者に物申すことができるのが労働組合の強みですが、現在では、現場の労働者から労働組合に寄せる期待はさほど大きなものではなくなっているといえます。 平成に入り非正規労働者へも組合員の門戸を広げていますが、そこまで大きな動きにはなっていません。 令和の時代の労働組合のあり方とは 今後も非正規労働者が増えることは予想されていますし、外国人労働者の受入も進んでいます。 さらには昨今話題となっているコンビニ加盟店のオーナーなどといった自営業主と労働者とを併せ持つような働き方である人たち、そこにはフリーランスとして働く人たちの一部も含まれています。 そういう働き方をしている人たちに対して労働組合としてどのように取り込んでいくのか、令和の時代の労働組合のあり方が問われているといえるのではないでしょうか。

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池上彰さん「誰もが迷った30年」|平成

平成は何年間ありましたか

所長の髙田です。 平成最後の日になりました。 人それぞれ色々な考えはあるでしょうが、唯一自分自身の自慢出来る点 として、恨みつらみを残さず、感謝を忘れないことがありますので、私の産業医 としての原点 である産業医実務研修センターで大変お世話になった 3名の先生について の続きの話を、平成最後の日の感謝の備忘録として 書いておきます。 お一人目は先日のブログで書いた、当時のセンター長の森晃爾先生。 お二人目が、私の当時の指導医であった日野義之先生です。 当時研修医が終わったばかりで、調子に乗ってどこか斜めに構えていた 自分のことを、何かにつけて御心配いただきました。 話は少しそれますが、私はいわゆる『労働衛生の三管理』については、 全てしっかりと考え力を身に付けたいと、今でも思っています。 ただ産業医の研修というと、どうしても『作業管理』と『作業環境管理』が 主となる傾向があり、『健康管理』については、メンタルヘルス対策や 長時間労働対策、定期健康診断結果に基づく就業措置、喫煙対策に 偏る傾向があります。 定期健康診断そのものの研修、つまり血液検査の解釈や、心電図判読、 胸部 X線読影、保健指導については、産業医研修では残念ながら、 ほぼ重視されていません。 個人的には、日本の産業保健における歪な状態であると思っています。 どうしてこのような歪な状態になっているかというと、日本の産業医で最も多い 日本医師会認定産業医の場合は、臨床医が産業医研修を受ける場合が 殆どですので、定期健康診断の法定項目くらいであれば、ベーシックな知識 として、当然身に付けているこが多いと考えられているからでは、と思います。 しかし臨床医といっても、様々な分野の医師がいますし、何より栄養学だけ でなく、傾聴や心理学の知識経験も必要とする保健指導は、臨床医にも 難しいのではと思います。 また 私のような、臨床研修が終わってすぐに産業保健の世界に入る医師が、 果たして全員、定期健康診断の法定項目に関する臨床力を、身に付けて いるかというと、甚だ疑問だとも思います。 「定期健康診断結果は健診業者が作るから、産業医はその結果を見て 就業判定が出来ればいい」 と言っていた産業医大出身の産業医の先生もいましたが、自分自身で 心電図判読や胸部 X線読影が出来ないと、判読医・読影医の所見判定に 込められた機微を汲み取れないことが、ままあります。 従って、定期健康診断に関する臨床力が、結果的に軽視されている現在の プロフェッショナル産業医養成の流れには、個人的には強い疑問を抱いて おります。 日野先生は、その作業管理・作業環境管理のバリバリのスペシャリスト。 今でこそ、一度一緒に職場巡視をさせていただき、自分自身の成長を確認 してみたいという気持ちが強いですが、当時は臨床力を軽視する感じに、 正直なところ反発感が強くありました。 日野先生も恐らくそのことを感じとられていたと思いますので、企業実習に 行った帰りなどによく声をかけていただきました。 ただ、臨床力を軽視する風潮に反発感はあったものの、当時は職場巡視を どういう目線で行えばよいか全く分からなかったので、日野先生のことを スペシャリストとして尊敬していました。 そのスペシャリストぶりは、産業医活動中だけでなく、日頃の生活から、 そういった態度や目線を忘れないことから培われたのだろうと思わせられた 会話を覚えています。 「高田先生はハワイに行ったことある?」 「はい。 去年初めて行きました。 」 「何か気づいたことがあった?」 「1日中お祭り騒ぎのような雰囲気と開放感が凄く良かったです」 「ダメだよー。 僕はハワイに行った時も、常に危険なところが無いかを注意して いたよ。 そういう目線は常に持っていないと。 」 「はあ。 」 正直言って、ハワイまで行ってそれは無いだろうと思いましたし、 それはもう変人の領域だろうと、生意気にも思ってしまいました。 ただ今は、空港まで行く電車と車掌さんの指差し呼称を注意深く観察し、 空港でトランクを運ぶ人の姿勢に目が行き、飛行機の中ではロングフライト 血栓症のリスクはもちろん、 CAさんの休憩シフトや配膳時の姿勢が気になり、 ハワイに着いたら治安はもちろん、強い冷房による室内の温度と外気温の 差による自律神経への影響や、ホテルの高層階の気圧変化の影響が 気になるなど、ハワイ旅行に限らず無意識のうちに起床時から就寝前まで、 巡視目線で日常生活を見るようになってしまっている自分がいます。 あれから 15年経過した今、自分も若い産業医の先生に。 当時の日野先生と 同じようなことを言うかもしれません。 産業医のスタンスとしては、今も違いがあるかもしれませんが、 マスコミに 露出する若い産業医が増え、産業医学の自称スペシャリストが 氾濫している 今だからこそ、産業医を奥深く知る日野先生には、令和の時代 になっても 産業医の良心として、若き産業医に御指導いただく事を願っています。 最後の三人目は、菅裕彦先生。 正確には当時、産業医実務研修センターに居た先生ではなく、 私がセンターから半年間出向していた健診機関にいらっしゃった先生です。 健診機関では前回のブログに書いたように巡回健診に従事していましたが、 週 1回は嘱託産業医活動に同行して勉強していました。 その時によくご一緒させていただいたのが菅先生でした。 菅先生は、この偏屈な私が唯一「リアル産業医」だと思う先生です。 産業医大の御出身で、もともと消化器内科医として御勤務され、その後 産業医になられており、健康管理の知識を軽視することなく、労働衛生の 三管理について造詣が深い先生でした。 そういった事もありますが、一番感銘したのは、その熱い気持ちでした。 ある時、菅先生の産業医活動に同行し、健康講話を見学しました。 その後、帰り道の電車の駅で菅先生と話しました。 「高田先生、気づいた?」 「何がでしょうか?」 「僕は今日の講話の配布資料を、参加人数より多めに配ったんだよね。 」 「はい。 」 「でも、帰る時に配布資料は全部無くなっていたでしょ?」 「あー・・・はい。 」 「あれは会社の人が今日出席しなかった人のために持って帰ったんだよ。 だからいつも僕は多めに配布資料を作ってくるんだよ。 」 「・・・。 」 健康講話後に、配布資料が机の上にいくつか残っていたので、 後片付けの時に、自分が回収して持って帰ってしまっていたんです。 その時の菅先生の嬉しそうな顔を見ると、正直に言えずに黙ってしまいました。 平成最後の日に告白して懺悔します。 あの時は正直に言わないで申し訳ありませんでした。 でも菅先生のそういう熱い気持ちが大好きでした。 当時、自分が体調を崩して 1週間ほど休んでしまった時も、いつも優しく 気にかけてくださいました。 休みの日はお子さんの運動会で良い写真をとるために、午前 6時から小学校 に並んで良い場所をとるんだと嬉しそうにおっしゃられていた、ご家庭を大事に される子煩悩なお父さんぶりも印象的です。 会社訪問時はいつも腰が低く、企業の皆さんの信頼がよく分かりました。 一緒に作業着を着て商用車で産業医訪問し、時間があまりない中、 コンビニで買った缶コーヒーで車の中で休憩して話したこともありました。 当時、嘱託産業医をやりたいという漠然とした気持ちはありましたが、 具体的なことは想像もつきませんでした。 ただ今は作業着を着て中古の軽自動車に乗り、車の中で一人缶コーヒーを 昼食代わりに飲みながら、産業医訪問を繰り返す毎日です。 結局、当時の菅先生と同じような形になりました。 というより、あの時の菅先生の姿を追いかけているのかもしれません。 菅先生には一生追いつける気はしませんが、熱い気持ちについては、 追いつき追い越せるよう、これからも産業医活動をしていきたく思います。 当時 1年間ながらご指導いただいた、森先生、日野先生、菅先生の 3名の 先生から受けた影響は、自分にとってはとてつもなく大きいです。 いつまで経っても 未熟者なので、そのような強い影響を他の若き産業医に 与えることは、自分には無理だと思います。 ただこの 10年近く、色々助言をしてきた元々医療職ではなかったカウンセラー の方が居ますが、その方が大きな飛躍を遂げようしています。 その方には業務面のアドバイスをしてきましたが、とにかく謙虚に、 絶対思い上がってはいけない、相手の幸せを考えれば間違えることはない、 ということだけはしつこく言い続けています。 そのことは、自分が 3名の先生方に自然と教えられてきたことだと思います。 平成最後の日に、 3名の先生方に改めて感謝し、そして今一度、 謙虚に、 思い上がらず、相手の幸せを考えるように自分自身を戒め、 明日からの令和の時代を迎えたいと思います。 皆様にとって令和が良い時代になりますよう祈念し、そしてこれからも 社会に少しでもに貢献出来るよう、自分自身頑張っていきます。 そして最後に、天皇皇后両陛下本当にありがとうございました。 平成 31年 4月 30日.

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平成は何年まで?西暦ではいつからいつまでなのかと新元号の決め方は?

平成は何年間ありましたか

「内災外乱」ですね。 私のまったくの造語です。 そもそも平成という言葉は「内平らかに外成る」からきているわけですが、実際には内(うち)、つまり国内は決して平らかではなく、実にさまざまな災害があった。 そして外(そと)成る、本当に平和が訪れるかと思いきや、東西冷戦が終わってから湾岸戦争やイラク戦争などさまざまな紛争が続き、今も米中の貿易摩擦・・・と乱れているわけで、とっさにこういう造語を作ってみました。 この30年間を振り返って非常に深く印象に残る事件といいますと、やはりこれはオウム真理教の事件ですよね。 オウム真理教は宗教法人の認可がある宗教団体。 ですから、何か変なことをやってるな、とみんなが思っていても、警察や検察にしてみれば、うっかり手を出すと宗教弾圧だと言われかねないというところがあって、ためらいがあったような気がするんですね。 それが、あれよあれよという間に大変な事件になってしまった。 それは捜査側の反省点ですね。 また、何で若者たちがあそこにひかれていったのか。 そもそも既成の仏教なりキリスト教なり神道なりがあるわけですよね。 そういう既成の宗教が若者にとって魅力に欠けているのではないか、既成の宗教団体はどうあるべきか、という反省を迫った事件でもあったと思うんですね。 バブルが崩壊して若者たちの間に閉塞感というのが広まってきて、どう生きていけばいいんだろうか、という悩みもあったわけですよね。 東西冷戦時代は、世の中は非常に構造が簡単で、どっちがいいかという対立構造だったんです。 それがなくなってしまった時に、さあ自分はどうしたらいいんだろうかという悩み、それをうまくすくい取ったのがオウム真理教だったと思うんですね。 ソ連が崩壊してロシアになりましたが、ソ連の時には共産主義という目標があったわけですよね。 共産主義は、ソ連にとっての宗教のようなわかりやすい役割を果たしていた。 それが崩壊した途端、ソ連の人たちも思い悩んだりして、その中で急激にいろんな宗教が出てきて、オウム真理教も実はロシアで信者を増やしたんですね。 何となく日本もそれと同じような構造になっていたのかなという気がしますね。 首都圏のニュースのキャスターのころには、横浜の坂本弁護士一家が消息を絶った、一体どういうことなんだろうというのを取材したり、インタビューしたりしていました。 そしてこどもニュースの担当になったら、オウム真理教の事件だということになって、警察が家宅捜索に入ることに。 その時はとにかく子どもたちからの素朴な質問にどう答えるのかっていうことに追われていたというところがあります。 子どもたちから「サリンってどうやって作るんですか」みたいな質問や、オウム真理教の弁護士がテレビに出ていると、「悪いことする人を弁護してもいいんですか?」などという質問がきて、非常に素朴な子どもたちの質問に大人としてどう答えればいいのか、ということを考えていました。 そこで、そもそも日本の司法制度ってどうなっているんだろうかとか、あるいは彼らはどうしてこのようなことをやったのか、ということを非常に考えまして、当時はオウム真理教が出しているさまざまなパンフレットとか、彼らにとっての教科書のようなものを次々に読みましてね。 自分なりに勉強してみたら、ヒンズー教と仏教を、彼ら流に独自に混交して、ちょっぴりキリスト教の終末論を振りかけた、そういう宗教の構造になってるんだなっていうのを感じましたね。 でも考えてみますと、日本でも新興宗教というのが広がっていったのは、1つは第2次世界大戦後の混乱期です。 非常に貧しい中で、どうやって生きていけばいいんだろうかという時に、この宗教を信じると救われるとか、出世するとか、病気が治るよという、ある種の現世利益を追求するような、そういう形で新興宗教が広がっていきました。 もう1つは、平成のはじめです。 バブルがはじけて以降、閉塞感の中でどうしたらいいかっていう時に、「こうすればいい」というのがなかなか出てこなかったのかなって思うんですね。 目標がなくなってしまって、どう生きたらいいかってことを一人一人が突きつけられるわけですよね。 その時にオウム真理教のようにひたすらこれを信じて出家をし、ひたすら修業をしていれば輪廻転生から解脱できるんだよっていうと、ある意味楽なんですね。 これ以上なにも考えなくていいわけですね。 言われたとおりのことをやっていればいいというと、心の安寧が得られる。 そこに彼らが魅力を感じたんではないか。 本当は民主主義の世の中で、一人一人がどうあるべきかってことを考え、一人一人が判断する、そういう時代であったはずなのに、政治の方も混乱が続いて若者たちの悩みに対応できなかったのかなと思いますね。 そうだったと思いますね。 平成になる前は、東西冷戦の中でも日本国内でも、例えば社会主義を目指すんだという政治勢力と、資本主義の経済体制が大切だという勢力でも対立というのがあったわけですよね。 ところがソ連が崩壊し、中国の経済体制もまるで資本主義そのものになってきた時に、「社会主義ならいい」という単純な解決がなくなってしまった。 一方で、それまでは資本主義の側にも、格差が広がると社会主義勢力が伸びてしまうかもしれないので、「なるべく格差がないように」という配慮があったんです。 でも「資本主義が勝ったんだ、資本主義バンザイ」ってなった結果、非常に格差が広がっていく。 そうすると格差社会の中でまた悩みを抱く人たちが出てきて、それに対する処方箋が与えられないまま今に至った、それが平成かなと思いますね。 日本だとやっぱりオウム真理教の事件ですけど、世界で見るとやっぱりそれはベルリンの壁の崩壊ですね。 壁が崩壊し、東西冷戦が終わった時に、ああこれでやっと世界に平和が来るんだと思ったら、湾岸戦争が始まっちゃった。 要するに戦後の枠組みが外れてしまったために、むしろ世界各地でさまざまな紛争が多発する時代になった。 これはやっぱり平成になってから世界で一番大きな出来事ですね。 平成になって世界が大きく変わる中で、日本がこれでいいんだろうかという。 「世界はこんなに大きく変わっているのに、日本がこのままでいいのか、実は日本というのはさまざまな規制によってがんじがらめになってるじゃないか、規制を取り払うことによってさらに一段と成長するんだ」といって、構造改革や規制緩和が始まりました。 そのこと自体は決して間違いではなかった部分もあると思うんですが、実際にやってみたらなにが起きたのかというと、一段と格差が広がってしまった。 大規模小売店舗法の規制があった時代には、デパートでもスーパーマーケットでも週に1度は休みがあって、そんなに深夜までは営業をしていなかった。 それが何でも自由になった結果、非常に多くの人の過重労働につながってしまった。 とにかくサービスを向上させなければいけない、それはその通りなんですけど、それによって非常に過酷な労働が増えてしまった。 それが今、働き方改革ということにつながってきている。 政治改革もずいぶんありましたね。 「金のかからない選挙制度にしなければいけない」と言って、小選挙区比例代表並立制にしてみた。 これはこれで良さもある一方で、政治家一人一人が小粒になったんじゃないかとか、どうも昔のような大物政治家が現れないよね、これは選挙制度のせいではないか、という声も出てきた。 これから検証していかなければいけないんですけど、いろんな政治の問題はみんな選挙制度に起因するんだ、みたいな議論がまた起きてきていますよね。 まさにこれから新しい時代を迎えるにあたって、平成の時に行われたさまざまな改革が果たして良かったのか悪かったのか、これを冷静に考えることができる時代になるんだと思いますね。 今はまだ、それぞれ当事者がいますでしょう。 制度を変えるときに旗を振った当事者がいると、なかなか言いにくいところもあるわけです。 そういう人たちが表舞台から退場すると、非常に冷静に議論ができるという、まさにそういう時代かなと思いますよね。 平成の30年間、メディアと権力の関係は、変わってきたと感じますか? メディア一般で言えば、それはあまり変わらないと思います。 かつて私が警視庁記者クラブで警察をずっと取材していた時に当時の先輩から言われた言葉があって「密着すれど、癒着せず」と。 警察取材では、捜査員から話を聞き出さなければいけないですよね。 その時に最初からけんか腰では情報が得られない。 ちゃんと密着して取材をし、そして信頼を得て情報を得なければいけない。 けれども、癒着してはいけない、という教えですよね。 これはもうどこのメディアでも同じことだと思うんですよ。 政治の話だって経済の話だって、さまざまな事件取材だって、密着しなければ情報が取れない。 だけど気をつけていないと、いつしか癒着することによって、当局にとって都合の悪いことは報じないでおこうとか、それによって相手の心証をよくして別の情報を得ようって考えたり、あるいは相手が伝えたいことを率先して伝えることによって気に入られようとしたり、という誘惑はいつでもあると思うんですよ。 そことどう戦っていくのかというところにおいては全く変わらない、昔も今も同じことだと思ってますね。 私の場合は選挙番組を民放でやっているんですけれども、これはですね、選挙報道の王道というNHKがあるからこそできるんですね。 つまり「今それぞれの市町村で一体どれだけ開票されているのか」「誰が当選確実なのか」ということをちゃんとやってくれる番組があるから、ゲリラのようにそれ以外のところでいろんな工夫をしてみようということが成り立っている。 私がNHKで選挙報道をやっているころには、出口調査なんてなかったんです。 ひたすら事前に取材をして票読みをしていた。 そしてそれぞれのところで開票状況を取材して速報し、どれだけ早く「当選確実」を出すか、そのために事前に一生懸命いろいろ調べてきたわけですね。 ところが今は出口調査があって、8時になった途端に「獲得議席予想」っていうのが出ますでしょう。 昔は、選挙の結果がどうなるんだろうかってずっとNHKの開票速報をくぎづけになって見てたわけですが、今は8時になった途端、「あっ分かった、もう結果わかったから見ることないよね」って他の局へ回しちゃうんですよ。 その点、今私がやっている番組の放送局は、幸か不幸か取材力がNHKほどなくてですね、綿密な事前の取材とか、あるいは当選確実を早く出すってことがなかなかできない。 だったらこれは選挙速報ではなくて、ちょうど開票の時に合わせて政治について考える知的エンターテインメントにしよう、と考えた。 つまり全く違うものを作ってるということなんですね。 それはね、言ってみれば私の今の立場があるからだと思うんですよね。 継続的に政党や議員にずっと取材をしていると、「テレビで聞かれたくないことを聞くと、相手との関係が悪くなってしまう」って、ある種ブレーキがかかることはあり得るわけですよね。 私は今、完全なフリーランスであって、いろんなことを取材しますけど、特に政治のことだけを取材しているわけではない。 はっきり言ってしまえばどこかの政党の党首に嫌われても私は構わないんですよ。 別にそこで勝負をしていないから。 だから誰にだってずけずけと聞くというのは、実はそういう私の立場があるからで、みんながそうすべきだって私は決して言いません。 それぞれの立場があるだろうということです。 ただし、私のああいう形がもし支持されたとするならば、やはり視聴者は、政治家とメディアが激しく衝突するとか切り結ぶとか、そういう緊張関係を実は求めているんじゃないか。 そういう意味では既存のさまざまなテレビのメディアにしても、もう少し取材対象との緊張関係を持つ、あるいは視聴者に緊張関係を持ってやり取りしているんだなということを分かってもらえるような、そういう放送のあり方ってあるべきじゃないかなと思いますね。 災害がずいぶん起きたり、あるいは若者への閉塞感があったり、ということで言えば決してそんなにいい時代であったとは言えませんけれども、ただ天皇誕生日にあたって、天皇陛下が平成を振り返って「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」ということをおっしゃいましたよね。 そういう意味では、世界中でさまざまな紛争や戦争があった中で、少なくとも日本ではそういうことがなかったということで見れば、世界から見れば日本っていうのは幸せな30年間だったと思いますね。 海外に取材に行けば行くほど、ああ、日本てなんて幸せな平和な国だろうと思いますよ。 ないですね。 実感はないけれども、こうして新しい年を多くの人が迎えられるっていうこと自体、実は世界の中で見れば日本というのは平和だったし、恵まれていたと思いますよ。 昭和の時代は戦争で彩られていましたからね。 昭和って64年、まあ63年と7日間なんですけれども、本当に、第二次世界大戦をはさんで全く変わりましたよね。 その前は本当に、日本はさまざまな戦争をして、多くの犠牲者が出た。 戦後、非常に平和な時代が続き、それが平成になっても続いてきたんだと。 昭和はね、ひと言でくくれないんですよ。 ところが平成はひと言で言えば、まあとにかく戦争なかったんだよねって言える時代ですよね。 それで言うと、既成のイデオロギーというのが、もろくも崩れていったという時代だと思うんですね。 昔は社会主義とか共産主義が光り輝いて見えていた人たちがいたわけですけれども、それが色あせてしまった。 そして一方で、資本主義が素晴らしいと言っていた人たちもいた一方で、格差が広がった。 しかも、このところ世界的に金利が非常に下がってますよね。 そもそも資本主義っていうのは、金融の「金利」というのがあってこそ発展するんですよね。 融資を受けて新しい仕事をする、そして金利を付けてお金を返さなければいけない、ということは、常に成長していかなければ、金利の分のお金を返すことができないわけですよね。 この金利があるから経済は発展してきた。 ところが今、世界中でどんどんどんどん金利が低下してしまって、ほとんどゼロに近いような状態になってしまっているってことは、つまり資本主義が発展しなくなってきているという証左でもあると思うんですよね。 そういう時に資本主義がどうあるべきかっていうところでも、資本主義経済が素晴らしいんだって言っていた人たちの中にも反省が起きている。 どちらのイデオロギーも色あせてしまった、そういう時代だったと思います。 とても難しい質問だと思うんですけれども。 例えばアメリカで、自分の国さえよければいいという人が出てきている。 ヨーロッパでも、それこそイギリスだって、EUから離脱してイギリスファーストっていう考え方になったり、いろいろ混乱が広がってますよね。 自分の国さえよければいいんだという考えが世界にわあっと広がっていく中で、しかし日本は今のところ、日本さえよければいいんだってことはしてないですよね。 やっぱり国際協調が必要だということをやっている。 これがギリギリ歯止めになっているのかなと思います。 一方で、アメリカでもヨーロッパでも「自分の国さえよければいい、というわけじゃないよね」という動きが出てきましたね。 物理学に作用・反作用っていう考え方がありますが、何かが起きると必ずそれに対する反作用が起きるんですよ。 平成の30年間っていうのは、東西冷戦が終わってグローバリズムが大きく広がった、世界が1つの大きなマーケットとなった、という作用が起きた。 そしたらその結果、ものすごく格差が広がってしまって、「自分の国さえよければいい」という反作用が起きた。 それが現在だと思うんですね。 すると、作用が起きて反作用が起きれば、またそれに対する反作用がこれから起きる。 新しい時代、また新しい動きが出てくる、それを見るのが楽しみだなって思っていますね。 日本国内でも今、さまざまなことで対立が起きたり、特にネット上でさまざまなヘイトスピーチが出てきたりですね、政治的にきちっと真正面から対立するのではなく、単なる揚げ足取りであったり、単なる憎しみの言葉を投げつける、そういう世の中になってきていると思うんですよね。 それではやっぱりいけないわけで、意見の違いは違いとしながら、余計な対立ってのはやめたほうがいいんじゃないかという思いがあります。 外=世界はもう、平和であってほしい。 そもそも平成というと、やっぱり外も平和であってほしいという意味の元号ですから。 今度こそ世界が平和になってほしいという、本当にこれは願望ですね。 今いくつもの大学で大学生を相手に授業をしているわけですね。 そうしますと非常にはっきり2つに分かれてるんだなと。 ごく一部の学生たちは、これから世界で活躍したいと、こう思っている。 中には、高校時代に、進学先として海外の大学を選ぶ若者たちも出てきているんですね。 そうやって世界で活躍するにはどうしたらいいんだろうかって考えている人たちがいる一方で、多くの人が何でわざわざ海外に行くのと。 海外に行こうとすると、親からそんな危険なところ、行くのやめなさいって言われたり、日本国内で全部済むんだからいいじゃないと言われたり、という、非常に内向きの若者たちが増えているという感じがするんですね。 留学生も全体としては減ってきているというところがあります。 若者たちにはですね、もう少し冒険をしてほしいと思うんですよ。 若い間だからこそできる冒険、もちろんこれは必ず海外に行きなさいという意味ではないですよ、ただ、自分の殻にこもっているんではなく、もっといろんなことに挑戦してみてほしい、チャレンジして冒険してみてほしいと思いますね。 既成概念にとらわれることなく、あるいはステレオタイプな物の見方に左右されることなく、自分の目で見て判断するんだ、人の言ったことを、ああそうなんだってそのまま鵜呑みにしないで、自分の目で見て判断する。 そういう行動力と判断力を持った若者になってほしいと思います。 【プロフィール】 池上 彰(いけがみ・あきら) ジャーナリスト。 1950年生まれ。 1973年にNHKに入局。 1994年から「週刊こどもニュース」のお父さん役をつとめ、2005年にフリーランスに。 ニュースや時事問題をわかりやすく伝える解説者として、テレビ番組などで活躍。 著書も多数。

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